第十七話
第十七話 チョーキ領陥落
帝都ウェネーシア西部で起きたこの大暴動は前々から計画されていたものだった。チョーキ領領主の圧政に領民は苦悩の毎日だった。不満を募らせた領民は立ち上がり一揆を起こすことを考えたが、現実的に観て不可能に近かった。そのため半ば諦めていたところ、救世主が現れた。救世主の名はニムル・コイル。隣国カトラ王国の元軍師だ。彼は20年前のカトラ王国とギルファンゼールス帝国の戦争で王国を劣勢からの逆転勝利に導いた大軍師だ。だが、その二年後、二度目の王国対帝国の戦争で敗死した。はずなのだが。彼は何と生きていたのだ。生きて諸国を放浪していたのだ。そして偶然訪れた帝国の帝都ウェネーシア西部で民衆の苦しむ声を聞き、彼は民衆に力を貸すことにした。それから民衆は少しずつ力を付けて行った。仲間との連携の取り方や戦い方、罠の張り方に兵法。様々な戦術を民衆は彼から学んで行った。そしてそんな彼らに力を貸す魔術師も疎らではあるが現れた。民を苦しめる領主は断罪されて然るべき。そして遂に、作戦決行の時が訪れた。
「クソっ。平民共め。何て練度だ。」
「魔術師まで居やがる。」
「ぐあっ。」
「奴らの連携が乱れたぞ。今だ、攻めろ!」
「おおおっ!」
領民たちのあまりの予想外の練度に焦りを覚えたチョーキ侯爵兵たちが、乱雑な動きになり、連携が乱れ始めた。その隙を逃すような甘い領民兵では無い。力強い雄叫びと共に一気に攻め込んだ。「やばい、やられる!」
「この平民共がーっ!」
次々と倒れて行く侯爵兵たち。これに侯爵兵たちは一時撤退を余儀なくする。
「誠に不甲斐ないことよな。」
そこへ1人の男が現れた。
「新手か?」
魔術師っぽい男の登場に警戒を強める領民兵たち。
「イザクさん。」
イザクの登場に侯爵兵たちが安堵の声を上げた。頼りにされている証拠だ。
「魔術師だ。退くぞ。」
「逃がさん。ファイアランス。」
イザクの放ったファイアランスが撤退する領民兵たちを容赦無く焼き尽くす。
「うわああっ!」
「熱いーっ!」
「滑稽よな。侯爵様に抗うからこうなるのだ。」
領民たちの死に様を鼻で笑ったイザク。彼は既に領民側の魔術師全員を倒した。後は残りの領民兵を殲滅するだけ。早速侯爵兵が動き出そうとした時、侯爵兵たちは全員炎に呑まれた。
「ちっす、魔術師さん。」
「貴様新手か?」
「そっすねー。あんたらを始末しに来た、マイルってもんす。」
「私はイザク。侯爵様お抱えの魔術師よ。」
マイルとイザクが対峙する。お互い睨み合い隙を窺う。場に緊張感が張り詰める。マイルはヘラヘラとした表情。イザクは目を細めマイルを見定めようとする。
「ウィンドカッター。」
先に動いたのはマイル。風属性初級魔術で相手を牽制する。果たしてイザクの対処は。
「ファイアアロー。」
同じく火属性初級魔術で相殺。初級魔術には初級魔術。振り出しに戻る。
「やるっすねー。なら、タイダルストーム。」
マイルの次の手は水属性中級魔術、タイダルストーム。激しい水の奔流が嵐となりイザクに迫る。
「雷砲。」
「げっ!」
イザクの詠唱に慌てて魔術を準備するマイル。雷砲。雷属性上級魔術。雷の砲撃が放たれる。地を焼くほどの轟雷が砲撃となり、水の嵐渦をいとも容易く貫通し、尚もその威力を減衰すること無く、マイルに肉薄する。
「うおやっべー。巨人の炎拳。」
マイルの固有魔術、巨人の炎拳。炎が渦を巻き巨腕を形作る。二つの炎拳が雷砲を包むようにして止める。そして数秒後、雷砲を握り潰した。
「やりおるな。渾身の一撃を受け切るとは。」
「は?」
イザクのその一言にマイルは口をあんぐりと開き、間抜け顔で、は、と漏らした。信じられないとばかりに。
「貴様もそうだろう?もう疲れて碌に戦えまい。ここは一度退かんか。私は貴様とまた相見えたいと思っておる。どうだ?」
「確かにあんたとはまた戦いたいね。でもさ、生憎俺まだ余裕あんの。だから引き分けじゃなくて俺の勝ち。」
「何だと!馬鹿なっ!」
再び現れた炎の鉄拳に眼を限界まで見開いて驚愕を露わにするイザク。それを見てマイルは
「はは、滑稽だな。あんたの今の顔みんなに見せてやりたいぜ。きっと大笑いだ。」
イザクを鼻で笑いながら彼に炎拳を叩き付けるマイル。彼は終始イザクを舐めていたのだった。
チョーキ領領主の屋敷。領主、フルトン・ウェネーシア・チョーキは信じ難い報告を受けていた。
「イザクが死んだだと。」
「はい、突然現れた魔術師に敗れたと。」
「誰だそいつは?イザクを容易く葬り去ることが出来る者などそうは居まい。」
