兄の未練と恋心
「すすむー!お待たせー」
「遅いぞ、由紀奈。今日は十分待ったぞ」
「ごめん、ごめん(笑)」
まあ、いつものことだ。由紀奈のマイペースにはいい加減慣れた。
「じゃあ、少しペース上げて行くぞ」
「えー、やだぁー」
「遅れた張本人が文句言うな」
「ちぇー」
なんていつもどおりの流れで会話を交わし、俺たちは学校へ向かった。
俺、保高丞と、隣にいる夏希由紀奈は、幼い頃からの幼馴染だ。親同士も仲が良く、家も近いから毎日遊んでいた。今でこそ、昔ほど一緒に過ごす時間は多くないが、俺たちの仲は今も健在だ。それもなんだかんだ由紀奈のおかげなのだ。……あの事故の後も、彼女はいつもどおりに接してくれているからこそ、今があるのだと、俺はそう思う。
由紀奈には一人の兄がいた。彼、夏希千晃は、由紀奈にとっても、俺にとっても頼れる存在だった。かつて、俺と由紀奈とあき兄の三人でよく遊んでいた。海に行ったり、山でキャンプをしたり、森を進んだ先にあった広場で沢山の星を見て、流れ星に願い事をしたりーー
……だが、あき兄との別れの日は突然、俺たちに襲いかかってきた。
その日、俺たち三人が海に向かう途中のことだった。前から楽しみにしていた俺は、二人よりも少し先を歩いていた。その後ろにあき兄、そのまた後ろに由紀奈が、なんとか俺に追いつこうと早歩きでついてきていた。それに気づかずにどんどん先に進む俺ーー
……と、そこにものすごい勢いで一台の車が俺目掛けて突っ込んできた。一瞬の出来事だった。俺が状況を理解した時にはもう車が目の前に……
!?
体が後ろに引っ張られた。何が起きたのか分からなかったが、目に映った光景で理解した。あき兄が、俺を引っ張り出して、その反動で俺のいた場所にあき兄が……
……そして
――ガシャン!!
周りに凄まじいほどの音が響いた。
近くにいた人が急いで救急車を呼んでくれたが、あき兄は助からなかった。事故の後、ずっと泣いていた由紀奈とは違い、現実を理解出来なかった俺は表情を失って居たが、医者の口から改めて現実を突きつけられて初めて泣いた。医者からは、亡くなった相手の運転手が、事故直前に何か急な病気を起こしていたということも知らされた。
……不幸な事故としか言いようがなかった。
いや、それは違う…
もしあの時、俺が由紀奈を気づかいもう少しゆっくり歩いていれば…
もしあの時、俺が海に行こうだなんて提案してなければ…
ーーあき兄が死ぬことなんてなかった。俺のせいであき兄は死んだのだ。
なのに…俺の親も、あき兄の親も、由紀奈でさえも、俺を責めることは一度もなかった。だから、俺は決心した。ーー彼に代わり、由紀奈が幸せになるのを見守ることを。
たとえ、なにがあってもその役目を優先させようとーーーー心の奥底で誓った。
「すすむ、すすむ!なに、ぼーっとしてるの?」
「…ああ、なんでもない」
ーー見守る立場の俺が心配させてはいけないな。
「あー!もしかして昨日、夜遅くまで起きてたんでしょ!?ダメだよ、早寝早起きしないと!」
…その早起きの出来ていない由紀奈にだけは言われたくないんだが。まあ、夜更かしはしていたわけだし、今回はその言葉を素直に受けとめてやりますか。
「わかった、次から気をつけるよ」
午後の授業が終わって、昨日夜更かししたことを後悔した。…由紀奈の言ったとおり、夜更かしはしないよう気をつけよう。
「眠そうだねー、すすむ。だから言ったのに」
目の前の由紀奈はそう言うと、俺の弁当に入っている唐揚げを奪って食べた。
「しっかり早起きの出来る人に言われるなら文句なしなんだけどな。あと唐揚げ勝手に食うな」
「まあまあ、細かいことは気にしない、気にしない」
「お前にそれ言われると、すげー腹立つな」
…なんて話をしていられるだけでも充分幸せなんだよな。まあ、こんなこと本人には絶対に言わないが…
少しの間、沈黙が続いた。きっと眠気のある俺に気を遣ってくれているのだろう。ーー気遣いさせてばかりで申し訳ないな…
