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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
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第78衝 心猿の鑑連

 吉岡邸。


「いやはや、まさか仕留めてしまうとはな」


 老中筆頭となった吉岡。腕を組んで困ったように呟く。しかし、本当に困った様子が感じ取れない。どことなく、いたずらっぽく楽しんでいる節すらある。


「備中、そなたの主人は恐ろしいよ」

「……」


 門番兄の話によれば、吉岡が主人鑑連をけしかけたのは明白である。よって、流石の備中もその不正義を怪しみ、返事などできないのであった。


「しかしそれにしても、あの闘いは見モノであったぞ。臨場感たっぷりの闘魂溢れる技と技の応酬だ」

「あ……一方的に主人鑑連が攻撃をした訳ではないのでしょうか」

「とんでもない。猿丸太夫も頑張っていたさ」

「猿丸……?」

「義鎮公が名付けた名前だよ」

「え……」


 嫌悪感がほとばしった備中。家督が家督なら老中も老中だ、との顔が露骨にでてしまったか、と心配した備中だが、吉岡は闘いの解説に熱中し始め、気に留めていない。


「太夫は拳を駆使して勇敢に挑んだのだ。羅刹の如き鑑連殿にね。明国では拳法が盛んだというが、実態はああ言うものなのかもしれん。弱者が強者に立ち向かうために必要なものが武道だとすれば、太夫は紛れも無く武道の才を持ち、それは天賦のものだ。素早く動いて鑑連殿を翻弄し、隙を突いて、毒ひっかき、三角蹴りを繰り出していた」

「そ、それはなんとも」


 浮き浮き調子で解説を続ける吉岡。


「だが年季の違いというものは確かにあるな。一瞬、鑑連殿が隙を見せたのだが、これが多分罠だったのだ。懐深くに入り込んだつもりが容易に躱され……後は扇子の一撃だよ、脳天にな。かわいそうな事をした」

「はあ」


 自分が嗾けたくせに、なんという恥知らずな事を言うのだろう、という顔をする備中は、今の吉岡を前にして、抑え難い侠気を自覚する。


「頭蓋がベコりと凹み、脳味噌が鼻や耳から溢れてしまっていてな。あれでは助からんよ」

「……」

「本当にかわいそうな事をした……本当に」


 だが、相手は老中筆頭だ。非難の言葉をぐっと我慢して、戸次家家臣としての役目を果たさねばならない。


「吉岡様。主人鑑連の謹慎は、いつになったら解けるでしょうか」

「ワカらんよ」

「……」

「おい、そう不機嫌な顔をするなよ。決めたのは義鎮公なのだ。そりゃワカらんて」

「では冬が明けて、安芸勢が攻めてきたら、如何ですか」


 ついに挑戦的な視線をあからさまに挑む備中。ここまでの吉岡の振る舞いに、かつての敬意が吹き飛んでしまったのか、全く恐れる事なく出すぎた真似が出来ている。備中は、安芸勢が攻めてきたら、戦場ではものの役に立たない吉岡一人で何ができるのか、という批判を目に込めている。