イザクはフルトンから絶大な信頼を置かれた魔術師だ。フルトンは魔術に中々長けていた。チョーキ家に雇われた魔術師の誰よりも強かった。そこでフルトンは自分より強い魔術師を探してイザクと出会った。それからイザクはチョーキ家に雇われることとなった。そんな彼が年若い魔術師に負けた。フルトンはそれが信じられなかった。
「おのれ、忌々しき魔術師め。私がこの手で葬り去ってくれる。」
「お待ち下さい、侯爵様!」
フルトン自らが戦うなどと言い出して、慌ててフルトンを止める護衛兵たち。
「止めるな!ここまで私をコケにされて黙ってなど居られるか!」
「そんなに戦いたいなら戦えるっすよ。」
怒髪天を衝く勢いで家を飛び出そうとするフルトンの前に突如男が現れた。
「誰だ貴様は?」
「マイル。イザクを倒した男っす。それも余裕で遊んでやったすよ。」
イザクを倒した魔術師。それが現れ、フルトンは目の色を変えた。殺してやる、彼の眼がそう物語る。その眼を見てマイルは
「焦っちゃダメっすよ。勝てる戦いも勝てなくなるっすよ。」
余裕の表れか、相手を敢えて落ち着かせるマイル。
「ふぅっ。確かに貴様の言う通りだ。さあ、始めるぞ。」
フルトンは魔力を練り魔術の準備をする。マイルはこれを見て顔をにやけさせ、とんでもない事を
言った。
「1分。1分間俺は魔術を一切使わないっす。攻撃魔術は勿論の事、防御魔術も。だからそっちは魔術撃ち放題。ちゃんと俺に当てるっすよ。1分過ぎたら容赦は無いっすよ。始めっ!」
「舐めた真似をーっ!」
マイルの言い放ったこのサービスルールに堪忍袋の緒が切れたフルトン。最高潮に達した怒りのファイアランスが7本、本当にフルトンの憤怒の具現の様に赤々と炎を滾らせた槍がマイルに襲い掛かる。これをマイルは涼しい顔で軽々躱す。滾る炎の槍も全然熱くないと言わんばかりに。
「こんのぉぉぉぉ、クソ野郎があああ!」
今度は風属性中級魔術、風穿。風の弾丸が撃ち出される。
「こんな穴だらけの弾幕じゃあ掠りもしないっすよ。」
またも軽々と余裕綽々躱して行く。ここで30秒が経過した。残り半分。
「まだまだーっ!」
今度はファイアランスと風穿のコンボ。炎の槍と風の弾丸の波状攻撃。これには流石のマイルも目を細め、たと思ったらまたヘラヘラ顔に戻り
「隙発見っす。やっぱり戦闘経験が圧倒的に少ないっすね。打つ手としては悪くは無いけど、甘いっすよ。」
やはりまたも躱す。だが多少は掠ったようだ。右腕や左脚に創傷ができている。だが残念ながら仕留めることは出来なかった。1分が経過した。時間切れだ。
「時間っすね。よーし、覚悟するっす。」
「ああん?」
ごろつきの様な剣呑な口答えをするフルトン。目付きが甚だ悪い。そんな彼にマイルの炎拳が容赦無く振り下ろされる。
「舐めるなあああっ!ファイアランス!」
フルトン渾身のファイアランス。その数15。炎拳と炎槍がぶつかり犇めく。炎と炎のせめぎ合い。一方は怒りの、もう一方は多分余裕の。そのせめぎ合いを制したのは
「何、だと。」
マイルの炎だ。
「こんな、こんなヘラヘラしたクソみたいな魔術師に敗れるのか?俺は、俺はこんな奴に葬られるのか?冒涜だ。こんな死はこのフルトン・ウェネーシア・チョーキ侯爵様の命に対する冒涜だああっ!」
死の間際にそんな事を宣うフルトンに、終始へらへらしていたマイルが表情を真剣なそれに変え、更に口調まで変え、フルトンを叱責する。
「冒涜?これがてめえの命に対する冒涜だと?巫山戯るのも大概にしろ!てめえ今までどんだけの人を苦しめて来た。てめえのその圧政に耐えかねて死んだ人も居たんだぞ。てめえは領民の命を蔑み疎んじて来た。それが彼らの命に対する冒涜と言わずしてなんと言う?あろう事かこの期に及んでそれを棚に上げ、てめえの今の境遇をてめえの命に対する冒涜と言うか。いい加減にしろ!領民の命の尊厳を傷つけておいて、自分の命を尊いものだと言う資格はねーっ!すよ。」
最後に口調を戻し炎拳をフルトンに嗾ける。マイルの怒りの鉄拳がフルトンに下される。放心状態のまま、フルトンは炎に呑まれ焼け死んだ。余程熱かったのか、後には灰すら残らなかった。これで皇帝派フルトン・ウェネーシア・チョーキ侯爵は成敗された。チョーキ領は陥落した。
領主、フルトン・ウェネーシア・チョーキの死は、領民たちを率いていたニムル・コイルの耳にも届いた。
「領主、フルトンは死んだ。我らの勝利だ。」
「おおおっ!」
「やったぞー!」
「もう苦しまなくて済む。」
「やったよー。」
皆口々に喜びを露わにする。それだけフルトンに苦しめられていたのだろう。まあ、正確にはその父親にもだが。
「それにしてもその魔術師には礼を言わんとな。」
ニムルはその魔術師に思いを馳せるのだった。