そう思い、何か話題を探すうちに俺は、なるべく触れないようにしていた疑問をなげかけてしまっていた。
「ーー由紀奈はいいのか。幼馴染とはいえ、俺とこんなに一緒にいて…。他の女子とか、好きな人だったりーー」
流石に今の質問はまずかったか。由紀奈の顔が少し曇ったように見えた。
「ーーすすむは……私といるのは嫌?」
以外な質問を返されて呆気にとられてしまった。ただ、由紀奈の不安そうな顔が目に写ったからーー
「…アホか。由紀奈は、俺がついてなきゃダメだろ?」
なんて、いつものように煽ってみた。
「えー、なにそれー!?」
由紀奈は、ムッと顔を膨らませた。さっきの不安はすっかり消えたようで安心した。
なんとか今日一日を乗り切った。
「だいぶお疲れだねー、すすむ」
疲れきっている俺とは裏腹に、由紀奈はご機嫌だ。
「何か良いことでもあったのか?」
「さー、どうでしょうねー」
「はいはい、そーですか」
「ちなみに、この後空いてる?」
そうだな、今日はもうゆっくり過ごそうかな。と、口に出そうとした時だった。俺の頭の中に電流が走ったような感覚が襲いかかってきた。そして、脳内に何か映像が流れ始めた。
(こ、れは…)
ーー昔の記憶だ。それも、幼い頃の由紀奈の姿がいくつも写っていた。…まだ、あき兄が生きていたときの記憶……。ーーとても懐かしく……心が痛い。ただ、一つだけ違和感が……
「すすむ、すすむ!ねえってば!!」
由紀奈の声で我に返った。
「大丈夫!?今、すごくぼーっとしてたけど…。それに顔色も……」
由紀奈は目に少し涙を浮かべながらこちらを見ていた。
「…心配かけてすまん、大丈夫だ。……今日は真っ直ぐ家に帰るよ」
「わかった。今日はゆっくり休んで……また今度、お出かけ行こ?」
と、由紀奈は、温かな顔でそう言ってくれた。
「ああ、すまんな」
「……らしくないね」
彼女は、寂しそうな表情でそう言いつつ、結局家まで付いて来てくれた。
(さっきのはなんだったのだろうか。疲れているからなのか…それともーー自分への戒めか…)
その後も、同じようなことが何度かあった。最初の数日は頭にショックが走る感覚に襲われたが、後の方で少しずつ和らいでいった。そして、この現象について一つだけ分かったことがある。
ーーこれは俺の記憶ではない。……あき兄の記憶だ、と。幼い頃の由紀奈の姿が何度も写っていたが、その中には俺の知るはずもない彼女の姿もあった。
ーー由紀奈のことを心配し、兄として思いやる晃兄の意志が手に取るように分かる。あの事故の後も、今までずっと由紀奈を見守り続けてきたのだろう。そして、その思いを本当の意味で受け継ぐ時がきた、とでも言うべきか。ーーもとよりそのつもりだったからなんの問題もない。……それに、それ以外の選択肢はーーーー許されるはずがないのだから。
不思議な現象が起こり始めてから一ヶ月が経とうとしていた。今では、以前のショックのような感覚はなくなった。由紀奈にはだいぶ心配をかけてしまったようだが。あれ以来、あき兄との思い出を何度も頭の中に思い浮かべている。
……もしもあき兄が生きていたなら、俺たちは…俺と由紀奈の関係は、どうなってーーーー
「すすむー、もう体の調子大丈夫?」
いつの間にか由紀奈が隣にいた。由紀奈はあれからずっと心配してくれていた。
「お陰様でもう平気だ。心配かけてすまんな」
由紀奈はホッとしたような顔を見せた。
「…放課後、空いてる?」
「ああ」
「じゃあ、今日はたくさん付き合ってもらおうかな」
普段通りの由紀奈で安心した。
「わかった。それでどこか行きたいところでもあるのか?」
「ナイショ!」
内緒とは言ったものの、着いた場所はたまに足を運ぶショッピングモールだった。そういえば最近来てなかったから久々な感じだ。
(あれ、平日のわりには人がいるな)
ショッピングモール内は思っていた以上に混んでいた。クリスマスにしては時期は早いし、ハロウィンもすでに終わっているのだが、それにしては人が多いし賑やかだ。ーー何かイベントでもあるのだろうか。フードコートに着くと、さらに混んでいて、かなりの行列ができていた。
