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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
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第75衝 留任の鑑連

 辛く、長かった永禄四年が正月と入れ替わりに過ぎ去りし臼杵の城下。


「田原常陸のところへ行くかね」

「め、めっそうも」


 しばらく主人の下から離れ、他家の濃厚な日々の中に身を置いていた備中にとって、懐かしい日常が戻っていた。鑑連の近習としての日々は、多忙による疲労よりも神経の磨耗が堪える。が、懐かしい同僚たちと共に生きる喜びもある。


 豊後帰国の後、田原常陸が備中の献身と活躍を感謝する書を鑑連へ送ったらしく、その活躍は戸次家中で格好の噂になった。


「あの田原常陸殿が感謝の文を送ってくるとは、驚きだよ」

「ま、当家でもその働きを示すべきだな」

「……生きて帰れて本当に良かった。お互いにな」

「よく戻ってきた!……でも安芸勢との再戦は遠く無いだろうがね」

「しばらく無理は控え、体力を回復させないとな」


 戸次叔父、戸次弟、由布、安東、十時の順の声である。照れ照れ照れる森下備中に、内田が背後に迫り来て曰く、


「我々だって彦山中で大変だった……その事を忘れるな……決してな!」


 それだけ言って去って行く同僚を穏やかに見送るゆとりがあるのは、高位の殿から高評価を得た事による余裕だろうか。


 と言って日々に変化があるわけではない。扶持も役目も相変わらずだ。結局、豊前門司の戦いは負け戦なのだから仕方ない、と我が身を慰める備中。


 それに、肝心要の主人鑑連は特別な感想を何も言ってくれない。何かの声掛けをちょっと期待していた備中にとり落胆ではあったが、熟考すると変わったこともあったのた。それがあの台詞である。鑑連は、備中の業務が微妙な場合は何かと、


「田原常陸のところへ行くかね」


と返すようになった。これに恐縮するのが定例の流れになったが、主人も多少の意識はしているのだなあ、と備中しみじみと感じ入るのであった。



 門司からの生還後、主人鑑連は微妙に出世した。ある日、幹部連が集いて語り合う。


「備中。老中衆の新体制について、伝えた通り書き記してきたか」


 はい、と戸次叔父に紙を提出する備中。それによると、


 吉岡長増 筆頭、万事担当

 戸次鑑連 軍事、粛正担当

 田原親宏 軍事、豊前担当

 臼杵鑑速 筑前、筑後担当

 志賀親度 豊後南郡、肥後担当


「筆頭の田北様が戦死され、第二位だった吉岡様が代わって筆頭に。第三位の臼杵様が倒れられ、殿が第二位に登られた。また、撤退作戦で名声を得た田原常陸殿が老中昇格の上に三位へ。これは大抜擢だな。次いで、亡くなられた臼杵様弟君が老中に昇格。さらに志賀安房守様が隠居され、ご嫡男に地位を譲られた。みな、門司戦を生き抜いた方々だ」


 説明する戸次叔父に、戸次弟が厳しい顔で言う。


「祝着至極とは言えません。何故、敗北の責任者である吉岡様が筆頭になるのですか。最初から最後まで特に活躍した兄上が筆頭であるべきでしょう。功績をあげられた田原常陸殿に囮役を命じたのも兄上のはず。はっきり言って、吉岡様は役立たずでした」

「うーん……」


 指摘に黙りこくってしまう戸次叔父。他の隊長たちも同様である。こういう時に積極的に発言をする内田へみな視線を移すが、特に発言する気は無い様子。すると、視線が備中へ集まる。寄せられた期待を無下にできる備中ではない。


「……そ、そう言えば、義鎮公の時代になってからずっと地位を占めているご老中は、もう吉岡様だけになりましたね」

「言われてみれば」

「面子も若返りましたな」


 備中頷いて所存を述べる。


「義鎮公も安心を求めて、吉岡様を慰留したのかも……」

「吉岡様が辞意を伝えたとは聞かないがな」


 再び毒づく戸次弟。戸次家は先の戦いで吉岡に指揮権を奪われ、その上、苦戦を強いられ、恨みも大きいのだ。ここで良くない空気を打ち破ったのが内田である。興奮することしきりで、


