第94話 隠悪の鑑連
門司の城と海峡を挟んで戸次・田原隊が対岸の安芸勢とにらみ合いを続けて、一月が過ぎ去ろうとしている。だが季節は真冬、小競り合いすら起こらない。次第に緊張も垂始めていた。備中は書状の整理をしながら、悠然と武具の手入れをする十時と談笑する。
「暇ですね」
「そうね」
「安芸勢は……渡ってこないですね」
「渡れば即開戦……だからな」
「……」
「出世の好機がないなあ」
「またまた、例の必中の矢で褒美が約束されているではないですか」
「……んふ。まあね」
「……」
「……」
「安芸勢は我々と和睦する意思が、今回は本気であるのでしょうね」
「まあ東西から攻められるのは、嫌なんだろうが」
「そうですねえ」
「……」
「海を越えて攻めるのも大変なんでしょうねえ」
「陸伝いの出雲を平定する方が、いくらか楽なんだろうなあ」
「そう言えば……ええと、あった。あの毛利元就も下手を打つことがあるらしいですね。情報によると石見の実力者を疑念の末に殺めてしまい、それで人望を無くしてしまったとか。それでほとんど手中に収めたはずの石見が、また出雲側へ寝返った……」
「へえ、仕事してるね備中」
「えへへ、まあ……安芸勢は我らとこれ以上、戦争をしている余裕などないはずです」
「なら今頃、吉岡様と必死の交渉をしているのかな」
「恐らく」
「……」
「……」
「なかなか鋭い分析だけど、誰が考えたの?」
「……私です」
「……」
「……」
「やっぱり、仕事してるね。情報源は博多からの?」
「はい。特に、博多衆に通じている立花様からの連絡は大きいですね」
「今の殿の下には多くの情報が集まるだろうからなあ。握ってるよなあ、主導権」
「……」
「……」
「普段から仕事のことばかり考えているの?」
「いや……その……はい。最近は」
「……」
「……」
「殿が備中を重用する理由が何となくワカった気がするよ」
「ええ?そんな、重用とまではいかないでしょう」
「……」
「……」
「内田が不機嫌になる気持ちもワカるなあ」
「えっ?」
「内田がさ」
「あれは昔からですよ……」
「そうか、内田も頑張っていると思うが、備中ほど殿にはなあ。要領かなあ」
「要領は内田の方が良いはずですよ」
「ああそう……よし、終わり」
「大きな弓ですねえ。私の背を遥かに越えるほどなんて。これは十時様しか扱えないのでは」
「んなことは無いよ。でも、もう仕舞いだな。活躍の機会はなさそうだ」
「やはりそうですかねえ」
「ああ。なんとなくワカるよな、戦の匂いというか。風と言うか。備中もそんな気がしないかね」
「まあ、なんとなく」
二人のこの見立ては当たり、赤間関に集合した安芸勢一万余は、一月末には去っていった。備中、敵兵撤収中の対岸を、安東と眺めながら曰く、
「結局、示威行為で終わりましたね」
「そうだな」
「今なら、門司城も松山城も攻め落とせるのでは、と御一門の方々は殿を説得しているようですが」
「そんな事をしたら、さすがに安芸勢が帰ってくるよ」
「しかし、出雲勢の願いは我らのそういった献身にあるのではないでしょうか」
「そんなもの、全てを聞いてやる必要はないんじゃないか。去年の内に、もう十分してやったさ」
「では向こうから仕掛けてくる事は……ない」
「間違いないよ。これで、和睦が成立する。いつまで続くか」
「……」
「……なんだ?」
「こちらから仕掛けるものがいたりして」
「例えば?」
「田原民部様とか」
「へえ、なんのために?」
「出世のため。あの方の出世を、義鎮公は望んでいるようなので」
「ふーむ……推理の域を出ないんだろうが、そういったこともあるかもな。でもまあ今回は大丈夫だよ。吉岡様に逆らうことは、さすがの田原民部様にも出来ないさ」
「田原民部が義鎮の忠実な犬であるのならばなおさらな」
いつの間にか、二人の背後に、内田を連れた鑑連が立っていた。驚いた二人は急いで片膝付く。備中、業務報告をして、立場を弁えろ、とお叱りを受けそうな空気を横に除ける。
「も、申し上げます、麻生勢に命じていた食料の運搬すでに完了いたしました」
「何事もなくか」
「はっ」
「安芸勢が去る以上、もはや我らに従うしかないのでしょう。和睦の話も広まったようで、親安芸の領主どもから続々と服従の打診が来ています。そうだな、備中」
「ははっ!これも殿が小早川隊を撃破した大きな功績ですね」
「そんなおべんちゃらを言っている暇があるのなら、間者を捕らえよ」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
キョロキョロする三人。
「クックックッ、備中、内田、安東、誰が最初に発見するか。こういう時は備中だろうがな」
「はっ、見つけました!あそこに間者が!」
「内田、行くぞ!」
「はっ!」
「チッ、バレたか」
間者を追跡する内田と安東。足が鈍足のため追いかける気もない備中、それを特に咎めない鑑連。
「備中、これからはああいう手合いが我らの周囲に出没するだろう。血の気の張った前線の勇将達より、臆病な貴様のがワカるんじゃないか?良く気を配るように」
「はっ」
「ワシらも陣を畳み、撤収するぞ。松山城にも戻らず、本国豊後へ帰る」
「……はっ」
そう言う鑑連の背中に、備中は憂愁を感じなかった。主人はまだまだやる気である。目下の敵は、国家大友内部にあり、戦場の外が舞台となる。そこは必ずしも鑑連の得意な場所ではないが、より高みを目指すために渾身の力を振り絞るだろう。
対岸の安芸勢の撤退を見届けた後、戸次隊・田原隊ともに門司城を去った。




