第74衝 登城の鑑連
「森下殿、よく無事に帰ってきた」
「田原様」
宇佐の宮を包囲される前に、ということで送り返された森下備中とその護衛役。監視役もつけず、人質もとらず返してくれた事を見れば、宇佐の宮ももはや反逆する意思はないのだろう。
「あまり時間は無いのも事実だが、森下殿の報告は別だ。連中が何を言っていたか、全て教えてほしい」
「は、はい」
だがなんて言ったら良いだろうか。宇佐の宮は便宜を図ってほしいと言う。その為の厚遇だったはず。が、自分は老中でも当主でもなく真の大将でもない。唯々諾々と従うのが一番ではないか。
「?」
言い淀んでいる備中に、首を傾げてみせる田原常陸。その目が眩しくきらめく。
そうだ、このお方は他家からたまたま来ただけの自分を信頼して色々と任せてくれたのだ。全てを報告するしかないではないか。それが信義に応えることであり、自分が大切にしてきたことではなかったか。
備中、意を決して報告をする。
「田原様、実は私はご報告をした後に宇佐の宮へ戻らねばなりません。先方とそういう約束を致しました」
「ふむ」
「申し上げます」
宇佐の宮が安芸勢に通じていたこと。
彼らが田原常陸隊への妨害行為を画策していたこと。
しかし田原常陸が安芸勢の追撃を交わした今、悔悛して懺悔する用意があること。
田原常陸が宇佐の宮に手をかけないよう便宜を図るよう依頼されたこと。
その為に、饗応まではいかなくとも厚遇を受けたこと。
用件だけ伝えたら信義によって一度宇佐の宮へ戻ると約束すること。
「い、以上です」
「よし、ワカったよ。宇佐の宮へは私も出向く。一緒に戻ろう。連中の全てを許す」
「え!」
余りの即断にびっくりする備中。
「田原様、よろしいのですか」
「ああ」
「……例えば私を切って捨てれば、宇佐の宮を躊躇なく罰する事ができるかもしれません……」
「ははは、そんな事しないよ。戸次殿はそういう事を普段しているのかね?」
己を恥じて何も言えなくなった備中に、田原常陸は笑いながら言った。
「安芸勢を躱す事ができたのは宇佐の宮が連中と通じていたためだ。ここは彼らの不道徳に感謝しよう。さっ、急ごう」
「は、はい」
「それから、森下殿が今一度宇佐の宮に戻る必要は無いだろう。私の配下を先行させる」
呆気にとられた森下備中だが、考えざるを得ない。田原常陸隊と苦楽を共にする中で、あの当主はかなりの苦労人である事を事実として田原武士たちから教わっている。それがあの人格を陶冶したのだろう、と。
行動する時は我儘な程に容赦なくともその実、忍耐強く、寛容である。これは優れた性質で、後ろ二つが主人鑑連とは決定的に異なる、と感じた。
主人鑑連が撤退行のような辛い任務を田原常陸へ押し付けたのは、そのような性質を理解していたからなのだろうか。まず無いだろうが。
そんな事を考えていたら、宇佐の宮はもう目の前だ。馬上の田原常陸、備中を振り返り言った。
「よくやってくれた森下殿。これで生きて豊後に帰れる。感謝するよ。宇佐の宮へは森下殿も付いてきてくれ。安心という名の果実を収穫しようではないかね」
穏便に現れた田原常陸に対して宇佐の宮の神人は見事な叩頭きを示し、改めて田原常陸への恭順を誓った。その後、神人は備中を認めると、ニカッと笑って無言で会釈をした。備中個人はそれだけで満足感を得た。
田原常陸の発言通り、中津川を越えた後は、安芸勢の追撃は起こらなかった。追撃者たちがこれ以上の深入りを避けたということもそうだろうが、田原常陸隊が宇佐の宮で英気を養えたことも大きかったはずだ。
「結局、戸次隊の援軍は来なかったな」
「ま、間に合わなかったのかもしれません」
「まあ、そういうことにしておこう」
明るく笑う田原武士たち。備中、気になっていた事を質問する。
「実際のところ、佐井川での戦いはどう展開したのですか」
「噂が効いたのだろうが、敵は消極的でね。騎馬隊の小競り合いはあったが、こちらがそれに勝った後、敵も潮時だと思ったのだろう。引いていったよ」
「中津川を渡る時も?」
「ああ、戸次隊の令名のお陰だよ」
やや茶化してそう言った田原武士たちに、備中は深刻な顔をして胸中の思いを述べる。
「いえ。田原常陸様の御武勇御人徳のたまものでしょう。他に何があるでしょうか」
備中の真剣な断言にほう、とため息を漏らして感心する田原武士たち。しばしの無言の後、
「なんなら、当家に移ってくるか。殿も備中殿とは馬が合うらしいし、親しくされているから必要もないだろうが、我々で口を利いたっていいんだぜ」
それは生まれて初めての他家からのお誘いであった。その言葉に自分の目が輝いた事を、自覚してしまうほど嬉しかった森下備中。思わず、良いんですか……と呟きそうになるが、刹那胸に去来するものがあった。
由布、安東や十時たちの様な頼れる隊長たち。苦楽を共にしてきた近習仲間にムカつく内田。当家を去っていった入田の方の寂しげな後ろ姿、そして悪鬼面の主人鑑連。十数年間の思いが、備中の胸を締め付けるのだ。思い出に縛られるかのように。
ふと、石宗の高笑いが聞こえた気がした。かつての記憶が甦る。
「それがしの見立てでは、戸次様は天道に沿って進んでいます」
そう、備中にだって天道に沿いたいという欲はあるのだ。鑑連に仕えて十数年、未だに生きている。他を圧倒する活躍もしている。であるならば、天道を信じても良いでは無いか。
備中、自身の正面を見据えた。あるのは府内へ続く道だけである。道は天が切り開いてくれているのだろう。自分から寄り道をする必要はない。
自分を見つめる田原武士たちへ、備中は如何にも自分らしいやり方で返答するのであった。
「あの、その。我が主人にもいくつか良いところはあるのです。方々、信じられないような話ですが、本当でございます」
爆笑に包まれる田原武士の一行。
役目を果たした田原常陸隊は国東半島を一回りして臼杵を目指す。そこは田原家の本領であり、無事に生き残った彼らにとっては完全に安全な地であるためだ。
冬はすぐそこまで来ているはずなのに、不思議と秋の暖かな息吹が出迎えてくれている。彼らにとって夏以来久しぶりに感じる母国豊後の風であった。