「しかしスゴイですな。我らが殿は、大友家家臣団の序列二位!一国の大名よりも、有力と言えるかもしれません」

「そうだな。我ら戸次家がここまでこれたのは、殿のお働き一つによる。そう考えれば我らの殿は……」

「はい、スゴイお方です」

「ちょっと他にはいないだろうな」


 云々頷き続ける戸次叔父に、安東と十時が合の手を入れる。


「春になれば戦いも再開されるだろう。筑前豊前を完全に取り戻すためにな。殿の草刈り場と化すに違いない」


 これは幹部連に共通した意見であったが、突如これを否定する様な笑い声が響き渡る。


「はっはっはっ!戸次家の皆さま!」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


 幹部連全員が沈黙する中、石宗はくるりと備中を向き直り、期待に満ちた目を輝かせる。すると幹部連の視線も備中に集中する。この板挟みに、左と右に目をギョロつかせる備中。続く沈黙に耐えきれなくなった備中は思い切って助け舟を出す。


「い、石宗様。殿依頼の件ですか」

「ははっ」


 備中の助け舟をプイと無視し、上座にどっかりと座る石宗。さすがの備中も心に殺意が湧いてくる。幹部連の目も冷たいが、全て無視した石宗曰く、


「方々。春の戦は難しいですぞ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


 引き続き全員沈黙する。石宗は再びくるっと備中を向き直り、救いを求めた目を光らせる。するとまた幹部連の視線も備中に集中するが、先の殺意をバネに備中、多少怒気を込めて、


「もうこの流れ止めましょう。石宗様。ご用向きをどうぞ」

「ほう……洟垂れが立派になったものだ。田原常陸様の下で、良い経験をしたようだな」


 ドキッと脈が上がり、一気に強気が萎んだ備中への助け舟を、由布が買って出る。


「……石宗殿。春の出兵は無いのですか」


 にやりと石宗、由布に対して太鼓のような声を放つ。


「そう。出兵はありません。このままでは夏も厳しいかもしれない」

「な、何か起こったのですか。わ、和睦とか」

「安芸勢との和睦など!もう騙されん!」


 笑顔のまま、石宗は続ける。


「義鎮公がご老中衆との面会を避けているのです」


 幹部連ざわめき立ち、呟きが漏れ聞こえてくる。


「何故でしょうか」

「先の敗戦がご心痛なのでしょう」

「そりゃないだろ、もう数ヶ月も前の事だぞ」

「田北様、臼杵様が亡くなられたのが、衝撃だったのかな」

「お二人に任せきりだったからな」

「吉岡様と殿は信用ならんと、そう言う事でしょうか」

「まあそう言う事でしょうな」


 最後は無論石宗の発言である。また、沈黙が座を支配するが、


「当然でしょう。亡くなられた田北様や臼杵様にしても、義鎮公に対して成果を上げられなかったのは揺ぎ無い事実。さらに吉岡様も戸次様も安芸勢に勝ちきれなかったのです。義鎮公でなくとも、どうして老中衆を信頼できるでしょうか」


 沈黙が深くなる。


「義鎮公の泣き所は、申次の吉弘様を副将として抜擢したのに、これが失敗した事です。吉弘様はある意味で真のご側近。最良の手札だった。それもしくじった。そのご憂苦嗚呼如何ほどか……」


 どんどん沈黙に沈んでいく。


「戸次様が老中第二位の座を得たのは事実ですが、ははっ!」


 この発言をした内田の表情が険しく歪む。


「それが実質的なものになるかは不透明ですな。まあ方々、ご精進あれ。はっはっはっ!」


 高笑いと共に去っていく石宗。後に残された幹部連の心は強い不安で満たされるのであった。

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