第98衝 三昧の鑑連
「いやっ!これはお坊様っ!お久しゅう……ございます!ご来店ありがとうございます!」
と牛太郎が凄まじい巻き舌で近づいて来る。すると石宗は胸を張って尊大な振りをしつつ愛嬌を振りまきはじめる。
「んん。苦しゅうないぞ、お牛。幾日か二人のお大尽がご逗留中だろう。案内いたせ」
大友家の咒師のくせして、花街の常連という振舞いだ。備中は己の欲望をよそに、石宗への軽蔑を深めていく。
当の石宗は守秘義務と馴染み客との間で揺れる牛太郎と交渉の末、当たりを引いたようだった。
「あがり一丁!ご新規二名様ご案内!」
「備中、こっちだ」
「えーと、御坊様。まさかこちらの旦那とお楽しみですか。困るなあ、畳が汚れるんだよなあ」
何かとんでもない勘違いをしている牛太郎に、備中、赫怒して否定しようとするが、
「はっはっはっ!全ては天道の御導き……」
と石宗は卑猥な印を手で組むとさっさと奥に入っていった。ついていくしかない備中だが、後ろから牛太郎が衆道者を系気づける掛け声を出してきて、心の底から石宗を憎悪するのであった。
「備中来たか」
女臭が篭った部屋の中、鑑連は胡座をかいて石宗と備中を迎えた。部屋は湿気がこもっており、それらが大量の汗をかいている鑑連から発せられたものであることは明らかであった。
「はっはっはっ!では備中、それがしはこれで」
高笑いを響かせながら去っていく石宗を無視して片膝つく備中。
「殿、お迎えにあがりました」
「そろそろ来る頃だと思っていたが、早かったな。石宗が簡単に見つけ出したのだろうが」
「はっ……し、志賀様は」
「今、厠へ行っている」
「で、ではすぐにお戻りに……」
「いや、かなり前に行ったきりだ。大方厠でお楽しみなのだろう」
「ひえっ!」
前老中のあまりの不品行にひっくり返る備中。
「ところで備中。今から府内で噂をばらまいてこい。貴様唯一の得意分野でワシを活かせ」
「あ、あのう……」
「今日、明日と府内で噂をばらまいたら……近いうちに義鎮が府内へやって来るらしい。行き先は南蛮寺だと思うが、そこで義鎮に会え」
「わ、わたくしがですか」
「そうだ。そしてこの館に案内するのだ」
「しかし、このような場所に、義鎮公が足をお運びになるとは……」
いくら立派でない君主と聞いていても、さすがにそれはないのでは、と考える備中。
「備中」
「はっ!」
凄みのある声に、思わず思考が停止しかかる。
「義鎮は吉岡ジジイには会わない。猿丸太夫を始末したワシにも同じだ。その狙いは、駆け引きにある。ワカるな」
「はっ……」
義鎮公は義兄で側近の田原民部を老中としたい。だが、老中はみな反対している。他の老中衆、臼杵弟は吉岡に従うだろうし、田原常陸は田原家内部に強力な競合相手が出現することを嫌って確実に反対する。志賀はどうだろう。
「以後、ワシが志賀家に協力することで話は着いている」
その為のふしだら会合だったのだろうか。
「駆け引きの為とは言え、堺の芸者を囲っている義鎮だ。ワシがここに居ると知れば、必ず様子を見に来る。好奇心は旺盛だからな。ワシは吉岡にたっぷり恩を売ってやるつもりだ」
「し、しかし、義鎮公がご承知になられるでしょうか……」
「吉岡にも便宜を与えるが、義鎮にも知恵を付ける。吉岡は和睦交渉の件で手一杯。出し抜いてやる」
「義鎮公の望みを、お通しになる、ということですか」
「まあな」
つまり、主人鑑連は田原民部の老中就任を認めてやっても良い、ということなのだろう。義鎮公がそこまで強く望まれるのなら。だがそれは……
「よろしいのでしょうか。つまりその……殿のお心に沿わないのでは」
「無論そうだ。だが、いつまでも面会謝絶が続けばワシらにとっても不名誉な事になる。安芸勢との戦いを前に、内輪もめなどしている場合か!ということだ」
ついに腑に落ちた下郎へ、鑑連、意地悪く曰く、
「ここまで懇切丁寧にワシの考えを披露してやったのだ。納得していないとは言わさんぞ」
「いえっ!はっ!身に余る光栄です!これよりすぐに、お考えの通りの殿の噂を広めてまいります」
「では行け」
襖を閉めて退出した備中、走りながら思いを巡らせる。思えば主人鑑連は女関係には極めて淡泊であった。離縁した入田の方との間に、子も産まれなかった。女があまり好きではないのかもしれない。それこそ志賀前安房守とは対照的に。
玄関へ向かう廊下を進むと、手拭いで顔を拭っていた志賀前安房守がいた。立ち止まり片膝付く備中を一瞥するや、声もかけずに奥の部屋へと消えていく。すると、女たちの嬌声が響き始めた。
すぐに外へ出た備中、一つの確信を得る。主人鑑連と志賀前安房守はやはり根本が違う。安心し、心の平穏を取り戻すと、入り口に立っていた牛太郎へ挨拶をすることなく、府内の町へ進む。当初、備中の体内に宿っていた劣情はすでに消え失せていた。