「着いた、着いた!」
「ケーキ屋?ここにケーキ屋なんてあったか?」
「二週間前にオープンしたばかりなんだよ!しかも今話題のケーキ屋!」
「なるほどな」
以前まではアイス屋があったが、これほど人が並んだのは見たことがない。
「今ね、数量限定の新作ケーキがあってね!えっと…それを買える条件が二人一組で一個なんだ」
どおりで、二列で並んでいるのはそういうことか。話題の店というのもあって、それだけ味がいいのだろう。
「それで…」
「そのケーキが欲しいんだろ?仕方がないから並んでやるよ」
「本当⁉ありがとう!︎」
予想以上に喜ぶので少し驚いたが、ここ最近心配かけてばかりだったから、お礼としても丁度良いだろう。そして、並んで整理券を受け取ると、店員が『完売』と書かれた看板を持ち出していった。どうやら、俺らで最後のケーキだったようだ。
思っていたより時間はかからなそうだ。ただ、並んでいるうちに違和感を感じていた。気のせいか、並んでいるのは男女ペアばかりだ。恋人同士なのだろうか。それに、よくよく店内を見渡すと恋人が多い気がする。そう思うと複雑な心境が心の内を襲った。しばらく経つと、ようやく自分達の番がやって来た。お目当てのケーキはしっかり1つ残っていた。そうしてケーキを買い、空いているテーブルに腰をかけた。
「それにしても、危なかったー!もう少し遅かったら売り切れてたよー」
「間に合って良かったな」
「うん!」
由紀奈は満面の笑みを浮かべると、袋の中に入っていた二つのプラスチックのフォークを取り出した。…二つ?
「はい、どーぞ!」
「ん?俺はいいよ」
「そう言わずに!二人で並んで買ったんだから!」
「じゃあ、お言葉に甘えるか」
結局少しケーキを分けてもらうことにした。
「美味しいー‼︎」
おお、美味い!こんなに美味いケーキなんてそうそうないだろう。あれほどの行列がおこる理由が理解できる味だ。
「さすがだな」
「でしょー、この前テレビにもに出てたんだよ!」
なんて会話をしながらケーキを味わっていたが、先に完食してからというもの、気まずさが増していった。
「どうしたの?もう少し食べたかった?」
「いや、別に…」
由紀奈はなにも疑問に思っていないのだろうか。
「な、なあ由紀奈。周りにカップルばかりいる気がするんだが…気のせいか?」
「な、なんでだろうねー」
?
なんか不自然だ。もう一度由紀奈に尋ねてみると、
「……そーいえば、このケーキを男女二人で分けて食べると、その二人は結ばれるって……」
それってどういうーーーー
「…噂が流れてるっぽいんだよねー!それにしても人多いよねー」
…噂なのか。にしても本当にカップルばかりだ。
「もしかしたら、ーー私たちも周りから恋人同士って思われてるのかな?」
「ど、どうなんだろうな」
由紀奈の質問によって、また気まずい雰囲気が生まれてしまった。さらに由紀奈は続けて、
「私たち付き合い長いし、このまま恋人同士になっちゃったり?…なんちゃって」
……………………
思いもよらぬ言葉に頭の中が混乱したが、なんとか自分を撮り戻した。
ーーそれ以上のことを考えてはいけない。決めたはずだ。と。
「ごめん、俺はーー」
「…さすがに冗談が過ぎたよね、今のは気にしないで」
「そ、そうか…」
しばらくの間、沈黙が続き、
「…そうだ、この後用事があるから、今日は先帰るね」
「…ああ」
そう言うと、由紀奈はカバンを持って帰っていった。
分かっていた。
分かってはいた。
ーーーー由紀奈のことを好きになっていたということは。
だが、俺は由紀奈の大切な人を奪った。…あき兄を…… そんな俺に、由紀奈と共にする資格なんてあるはずがない。だからあの時誓ったんだ。由紀奈へのこの思いは捨てさろう、と。
ーーだが捨て切れてなどいなかった。
これじゃ、あき兄への顔向けがーー
「大丈夫か、丞?」
⁉︎
優しくて温かい言葉が、心の奥底へと語りかけてきた。気づくと何もない、ただ静かな空間が広がっていた。
(ここは…?)
