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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
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第93話 朱書の鑑連

 歳が明け、永禄の年号にまた一年加わり、鑑連が遊戯と宣言した計画が実行に移された。


 戸次隊の兵がのんびりと門司城付近まで兵を進める。それは非常にゆるりとした軍事行動で、門司城の守備兵も戦いが始まるという予感は持っていない様子であった。何せ、動いている兵が少ない。騎兵は多い様だが、戸次隊の十分の一が動いたかどうかであるのだから。


 この隊を指揮するのは安東だが、戸次叔父や戸次弟、由布、十時、そして主人鑑連も一騎兵として加わっている。備中は同行せず、本陣でその様子を見ている。ひり付く手を労わりながら。


「森下備中だな」


 貴人が近づいてきた。田原民部だ。片膝つこうとするが、それを止めて言う。


「話は聞いている。かなり手を酷使したそうだな。何本の矢に字を記したか、述べよ」


 威圧的なその発言に備中、直立したまま答えてしまう。


「はっ、約千本にございます!」

「驚きだな。そなた一人ではあるまいが」

「はっ、幾人かで手分けを」

「それでも幾人か、だな。文字を書ける者もそれ程多くはあるまい」

「はっ……」

「だが、それは敵も同じではないかな。矢に文字を記したとて、それを読める者でなければ効果はあるまい」


 その言い方にカチンと来た備中、補足を入れる。


「主人は、正月の余興と述べておりました」

「そうか。戦場が明るいのは良い事だ」


 鑑連と田原民部の会談で得た印象とは大きく異なるものを備中は感じた。これがあれか、上には卑屈で下には尊大、という賤しい人間にありがちな困った性格か、と備中独り言ちらず、思いを展開する。


「どうやら始まったぞ。備中、そなた入魂の朱書矢が、門司の城に放たれている」

「はっ」

「……」

「余興とは言え、危険だな。幾らか反撃はあるだろうに。無用な出血の恐れは避けるべきだ」

「は……」

「……」

「……」

「意外と地味だな」


 色々思っているのなら、私ではなく主人に直接言ってくれよ、と喉まで出かかっている備中。身分の厚き壁が、その言葉を許さないが、空気が持たないので、解説を入れる。


「ここからで死角になっていて見にくいのですが、一人、舞っている者がおります。内田左衛門尉という者で、城中の兵の注意をそちらに惹きつけている間に、我が方が矢を打ち込んでいます。まずは徒歩の弓隊から、城中から矢が飛んできたら、騎馬がこれに代わって矢を打ち込んで、陣に戻ってくるという寸法です。動かした兵も少なく、先の戦いで当方は敵を打ち破っているので、出撃はしてこないだろう、というのが主人鑑連の見立てです」

「……」

「……」


 顎に手を当てて無言になる田原民部。何を考えているか、判別できないが、しばしの沈黙の後、


「成る程」


と備中へ言葉を返した。いちゃもんをつけてきた割には素直なこと、変なお人だ、と思う備中。


 田原民部と並んで年始の挨拶代りの弓矢掛けを見物する。妙な心地がしたが、同時に、義鎮公の奥方の兄に当たる人と、畏れ多くも、話をしてしまった事に、緊張が湧き上がりはじめた森下備中。


「そうか、これは年始の挨拶だな」

「はえっ!はっ!」


 ぼけっと緊張していた備中。


「成る程成る程。ま、安全かな……ではな」


 そう呟いた田原民部は備中に手を振って去って行った。貴人の謎な振る舞いに首をひねった備中。


「なんだったのだろう。しかし、何かをご納得されたのかな……」


 田原民部の事を考えていると、部隊が戻ってきた。安東、戸次弟、戸次叔父の順に馬から降りて談笑している。


「我々の作戦は無事終了、いやあ満足です」

「時にはこのような遊びも、良いものだな」

「城から反撃が無くて良かった。ひやひやしたがね」

「……いや、あれを」


 談笑する幹部連を止め、由布が馬上から指さす。そこには、追撃に出てきた騎兵に追われ、必死に逃走する内田の姿があった。


「城兵が打って出てきたか?」

「ひのふの……いえ、僅か数騎のようです。まずい!内田が危ない!」

「助けに行け!」

「遠すぎます!間に合わない!」


 舞によって敵の注意を引き付ける役目を担っていた内田は、身を守るものは扇子しか持っていない。しかも、主人鑑連の得物とは異なり、完全木製品である。敵騎馬兵が馬上から槍を突き出した。


「ああ!」


 戸次の陣から備中の悲鳴が上がる。だが、内田は攻撃を躱し、走り出した。由布、安東が騎馬隊を繰り出し救出に向かうが、戸次側の隊列陣形はこの遊びの為、形を成しておらず、危機に気が付いた数騎が駆け出すに留まっていた。よって、内田は引き続き追われ続ける。今度は騎馬武者が弓を放った。


