第83衝 進撃の鑑連
豊前国、企救郡、大友方軍勢集結予定地。
「なんだと、吉弘がまだ到着していないと」
「はい、豊前で叛乱中の諸城の攻略に手間取っているようでして」
「使えん!」
指揮杖を蹴飛ばして叫ぶ鑑連。由布が消火の水を向ける。
「……いかがなさいますか。本隊を待つか、我らだけで門司へ攻めよせるか」
勝負は鞘のうちにあり、とも言えるのでは、と、先日石宗相手に吉岡批判を展開した備中は先に進むべきと好戦的な考えに執着していたが、普段は寡黙な由布も、積極策を進言している。
「……今回出雲勢と時宜を合わせたためか、安芸勢の準備は整っていないはず。しかしそれは、彼らが守勢に入っている、と言う事で、我らからすれば困難な城攻めが続く恐れがある、ということでもあります」
静かな話ぶりだが、常より明らかに多い言葉数に、幹部連だけでなく鑑連も傾聴している様子だ。
「やはり門司勢は出てこないか」
「……そのままでは。ですが、誘ってみる価値はあります」
「よし、任せよう」
「……はっ」
こうして、永禄五年の門司攻めは、由布の立案によってその火蓋が切られた。
「申し上げます!山間の地にて、門司城兵が由布様部隊へ攻撃を開始!交戦状態に入りました!」
「よーし、我々も予定通り進軍するぞ」
元気よく指揮杖を振るって命令を下す鑑連に、速やかな動きを見せる戸次隊の面々。連絡将校である備中はこんな時誰よりも忙しいとはとても言えないため、身の回りの雑事を片付けながら、
「由布様は凄いなあ。一体どうやって敵をおびき出したのだろう」
と独り言ちる。それを耳にした主人鑑連、備中を呼び、
「特に命じる。このまま由布の隊へ合流するように」
「え!」
「なんだ」
「い、いえ失礼しました。はっ!承知いたしました!」
本心は海沿いを進む戸次隊本隊に付いて行きたかったが、あえて危険な路を進むのも自身の経験のためにも良いかもしれない。それにきっと主人から下僕への、知見を広げる事も大切であるからして、という含蓄があったのだろう。無理矢理そう判断した備中は颯爽と馬を駆けさせる。思えば、鑑連の信頼厚い由布は、別働隊作戦を実施するときに常に片方の責任者を任されている。これは自分にも当てはまるのかも……と自惚れにニヤニヤしながら。
「うわっ!」
山間の戦場はニヤケ面が痺れるほど凄まじかった。寡兵を見つけたぜ、とばかりに門司城隊が凄まじい勢いで由布の隊を攻撃していた。武具の衝突する音、特に激しく、
「こ、この中から由布様を見つけるのか」
徐々に戦場の様相が掴めてくると、狭い山間部にあって比較的展開できる空間に陣取った由布隊は、圧倒的ではないが、かなり有利に戦いを進めていた。兵数で勝る敵に対して正面左右から攻勢を行えている。
これは邪魔をするべきではない、と考え戦場の一角でジッとしていると、由布の副官に発見され、馬上で指揮を執る由布の下へ案内された。
「……おや備中。どうした」
見れば甲冑に返り血の飛沫があり、場違いな己を恥じる森下備中。素直に、本隊が移動を開始している事を伝えると、
「……そうか」
と頷き目で何か合図した由布。旗持が物言わず備中の甲冑に由布隊の旗を括り付けたかと思うと、状況を理解できぬ文系武士をよそに大声で号令を出す。
「作戦は無事遂行中!敵を押し出したこの先で、本隊と合流をする!」
「おお!」
腹まで響く声で応じる由布隊の兵士たち。その鳴動に事実を悟ったのか、あるいは本隊の動きが目に入ったのか、おびき寄せられたと恥と怒りに満ちた門司城兵も果敢に前に出てくる。しばらくすると、由布の的確な指揮と戸次兵の気合が入った攻撃により、なぎ倒されて行く数が増えた門司城兵、引き始めた。敵の法螺貝の音が響くや、負けじと由布が号令を発した。
