第80衝 得度の鑑連
「義鎮公が頭を丸めたらしいよ」
「え!」
「ホントホント」
「な、なんで」
「ワカらん。きっと思うことがあったのだろう。入道後の法名で自身を呼ぶよう、求めているらしい」
こいつ、本当の事を言っているのか、いい加減な野郎なのでは、と思わないでもないが、そんな直裁的な判断は捨てぬまま真偽を探る会話術くらいはもっていると自負している森下備中。
「私の殿からはまだ何も聞いてませんが……その、吉岡様はもう呼称変更の要請に従っていらっしゃるので?」
戸次家より吉岡家が上、との意識をくすぐると、この門番の兄は簡単に乗ってくる。優越感を丸出しに、
「そのようだな、最近はしきりに宗麟様と」
「ははあ、法名ですか。どう書きますか」
「こう」
「ソーリン様」
「そう」
吉岡邸への使いっぱが終わり、門をくぐる森下備中。すると来た時はいなかった門番を見つける。
「やあ、交代かね」
「やあ備中殿、いつもの使いっぱかね」
「まあね」
毎度この門番とは不思議と気が合う備中、門番兄から聞いた話を振ってみる。すると、残念そうな顔で、
「義鎮公だったら吉利支丹宗にご宗旨替えされると思っていたのだがなあ。予想が外れたよ」
「南蛮人ご寵愛は有名だもんね。確かに意外かも」
「まあ南蛮の僧侶達は相変わらず厚遇を許されているし、面会希望も通りやすいようだがね」
備中の記憶では、何かあれば手で特徴的な仕草をしてしまうこの門番は間違いなく吉利支丹宗徒だ。吉岡が知らぬはずもないだろうが、義鎮公が贔屓にしている宗派であれば、それが海のものとも山のものとも明らかでなくても、受け入れる。吉岡様も結構太鼓持ちの才能があるね、と独り言ちる備中。
「なに?」
「いいや、なんでも。あんたきっと出世すると思うよ」
「?」
戸次邸。
幹部連の定例会合では、義鎮公の得度について話が盛り上がる。
「よほど苦しい事があられたのだろうか」
「そりゃそうでしょう……門司の敗戦で、老中二人が生きて帰ってこなかったし、毛利元就には約束不履行でコケにされ、筑前豊前は虫喰い状態。今や九州探題の地位も名目だけのものに戻ってしまいました」
「備中」
うっかり全てを述べてしまい、戸次叔父に嗜められてしまう。が、珍しく、寡黙な由布が備中の発言を支援に来る。
「……家督継承時の経緯もある。どうしてもお心に思う所があるのだろう」
「うむ、それはそうだな」
「……」
由布の言葉には力がある。ほっとしていたら、内田が余計なツッコミを入れてくる。
「しかしそれはもう十年以上前の事ではありませんか。普通気にしますかね」
「義鎮公はあまり普通の考えが当て嵌まらないと思うぞ……兄上に聞いている話ではね」
戸次弟がそう発言する。
「確かに、どんな経緯があろうとも、大きな事をしでかしたのは間違いの無い所です」
「そうだけど、もう昔の話さ。直接的な原因はやっぱり備中が最初に言っていた、門司の敗戦、ご老中二人の不幸ではないだろうか」
安東と十時がそう話すと、俄然盛り上がってくる。由布は寡黙なため議論にはあまり参加しないが、備中は妄想癖によって適当に相槌を打つに留めていた。どうせ、内田と戸次弟が話を引っ張っていくのだ。会話の盛り上がりを感じながら、森下備中、戸次家幹部連の親密さ、結束の強さを感じるのであった。世には全く世間話や政策論争すらない家臣団もあるらしい。この活発さは貴重である。
いきなり襖が勢いよく放たれた。そこには鑑連が屹立していたのだが、いつもと様相が一変していた箇所があった。
「と、殿」
その頭上には髪の毛がなかった。常々歳に不釣り合いな立派な黒髪がフサフサとしていたのに、一片のかけらすら見当たらない。驚愕の備中、思わず鑑連の下へ駆け出す。
「殿、お気を確かに!」
「たわけ!」
悪鬼足払いの直撃により、備中の体がくるりと回転する。宙に浮いた感覚の後、背中を床板にしたたか打ち付けた。
「いたたっ!」
「皆の者、ワシは取引をしたぞ」
「は、はっ」
「はっじゃないわ!義鎮めと取引をしたのだ!ワシはな!」
「と、殿!」
「構うものか、とにかく、ワシは義鎮との取引を約定に導いたぞ。成果は、此度出陣に際しての完全なる部隊の独立。これで門司城を必ず奪い取って見せる!」
それだけブチ撒けると、鑑連は勢い良く去っていった。
唖然とする幹部連。戸次叔父が年長者の習いに従って沈黙を破り、備中を向いて言った。
「何事か、調べて来てくれ」
「はっ」
臼杵の老中達の家々を走り巡る備中。そうして明らかになったことは、
吉岡と鑑連、二人の老中が頭を丸めて得度したことを知らぬ者は無く、臼杵の民衆すらもう知っていること。
他の老中衆もそれに続いていること。
他の重臣達もそれに倣っていること。
その陪臣達もそれに従わざるを得ないでいるらしいこと。
そして、この奇妙な現象の発端は、間違いなく義鎮公の出家にあるらしいこと。
それだけ調べた時、武家屋敷の辻で石宗と出会った備中。
「よう、多忙だな」
「ちょうどよかった」
備中、石宗に丸剃騒動について尋ねると、
「なるほど。それがしは事情を無論存じておる」
「え!この騒動の謎を解けるのですか!」
「はっはっはっ!まあな」
「ぜひ教えてくださいよ!」
「では、それがしが明日、戸次邸で説明しよう」
翌日、緊急で開かれた会合にて幹部連を前に石宗、解説を行う。
「今、森下備中が話した現象について、概ね事実……付け加えると、他のご重臣もみな、頭を丸め始めており、志賀安房守様、田原常陸介様、臼杵越中守様、等など」
驚嘆と呻きの声が部屋に広がる。
「なんという事だ。我々もそれに倣わねばならんのか」
「そなたはまだ良い。私などこの歳で剃ったらもう髪が生えてこないぞ」
嘆く戸次弟と戸次叔父。
「ふふふ、まあそれに倣うかどうかは各自の御判断ということで。しかし、そもそもの義鎮公、もとい宗麟様はある先達に倣った。これが真相です」
「それは?」
「甲斐の武田晴信公」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ははっ」
「せ、説明してくれ。何故遠い甲斐の国主に倣われたのか」
話の前に情報通と自己評価した石宗によると、御家騒動、家臣の混乱、度重なる戦争、凶作による税の未納を一度あらゆる意味から全て清算するために、甲斐の武田殿は出家して得た信玄という法名を活用しており、これが上首尾に進み武田家の名声は天下に響いている。故に、落髪入道は嘉例である、というのがこれまた情報通を自認する義鎮公の認識だという。
「大友家は将軍家を通して武田家とは交流もありますから、義鎮公もとい宗麟様も大名の世情にお詳しいのでしょう」
ここで備中、前ににじり出て石宗の見解を求めようとした時、石宗が目で備中を制して、
「まあ方々、過剰に気にされない事です。戸次家の方々がどうするか、それは戸次様がご決定されるでしょう」
と話を閉じてしまった。
だが備中は満足できていない。戸次邸を出ようとしている石宗に追いすがり、その真意を問いただそうと試みた。




