第79衝 寸止の鑑連
「出兵が決まったぞ」
鑑連謹慎後、何度目かに開かれた幹部連の定例会合で、戸次叔父が意気を込めて宣言する。
「門司城の再奪取作戦だ」
「今年も出兵はあると、確信していました。安芸勢へ復讐だ」
そう笑顔を返したのは内田である。戦場での功績により出世する気をビリビリ放っていた。
「今度は雲州尼子勢に呼応して、門司を目指すことになった」
「それはまた……随分と規模の大きな戦略が展開されるのですな」
「でも、外交の事、どうせ吉岡様が糸を引いているのでしょう」
感嘆の声を漏らす安東に、作戦の出所に不審を示す十時。
「そうはあっても、この出兵により殿の謹慎が解かれる事になった。斡旋してくれたのは、吉岡様なのだぞ。その事を忘れるな」
「しかし、吉岡様が謹慎事件の発端ではないですか。素直に感謝しろと言われても、なかなか……」
戸次弟が文句を述べる。この方は一門衆として戸次叔父の意見を応援せねばならない筈なのに、怒りがそれを邪魔している様子。困った顔をした戸次叔父は、もうこの話題には深入りしないように誘導する。
「確かに思いは一つだと思う。が、殿がご指示あった栄光への思いもまた同じだ。大いに戦功をあげるぞ、ワカったな」
幹部連、平伏して了解を示す。戸次叔父、それをみてとりあえず安心したのか、話を続ける。
「軍容について述べる」
それによると、豊後から北上した部隊は二手に分かれ、安芸勢に奪われた豊前の拠点を攻める。峻険な山の上に聳え立つ香春岳城を攻める隊は鑑連が指揮を執り、交通の要衝となっている豊前松山城を攻める隊は吉弘が指揮を執る。
「また吉弘様が副将ですか」
「いや、今回は総大将だ」
「え……」
ざわつく幹部連。
「殿は謹慎明けなのだ。仕方のないことかもしれない」
「前回は総大将吉岡様、副将吉弘様で敗北した。今回は総大将吉弘様、副将が殿、という事ですな。幾分かは良くなったのでしょう」
戸次叔父の苦労を深く理解したのか、安東がその意見に同調してみせる。うむ、と頷いた戸次叔父、幹部連がこれ以上文句を口にしない事を確認して、次に移る。
「香春岳城も松山城もいずれは落ちるだろうが、今回の戦いは速さが重要になるだろう」
「つまり、東の出雲勢が安芸勢を激しく攻めたてる間……敵軍が二分されている間に門司城を攻め落とさねばならない、と」
「その通りだ」
「それは望むところですが……」
十時が懸念の声を上げる。
「水軍は如何なさいますか。数限りない敵の増援を防ぐには関門海峡の制海権を奪取しなければなりませんが……」
「それを防ぐための出雲勢との共同作戦だ」
苦々しい顔で述べる戸次叔父に、内田が楽観的な声を出す。
「田原常陸様の水軍衆があるではありませんか」
「今回も田原常陸様の水軍衆は出動する。が、前回、安芸水軍衆に敗れている。その理由を、練度の差、と田原常陸様は述べられている」
「では練度を上げれば良いではありませんか」
「それが難しいという。島だらけの海に住んでいる安芸勢は生活全てに船が関わっているが、国東の連中はそうでもない。だから、単純な技術で凌駕する事は不可能だと」
「撤退行を貫徹した田原常陸様も、安芸勢相手には弱気ですな……」
内田の生意気な発言を戸次叔父が嗜める。
「口を慎め。今やご老中に成られているのだ……よって、制海権の奪取も可能だが時限的なものという見当だ。だからこそ、速度が大切なのだ」
「はっ」
暇だったので、物は試しに素直な返事を誰よりも発してみる森下備中。そんな備中を、戸次叔父はちょっと頼もしげに見やって、
「うん、ワカってくれたか。心して戦いに臨むようにな」
戸次叔父の訓令も終わり、幹部連がそれぞれ軍事戦略を巡り情報交換を進めていると、ドン!と廊下を進む不機嫌な足音が聞こえてきた。間違いない。これは鑑連である。全員に緊張が走る。
現れた鑑連、上座に座ることもなく戸次叔父に書を突き出す。
「叔父上、ご覧の通りです」
「はっ……は……はっ?」
書を読んで大いに慌てる戸次叔父。肝心の鑑連はそのまま大きな足音を響かせて去っていった。
無言の幹部連、みな戸次叔父の言葉を待ちわびる。居心地悪そうな戸次叔父だが、ため息をつくと、しまった、という顔で背後を振り返る。幸いにも、ため息を憎む恐怖の甥はそこにはいなかった。述べ始める。
「えー。その、なんだ」
咳払い。
「先に申し伝えた戦略は取り消しだ」
「はあ」
それによると、総大将吉弘は変わらず、副将は臼杵弟という事になり、戸次隊は宗像方面から進路を東に門司を目指すこととなったという。
「……」
「殿がそう義鎮公に推薦したのだろうか」
「いや、きっと自分が吉弘様の風下に立つ事が我慢できなかったに違いない」
「それで宗像から進む、という事だろうか。まあ、なんという……」
その台詞を吐いた戸次叔父はそれ以上、発言する事は無かったが、その場にいた全員が同じ意見を持っていたに違いない、と森下備中は考える。なんという傲岸さ、と、口から出掛かって居たからである。
「しかし」
と、備中はもう一つの感想も述べてみせた。
「謹慎の身であっても、殿はいつもの殿で良かった。安心しました」
「それは確かに」
いたずらっぽく微かに笑い合う一同。小さく微笑みながら十時が戦略について意見する。
「宗像郡から攻め入るとすると、戸次隊は単体で動かざるを得ないですね。今回の主目的は豊前方面です。我らの進路には兵を割いてはもらえないでしょうな」
「うーん……」
予定の急変がもたらす影響に唸る戸次叔父。安東も心配する。
「これまで無敗の我ら戸次隊ですが、筑後の高橋勢、博多の立花勢の力を借りないワケには行かないでしょう。功績を分け合う形になりますな」
「あーあ、勝ってもいないのに。我が隊の隊長達は無敗慣れしすぎているようだ」
安東の言葉を窘めたのは珍しくも戸次弟である。
「これまでだって、だいぶ危ない橋を渡ってきた事を忘れるなよ。我々だっていつ定例会合で会えなくなるか、ワカらないのだ」
「はっ。おっしゃる通りです」
戸次弟に頭を下げる安東。この気弱で不安定な主人鑑連の弟の発言について珍しく、その通り、と手を打ちたくなった森下備中。
定例会合は続く。鑑連の執奏たる戸次叔父、性格に難がある戸次弟、寡黙な由布、善良な安東、誠実な十時、やんちゃな内田。その日備中は、彼らと過ごす時間が掛け替えのないものであると、不思議にも強く感じた。