「このまま進軍!追撃を躊躇うな!行く先は門司の城一つ、かかれ!」
低いが良く通る声の由布は手足の如く隊を操っている。間近でそれを見て、感激の備中。ふと、
「大将と侍大将という違いこそあれ、由布様は殿よりも指揮が上手いのでは……」
という印象すら持つに至った。
追撃に次ぐ追撃により、山が開けた。去年の秋以来の門司城が懐かしく目に映る。その後ろには関門海峡がある。
怒涛の勢いで門司城へ迫る由布隊の左手側から、戸次隊本隊が速度を速めて進軍しているのが見える。門司城兵は、由布に誘導され出張ってしまい、手痛い追撃を受けているのだ。これはもしかすると、城を落とせるのではないか。
だが、そんな熱い感情を冷やす何かが脳裏をよぎる。それは、前に石宗へ啖呵を切った発言そのものであった。
戦場で熟考する森下備中。今、門司に戦場を生み出したのは戸次隊だ。そも門司城を落とすには数が少なすぎるが、そんなことは吉弘率いる本隊の遅れがワカっていた時点で、鑑連は承知していたはずだ。
「この攻勢が唯一の機会を狙ったものだとして、でもこれがしくじればどうする。速やかに兵を下げるしかない……か」
ここで備中は一時戸次本隊に戻った。彼の指示で動かすことのできる連絡兵達に指示を出すためだ。
激闘が続く門司城。包囲戦ではなく、突撃に近い攻勢が展開され、最前線では由布が果敢な指示を出し続けていた。
敢えて最前線へ戻ってきた備中が目にしたものは、由布の指揮下、恐れるものを無くした兵達の高揚である。誰もがやる気だった。
「素晴らしい……」
由布の指揮がである。馬上の指揮官に賛嘆の眼差しを投げかける備中。と、同時に、
「このまま攻める?勢い続きますか?」
という視線もフフンと投げかける。誰よりも冷静に全てに気を配っている激動の時間の中で、由布は備中の視線にすぐ気がついた。
「……」
寡黙な由布は何も言わない。がその目は豊富な感情に彩られている。馬上の武士が示した真摯な美しさに圧倒された備中、目から心の奥底まで、覗かれた気がして、恥じらい思わず目を伏せた。が、ここは戦場だ。すぐに顔を上げると、由布が微かに微笑んだ。少なくとも備中の目にはそう見えた。
攻勢が限界に達する前、由布は法螺貝を吹かせる。中にいなければワカらないだろうが、部隊の前衛が一歩前進すると、後衛が下がり始めた。
「後退開始!」
ここからが備中の仕事である。彼は配下の連絡兵を走らせる。由布隊の右背後に居る隊に道を開かせるためだ。
静かに下がった由布隊後衛の位置に、安東隊が滑り込んだのを見た備中。残る由布隊の動きを注視する。由布が無鉄砲な指揮官でなければ、兵を無駄死にさせる事は絶対にないはずである。
由布ならば絶対に、という確信が備中にはあった。思えば、由布との会話は極めて少ないが、付き合いは主人鑑連同様長いのである。経験によれば、由布は人格者であるはずであった。由布が法螺貝を吹かせる指示を出そうとしているのが見えた。備中は直ちに残る連絡兵を走らせる。
果たして、由布は見事に前衛を下がらせた。自分自身は最後まで最前線にありながら。由布隊に代わって安東隊が最前線に立つが、城壁絶対死守の安芸勢には豊富な増員があるはずなのだ。きっと由布ほどではないにせよ、安東も優れた隊長である。鑑連からの指示もあったのだろう、そのまま戸次隊は門司城前から離脱した。