 無論、批判を敏感に感じ取るだろう老中筆頭吉岡。ふいと横を向いて、


「安芸勢が来たら……田原の他、高橋や立花も動員せざるを得まいな」


と嘯く。老人の不遜を前に、さすがに叫び出しそうになった備中。が、怒気を咳払いで制した吉岡、珍しくやや強い口調で曰く、


「備中。わしは戸次家の重鎮たるそなたとは諍いたくはない。だから今日はもう鑑連殿の下へ戻られよ」


 相手は老中筆頭である。大友家臣団の最高位である。さすがに身分違いを思い出した備中、平伏して部屋を去る。去り際に、


「悪いようにはせん。信じろ」


と後ろから声がかかった。振り向いた時にはすでに吉岡の姿は無く、


「殿が妖怪ジジイと吐き捨てる意味がワカったよ」


と声無き声で呟く備中であった。出口へ一歩踏み出すと、


「しかしそなたがこれほど主人思いだとは知らなかった。鑑連殿が羨ましいね」


とまた後ろから声がかかった。すぐ振り向くが、やはり吉岡の姿は見えなかった。姿の見えぬ相手に小さく会釈をして、備中は足早に吉岡邸を退出した。



 吉岡邸の庭には門番もその兄も不在で、愚痴をこぼす事も出来ず真っ直ぐ戸次邸へ戻った備中。



 幹部連の集まる部屋へ行くと驚愕の風景がそこにはあった。


 由布を除いた戸次叔父、戸次弟、安東、十時、内田が並んで正座して、彼らの前で鑑連がゆっくりと踊っている。それは十分に抑制が効いた精緻で所作なる踊りであり、


「美しい」


と素直に思えるものではあった。備中、何も言わずに末席に座る内田の隣に腰を下ろす。


 すると、庭から太鼓の音が聞こえてきた。どうやら由布が陣太鼓を打っているようだが、極端に叩かない変わった調子である。一度叩いた後、かなりの時間無音が続いている。ややあって再度一打鳴り、柔らかな音が低く静かに響いた。鑑連の心情を表しているようだ。


 鑑連の手が懐の扇子を取り出した。幹部連は皆承知している鉄扇であり、その鑑連の扱い方から、ああ、これで猿丸太夫を討ち取ったのだな、と明らかにワカるのだ。この得物は鑑連の誇りなのだ。


 静かに踊りが終わった。由布が広間へ戻ってきた。そして鑑連、幹部連へ視線を向けて所存を述べ始める。鑑連には珍しく、それはいつに無く、言葉を尽くしたものになった。


「みな知っての通りワシは謹慎の身となった。理由は、義鎮公御寵愛のクソ猿を討ち取ったからだが、この処分についてワシは怒ってはおらん。これは本当だ。何故かと言えば、あの我儘御曹司を泣かせてやる事が出来たからだ。猿の死骸に縋って泣き喚く大友家督の姿は見モノであった。みなにも見せてやりたいぐらいだ。いずれにせよ、ワシは吉岡ジジイにハメられて、かかる次第となったが、城を退出した時、ワシにあの石宗がこう言った。猿を討つ、ということは縁起が良い、と。意味はワカらんが、咒師や天道の観点からは良い事のようだ。つまり、さらに名声を高める機会に恵まれていると言う事だ。戸次家は今や豊後最大の武門。ワシを頼りに栄達を夢見る輩も増えるだろう。それらの連中を手放すな。安芸勢との次なる戦いでは、必ずワシらが中心となる。そも戦下手な妖怪吉岡の出る幕ではないが、ワシらも力を蓄えねばならんと言う事だ。指導権を奪われる心配もない。ワシの言いたいことはだな、次なる大戦の前に、めいめい十分に英気を養っておけ、ということだ。その資格は、我が戸次家にのみ備わっていると知れ。戦いで勝利すれば、義鎮公とて涙を止めて笑うしかないのだからな。良い戦いをするには鍛錬の他、思いを遂げて埒を明けねばならない。諸君にはそれを期待するものである。ワシを前にして気がひけると言うのであれば、ワシが実践してくれよう。いいか忘れるな。ワシらの栄誉ある生活は戦場での勝利で勝ち取ったものであることは決して忘れるな。それを忘れてはもはや武士ではない。武士、それは己の生活を戦場での栄光によって切り開く者共を指すと言う事を肝に銘じておけ。栄光の証はすべからく所領でありそれを得るにはつまり……」


 鑑連の話はこの後、一時以上も続いた。実に珍しい現象であったため、幹部連はみな、眠ることなく傾聴する振りはし続ける事が出来たが、 異なる事は考えていた。例えば備中は、鑑連の主張する武士の栄光についてよりも、


「吉岡様を許せる筈がなく、長演説によって、怒りを発散させているに違いない」


と声無き声で独り言ち続けるのであった。

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