第86衝 連戦の鑑連
松山城の南東の海岸、上毛郡(現豊前市)に安芸水軍が上陸したとの急報が入り、戸次家の幹部連も戦況を噂し合う。
「退路を断たれはしないかな」
「展開中の田原常陸様が迎撃に入る。まず大丈夫だろう」
「つまり、我々は水軍を封じられたという事になります」
「そうか、それが敵の狙いか」
ちょっと冴えていた内田の分析に、皆が手を打つ。
「奇襲には奇襲で返して来たのか。安芸勢は戦上手だな」
「さすが、厳島の勝利者ということか」
「しかし、もう安芸勢なんて呼べないぞ。その支配領域は周防、長門、備後に広がっているし、伊予の水軍衆も毛利家の旗に従っている。圧倒的だ」
「毛利家、か。かつての大内家に匹敵するな」
「動員できる兵力はもうそれ以上だよ」
「宗麟様が家督を継がれた時には、毛利なんて豊後でも全く無名だったのに」
「確かに、大内家の遺産を相続したとはいえ、歩みが速すぎるな」
「そんな相手に、我々は勝てるのだろうか」
「勝たなければ!負ければあっという間にお家が滅びるぞ」
危機意識を共有する戸次家幹部連、その言葉に皆が一様に頷く。寡黙な由布すらも。
「それにしても、殿が吉弘様を支える、と断言してくれてよかった」
「全く。これで国家大友も団結できる……備中、お前は立派なことをしたと思うぞ」
「はっ!ははっ」
戸次叔父に褒められ、照れかしこまる備中であった。
松山城攻めは継続中であるが、ある時、大友方は軍を大きく二分した。といっても大半の側と、規模の小さい側とに。そして、小さい側は橋爪殿に委ねられ、大友方の大半が北上を開始した。行進中の隊列に、噂が飛び交う。
「おいおい、松山城を放置してどこ行くんだ」
「門司を攻めるらしいぜ」
「正気かよ。松山城にだって手こずっているのに」
日々の試練を乗り越え、情報収集のための耳に徹してきた備中、隊列に流れる噂を鑑連に報告する。
「緘口令がでていてな」
「吉弘様からでしょうか」
「そうだ」
素直な鑑連に仰天する備中。そこまで吉弘大将に万事を任せるのか。目標地点の噂だけがひんぴんとする内に、部隊は企救郡の山中に差し掛かった。備中は由布が鑑連へ助言している姿を見た。
「……山路は愚策かと」
「もちろんだが、大将殿の戦略だよ」
山中を進む事を主張する吉弘に、鑑連は強いて反対しなかった。やりたいようにさせ、要点だけ抑えればそれでよし、としたのだ、と備中は妙に納得した。確かにこのやり方なら、主人鑑連は謙虚な人、という評判を得るだろう。
鑑連案の定か、大友方は企救郡の山中で警戒中の門司城兵と遭遇し、戦闘が始まる。すると、鑑連はいきなり元気になって配下へ告げる。
「よーし、ワシらの出番だ。思う存分蹴散らすぞ」
「はっ」
「安東。先鋒だ」
安東はニヤリと笑い、
「承知いたしました。もう何度目かのこの山路。満足のいく結果をご覧に入れます」
「よしいいぞ。次いで内田、十時、鑑方の順だ。無様な同輩たちから最前線の列を奪い取れ!」
鑑連は配下の隊長たちを解き放った。それは自身の不満をぶちまけるが如く。敵が待ち伏せをしていたとは言え、それを予期していた戸次隊は気合も乗って進撃を続ける。門司城に至るまでの隘路を敵よりも熟知している彼らは、要所を確実に抑えて、効率良く敵を打ち倒す。特に、先鋒安東率いる部隊が会心の働きを見せ、
「敵の隊長を討ち取ったぞ!」
「こっちもだ!隊長の首を刈ッ斬った!」
「敵は総崩れだ!追撃しろ!」
隘路にどんどん空間が広がって行く様を見て、鑑連は大笑いする。
「クックックッ!」
連絡将校たる備中は鑑連が喜びそうな情報を得て戻ってくる。
「申し上げます!安東隊、城代の他、門司の守将を幾人か討ち取りました!」