「顔を上げてみな」
そう言われるがままに顔を上げると、そこにはさっきの言葉の持ち主が目の前にーーーーーー
「ーーあき兄……なのか…」
「ああ、久しぶりだな…と言うべきなのかな」
そこには、優しく微笑むあき兄が立っていた。
…………言葉を失った。俺はあき兄の未来を奪った。だからどんなに恨まれようとも受け入れる覚悟があった……なのに、どうして……どうして、そんなにも温かいんだ…!
「色々と負わせてしまって本当にすまんな」
「あき兄……お、俺は…」
「お前のせいじゃないし、誰もお前を責めてやしないよ」
えっ……⁉︎
心の中の何かが砕けた。まるで自身を締めていた鎖がなくなったかのように。
「俺の未練がお前を苦しませてしまって申し訳ない」
「やっぱり、あれは……」
やはりあの現象の原因は、あき兄の想いだったのか…
だから、苦しいほどあき兄の気持ちが分かる。だがそれは、あき兄も同じなようだ。
「今までそれほど苦しんでまで由紀奈のことを守ってくれていたんだよな」
「…あき兄ほどじゃないよ」
「そうかーー」
「ああ…」
ーーーーそして二人は笑い合った。
「ーーあいつに伝えたいことがあるんだろう?」
「……やっぱあき兄にはお見通しだな 」
「もう何も背負う必要はないんだから、お前の進みたい道を進めーー」
「……ありがとう、あき兄。会えて良かった」
「…俺もだよ」
あき兄の周りに光の粒が…
ーーーーそしてあき兄の姿が少しずつ薄くなっていく。
「最後にもう一つだけ世話をかけてもいいか?」
俺はうなずいた。そして
「由紀奈を頼んだ」
と言い残し、あき兄は姿を消した。
ーーああ、由紀奈のことは任せてくれ!
歩道橋からみた空はオレンジに染まっていて、どこか切なさがあった。いや、切ないのは私の方か…
「どうして言っちゃったんだろ、私…」
丞があの事件のことでずっと責任を抱えていたのは分かっていた。そして、私といることでさらに負荷をかけてしまっているということも……
ーーこれ以上丞の苦しむ姿を見るのはもう嫌だった。だからこの気持ちを伝えて……もう丞のそばから離れようと。そう決めたはずだったのに……
そう思いながら階段に足をかけーー
あっ⁉︎
足を滑らせてしまった。
ーー気づいた時にはもう…
(あーあ、またやっちゃったな……)
そのままバランスを崩してーーーーーーーー
あれ?痛みはない。何かに包まれて…
「ったく、足元をしっかり見てないと危ないだろ…ぁいてて…」
「す、すすむ⁉︎ え、嘘⁉︎」
痛みがない理由は、すすむに抱えられていたからだった。もうなにがなんだかわからなくなってきた。
「だ、大丈夫?」
「ああ、見ての通りだ。ちょっと体を打ったくらいであとは平気だ」
幸い、丞にも大きな怪我はなかったようだ。
「由紀奈の方こそ無事か?」
「う、うん。ありがと…」
由紀奈は、俺の手を借り立ち上がった。
「さっきは急に飛び出て行っちゃってごめんね…」
由紀奈は目に涙を浮かべながら、そう言った。
「…謝るのは俺の方さ」
「え?」
「大事な話があるから聞いてくれるか?」
驚いていた由紀奈だったが、頷くと真剣な眼差しで聞いてくれた。
「俺はお前のことがずっと好きだったんだ」
由紀奈は目を見開きながら、頬を赤く染めていた。
「好きだと気づいていながら、あき兄を失わせてしまった俺がずっとお前のそばにいていいのかって後ろ向きなことばかり考えていて、苦しい気持ちから逃げていたんだ」
「うん」
「それで自分自身と、何よりお前と向き合えていなかった。本当に申し訳ない」
精一杯の思いで頭を下げた。
すると由紀奈は微笑んで
「大丈夫だよ。今こうして私に伝えてくれた」
「そうか、ありがとう」
そして、今一番伝えたいことを改めてーーーー
「由紀奈!お前のことが好きだ!!」
「あき兄の分まで幸せにしてみせる!
ーーだから、これからも一緒にいてくれ!!!」
由紀奈は、涙を零しながらも今日一番の微笑みと共に告げた。
「…もちろんだよ」
ーーーー二人を祝福するかのように、西の方角を元にあたり一面、黄金に輝いていた。
〜fin〜