第97衝 研鑽の鑑連
府内、志賀邸。
「鑑連殿が俺を訪ねてくるとは珍しい。何かあったか」
「まあ、たまにはな」
年の頃は鑑連と同じくらいか。一目で気になってしまう愛嬌のある人物だった。鑑連は遠慮なく会話をしているが、志賀前安房守もそれは変わらない。
「そなたが羨ましい。子息は立派に家を継ぎ、盛り立て、戦場でもそこそこ活躍している。そして府内で楽隠居だ」
「まあね。だがそれはお宅もそうだろ」
「我が家は弟の倅を養子にとったのだ。自分の子とはやはり違う」
「ウチの倅は、ちゃんと老中の職を勤めているかね」
「そこそこ頑張っているようだ。志賀家はもう安泰だな」
「鑑連殿は俺を誉め殺しに来たのではあるまい」
「ある意味では。が、他でも無い相談のためだ」
「国家大友随一の勇将の依頼だ。倅も戸次隊の活躍を興奮気味に話していたよ。俺に教えることがあればいいんだがね」
鑑連、間髪を入れずに発言する。
「女遊びの極意を伝授してくれ」
「えっ」
備中、主人の言葉に恥ずかしくて顔を一層深く下げる。主人はとち狂ったのか。
「この道にかけて、そなたが豊後随一だ」
「……」
「肥後でも相当名を馳せたそうだな」
「……」
「ワシはその方面はからっきしだが、それでは人生つまらんと思ってな」
「……」
呆然として言葉も出ない志賀前安房守の様子を備中は観察し続ける。鑑連のこの発言には備中もびっくりだが、相手はもっと衝撃を受けている様子。
「前安房守」
「……ああ、聞いてるよ。ちょっと驚いて言葉が出なかっただけで……しかし、その、何やら事情があるのだろう。承知したよ。俺の楽しみ方を鑑連殿に伝えよう!」
「感謝する」
先方の快諾にも驚いた備中だが、一体何を始めるのだろうか、と心配になる。まさかここで芸者白拍子を呼んで組んず解れつの大宴会を開催するのだろうか。わ、私もおこぼれに預かれたりして……とドキドキものの備中だが、
「御家来は先に戻ってらっしゃい」
と興奮は打ち砕かれた。一縷の望みを宿し鑑連へ意識を向けると、主人はしっかりと備中の気を感じ取って曰く、
「貴様は戻ってろ。ちゃんと留守番しとけ」
と却下されてしまった。備中は府内の町に消えていく二人の背を見守るしかなかった。戸次家は志賀家とこれと言って親しく事業を行なっているわけではない。志賀邸に知り合いもいない備中は、府内の戸次邸へ向かう。
府内、戸次叔父邸。
臼杵に引越しをした時に屋敷をほとんど移設しているから、鑑連の邸宅は府内には無い。しかし戸次叔父は役目柄府内の有力者とやり取りを行う事が多いため、相変わらず不動産を持っている。
「なかなかに立派なお屋敷ですな!」
戸次叔父の使用人に笑顔でそう述べる備中、
「結構儲かっているようで」
と口には出さないが、鑑連近習としての視線で捉える事も忘れない。それを相手も意識しているのだろう。あまり関係のない場所についてはご遠慮下さい、という顔で監視している。そんな居心地の悪さにそわそわしつつ、鑑連の帰りを待つが、一向に帰ってこない。
「今日はもういいか」
主人は愛刀千鳥を携えている。懐には鉄扇もあれば、もしや短筒も装備しているかもしれぬ。まず大丈夫だろう。と備中は眠りにつく。
だが翌朝、鑑連はまだ戻っていない。流石に心配になる備中。戸次叔父直下の家臣が慌てて戻ってきて、不在だった無礼を詫びに来たが、
「それが志賀前安房守様と外出されたまままだお戻りではないのです」
と伝えると怪訝な表情で曰く、
「放蕩人との取り合わせ、似合いませんね。志賀様とご一緒であれば、あと数日はお戻りにはならないでしょう」
「そ、そういうものですか」
「そういう噂の方ではありますね」
翌日も鑑連は帰ってこない。暇だ、府内の歓楽街に遊びに行こうかな、と考え始めた備中。懐の現金残高を確認し、ひとしきり逡巡した後、勇んで戸次叔父邸を飛び出した。
焼け落ちた大友館の北西の方角にある寺町付近にシビれる遊郭がある。同じ府内にある南蛮寺が清廉なる名声を誇りはじめてから、寺町の景気はいささか悪くなっていたが、まだ富強を誇っていた。
文系武士森下備中、下心丸出しでお茶を引く遊女を眺めていると、後ろからあだっぽい声をかけられた。
「ねえ、そこのお侍さん」
「はい、なんでしょう」
背後には角隈石宗が立っていた。
「はっはっはっ!」
衝撃で腰を抜かし、倒れこむ備中。
「……!」
「ははっ!そなたらしくないな。こんな町にいるとは」
「……!」
「今のか?ここは遊郭だよ。遊女の声を真似て見たのさ。あだっぽかったろう!はっはっはっ!」
「……こ、この!」
「お、やるか?やるのか?大友家の咒師たるそれがしと」
「やりませんよ!」
背を向けて歩み出した備中を止める石宗。
「待てよ。何故府内にいる。教えろよ」
「殿のお供です」
「ははっ!嘘つけ。戸次様が遊郭に足を運ぶかよ」
面倒になった備中、事情を適当に話した。
「ほう。興味深いな」
「まあそういうわけです。では」
「待て待て。そういう事ならそれがしに任せよ。戸次様の居場所へ案内するよ」
「えっ?ご存知なのですか」
「知らないよ。だから天道に尋ねるのだ」
出たよ、天道が、と備中げんなりするが、
「なんだその、出たよ天道が、という顔は」
「ギクッ」
「ははっ!当たっているだろう」
「い、いいえ。一呼吸、違ってます」
「だいたい合ってればいいんだよ……どあっ!」
石宗はいきなり飛び跳ね空中で正座の姿勢を取り、そのまま着地した。そしてぶつぶつ文言を呟き、正座したまま前後に揺れはじめた。石宗の衣の端から赤い褌が見えた時、備中は吐き気を催し目をそらすに至る。
おぞましいものを見る表情の備中を他所に、石宗の天道通信は続く。げあっ!げあっ!と叫びはじめると、遠巻きに人集りができる。死ぬほど恥ずかしい備中だが、すでに逃げ出す機を逸していた。そこに立ち続けるしかない。
ぎゃあああ、と絶叫した石宗。パタリと倒れるや、息をきらして起き上がりて曰く、
「はあっ!はあっ!……ははっ!こっちだついてこい」
と歩み出した。好機、と反対方向へ逃げ出そうとすると、病気かつ知り合いの坊さんを放置してどこへ行くのか、という群衆の視線が痛いほど突き刺さって来た。備中仕方なく、石宗と多分に距離を取りながら、その歩む方向へついていくしかなかった。
そして、立派な館の前に到着した。おそらくここは遊郭である。備中は己の動悸が激しくなるのを感じはじめるのであった。