「クックックッ!安東め!ヤマを当ておったわ!」
「好戦的な内田あたりが城を落とす機会だと、騒ぎ始めるかもしれませんな」
「クックックッ……クックッ……」
戸次叔父の言葉に徐々に笑いを鎮めて行く鑑連。
「城代を討ったか……イケるか……?いやしかしそれでは……」
不意に独り言ちる鑑連の心中を、備中は正確に把握できた。それで門司城を落としてしまえば、吉弘の名声が大いに高まってしまうし、それを背後で操る筆頭老中吉岡に、自分は勝てなくなってしまう。主人鑑連ならば、それは避けるだろう。
珍しく鑑連が判断を留保している間にも城下に展開しはじめる戸次隊。きっと鑑連の考えは、城を如何に攻め落としてそれを自身の功績にするか、つまり吉弘支援を打ち切る方向に進んでいるのだろう、と備中はさらに予測する。が、悪い情報が二つ飛び込んできた。
「城代は討ちとりましたが、安芸勢方の郡代が改めて城代を兼ねると宣言しています。敵の士気が高まっています!」
「ほほう。気骨あるヤツがいるものだ」
「そしてたった今し方、松山城包囲陣からの使者が吉弘隊本陣へ入ったとのこと。それによると、背後の橋爪隊が押されており、至急救援を乞うとのことです!」
「その使者の身分は確認したか?偽情報ではないな」
「はっ!橋爪家ご家老の一人に間違いないそうです!」
「よし、吉弘の陣へ行くぞ。備中ついてこい」
「は、はっ」
門司城前。吉弘の陣。戦闘中でもあり、陣内は落ち着かない様子の武士達が、戸次鑑連の登場を驚いて見ている。いくらかの警戒心があるようだが、功績比を考えれば無理もない。一切の遠慮なく、吉弘の前まで進む鑑連。備中は身をかがめてついて行くしかない。
「戸次殿、松山城を囲む橋爪隊が、押されている」
「伊予守、松山城まで下がるべきだ。理由は二つ、退路を失う不利は大きく、戦闘続行が困難になる。また橋爪はそなたと同じで義鎮公に大切にされている近習衆だ。同僚を見捨ててはいかん」
「しかし、撤退となれば追撃を覚悟しなければなりません」
「退路の確保はワシが引き受けよう」
「……戸次殿」
「どうする」
「では、お願いいたします」
簡潔だが相手への礼儀を保った鑑連の振る舞いに、備中は感動を禁じ得なかった。殿がついに仁義の領域に到達したか、と。急ぎ戸次の陣へ取って返した主従。最前線に出て不在の安東と内田を除いた幹部連を前に、鑑連は緊急の軍議を開く。
「松山城へ戻る」
「はっ」
「退路を守るのは我々だ。が、これまでと同じようにやればいい」
「我ら、企救の山中はもう知り尽くしております。追撃など必ず返り討ちにしてやります」
「そろそろ安東と内田が戻ってくる。後衛担当は由布と十時だ」
鑑連は戸次叔父、戸次弟、由布、十時、最後に備中を睨めつけると、ニヤリと笑った。
「戦場で慈悲を施す、か。こういう楽しみ方も確かにあるもので、それは認めよう。これでいいか」
「はっ!?いえ、あの、その」
「何をうろたえる。全て貴様の言う通りにしてやったというのに。それに、近頃は何やら嬉しそうではないか」
「せ、僭越ながら」
「別に良い。貴様が何を言おうと、選択し行動をしているのはワシなのだからな。クックックッ」
「……はっ」
「だがね、備中」
「ひっ」
それは久々の悪鬼面であった。見るもおぞましき。
「この大いなる友好の結果が悪しきものになれば」
鑑連が立ち上がり、一歩、一歩と備中に近づく。恐怖のあまり腰を抜かし、へたり込んでしまう備中。悪鬼はその怯えきった目を覗き込み、パカ、と口を開いて言った。
「ワシは貴様を捻り殺してしまうかもしれん」
刹那、森下備中は僅かに痙攣し、意識を失った。