「だめだ!」

「内田かがめ!かがんでよけろ!」


 備中と戸次叔父が悲鳴を上げる。その声が届いたのか、内田は後方からの矢を寸前で躱した。


「叔父上!内田はよけました!まだ生きています!」

「おお……」


 賛嘆のため息をつく戸次叔父。内田はもはや舞に用いていた衣も笛も投げ捨て、扇子だけを握りしめて全力で疾走している。恐らく視線に救援に出た由布と安東が映ったのだろう。しかし、攻撃が当たらなかった事に業を煮やした敵騎兵が左右から回りこもうと急速接近し、


「ああ!今度こそだめか!」


 戸次の陣から再び悲鳴が上がる。左の敵騎兵は槍、右の敵騎兵は刀を手に、内田に並んだ。当然繰り出されたのは、槍であった。


「ひい!ひいい!」


 内田の悲鳴が戸次の陣まで届く。刃先が標的の背中を突き刺す寸前、つんのめった内田は前方転回、また寸前で攻撃を躱す。槍騎兵はそのまま通り過ぎていく。が、刀騎兵が一撃を振りかざす。態勢を崩している内田には、躱す余裕は今度こそ無かった。由布と安東も間に合わない。


「南無三」


 その声がした方をみると、いつの間にか戻ってきていた鑑連が目を瞑って祈っていた。ひ、ひどすぎる。そう憤った瞬間、刀騎兵が揺らいだ。袖に矢が突き刺さっていた。さらにもう一本、袖に当たった。


「おお!」

「十時殿だ!」


 歓声が上がる戸次の陣。備中にはワカらないが、どこかから十時が矢を射かけているようだ。さらにもう一本、刀騎兵の袖に矢が当たり、戦意を喪失した刀騎兵は逃走を開始した。戦場に取り残される愚は避けたい槍騎兵も逃げにかかるが、土産として槍を内田へ向けて投げ放った。しなりながら穂先を先頭に内田へ向かっていく槍を、内田はまた寸前で躱す。これまでで最大の歓声が上がった。


「素晴らしい!内田左衛門尉!」

「さすが近習筆頭!」

「左衛門!左衛門!」


 戸次の陣から左衛門が連呼される。どうやら十時は逃げにかかった槍騎兵に向けてさらに矢を射かけ、左右の袖に矢が刺さっていた。


 由布と安東に保護され、大歓声の中、無事に帰陣した内田を、幹部連は褒めたたえる。由布、安東、戸次叔父、戸次弟の順に、


「……危険な仕事を良くやり遂げたな、もう大丈夫だ」

「申し訳ない!敵の追撃を、甘く見ていた。この通り堪忍してくれ」

「近習筆頭の面目躍如だな、殿もお喜びだろう」

「近習筆頭の面目躍如だな、殿もお喜びだよ」


 真っ青な表情でふらつきながら、鑑連の前に復命する。崩れ落ちるように片膝をついた内田へ、主人鑑連は、


「役目大義」


 そう言うと陣中奥へ去っていった。呆然とする内田に、備中は語り掛ける。


「スゴイじゃないか左衛門、あの殿が、役目大義、と人を褒め称えたよ。こんな光景を死ぬまでに見ることが出来るなんて。殿も感動しているんだよ!」

「そ、そうかな……」

「そうだよ!スゴイよ!さすが我ら近習衆の筆頭だよ!」

「そ、そうか……」


 それだけ呟くと、恐怖と緊張の末の安堵の余り、内田は気を失い、今度こそ崩れ落ちた。それを支える森下備中は内田を休息所へ運びつつも、主人鑑連の感動は本物だ、たぶん、と同僚の活躍を素直に褒め称えるのであった。



 翌日、田原民部がまたやってきた。その手には矢があり、


「備中。この朱書の文言。考えたのはそなたか?」

「い、いえ。誰がと言うものでもなく、家中一同で談義の末に……はい」

「そうか。先日、追撃してきた武者が落としていった矢だが、上手い宣伝方法を考え付いたものだ。感心するよ。内田はいるかね、とりあえず無事と聞いているが」

「いやっ。えー、昨日の疲れのため、まだ寝込んでいます」

「ならこの矢はそなたから内田に渡してくれ」


 無表情でそう言うと、去っていった。恐らくは、田原民部なりに健闘を称えてくれているのだろう。矢には小さく朱書きされた文言が確認できている。備中がこの出来事を、主人鑑連に報告すると、


「クックックッ……上手く行ったな。田原民部ですら感動を禁じ得ないのだ。安芸勢はもうワシの名を忘れんだろう。和睦の後、連中故郷へ戻って、ワシの噂をするに違いない」


と、実に嬉しそうに笑い続けて曰く、


「本音を言えば、矢文にしたかったが。紙も勿体無かったしな。事前にこの効果の程がワカっていればなあ!次回は紙でやろう、いいな備中」

「はっ。この矢を内田へ渡しても……」

「そうしてやれ」

「はっ!」


 こうして、戸次鑑連による門司城兵への年始参りは完了した。

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