第71衝 到頭の鑑連
「この辺りが赤幡だ」
件の地、赤幡へ到着した田原常陸隊。豊前城井谷の入口に当り豊後への帰路からは外れる為、追撃側も見逃しているのだろう、襲撃もなく平穏を保っている小宇宙的山間部である。
「……あ、梨の木が。いやあ、良い土地ですねえ」
「もう冬が来るから最後の梨だ。冬に山では生きられない。よって助けられねば、橋爪殿は死ぬしかない」
「はっ」
田原常陸との会話を楽しむ備中。そこに、何かを見つけた田原武士が残念そうに曰く、
「いえ、殿。もう遅いかもしれません……」
武士が指した先には、矢が突き刺さったり、ざんばら頭を振り乱したり、見るからに落武者な集団が走り逃げ惑っている。大友方だとワカるものは身につけていないが、
「落武者狩りです」
「百姓に追われてるのか。これはもう……敗北したかもしれん」
「そ、そんな……」
がっくり膝をつく、迷い隊使者。
「騎馬隊を繰り出し、百姓集団を追い払え」
「はっ」
十数騎の騎兵が直ちに駆け入ると、百姓らは落ち武者達への暴行を止め、素早く去って行った。最初に陣にたどり着いた幸運な落武者に、田原常陸は話しかける。
「しっかりせよ。部隊はどうなった」
「ワ、ワカりません……」
「指揮官の橋爪殿は」
「ま、まだ襲われているはずです。私たちの隊は中央を急に襲われ分断されてしまって……」
「よし、全騎馬隊に向かわせろ。本陣の守備は足軽だけでいい。弓隊は城井谷側からの迎撃役として備えるのだ」
その速い決断に、的確な指示。逡巡の無い田原常陸を見て、判断力は主人鑑連以上に違いない、と感心する森下備中。
走り逃げて来る落武者の数が徐々に増えてくる。彼らを収容しつつ、休息を与え、水・軽食を与えていると、落武者衆が悲鳴を上げた。
背後に安芸勢の軍影があった。さほど視力のよくない備中にも見える。という事は、多少の距離はあっても、遠くはないという事だ。
「殿!」
「焦るな。あれは……安芸水軍の旗もあるな」
「上陸して追撃をしてきた模様!」
「焦るなよ。安芸水軍といっても、丸に上の字の旗ばかりだ。巴の旗が無い」
備中等新参者を意識してかわざわざ解説する田原常陸。
「我々が海戦で敗れた時、その巴の旗の船団がいたのだが、これが実に厄介だった。指揮官の腕が良かったんだと思うが、今はその旗がない。とすれば、敵は烏合の海賊衆。こちらから仕掛けるか」
挟撃の危機にあるのに、信じられないような事を言う田原常陸に、部下らが抗議をしようとするが、彼は発言を制することでそれをさせない。
「聞け。橋爪隊救出は武士の面子にかけて必須だ。敵の迎撃も同様だ。では敵は誰か。あれは悪名高き海賊衆、奪う事や脅す事には長けていても、我らの如く正面からの戦いには不慣れな連中だ。また、戦いよりも略奪を重視する点で、踏ん張りに欠ける。これは好機だ!足軽隊で正面から敵を破壊し、その後、戻ってきた騎馬隊が追撃をする。かかれ」
「……は、ははっ!」
命令に従い、足軽隊が前進。対する安芸水軍に目立った動きがない。これを訝しむ備中に、
「水軍は船上では動きが良いが、陸上では略奪のみに特化している。素早く動ける道理がない。これは連中と戦い敗北した結果学んだ事だよ」
北で足軽隊と安芸水軍が戦い、南で騎馬・弓隊が敗残兵を収容している。本陣はガラガラになってしまった。本陣はみな不安で一杯になるが、その度に全く動揺しない大将を見て、安心を取り戻す。かく言う備中もその口だ。北の戦場のみを見つめ続ける田原常陸には神々しさすら感じる。
こうして背後に現れた敵への動揺は直ちに解消された。しばらく後、
「申し上げます!橋爪様、無事に保護いたしました!ですが橋爪隊に負傷した者、命奪われた者多く、本陣帰着にしばらく時間が掛かります!」
「生きている者は救え、起きない者は休ませていく。騎馬隊は本陣に到着して組が出来次第、北の安芸水軍を攻めるのだ。側面からな。伝えてこい」
ぽかん、と眺めているだけの備中。その目に、次々に本陣へ運ばれて来る落武者達が映る。負傷者を運んできた馬は流石に疲れているが、組の編成次第、また戦場へ向かう。手際がいい。これは生きて帰れるのではないか……本当に。
そこに、身なりの良い武士が怪我を庇いながら運ばれてきた。それは、かつて鑑連とともに府内で見かけた貴人の一人で、備中には見覚えがあった。間違いなく、粛清された一万田家の生き残りだ。
「橋爪殿」
「た、田原殿……かたじけない。味方を何人も討死させてしまいました」
「安心なさい……橋爪殿を痛めつけた城井谷の連中!その内に仇を討って差し上げる。今は生きて豊後に帰還しよう」
「はい……」
その貴人はそう言ったきり、己を恥じたのか顔を手で覆い、無言になった。板の上に乗せられ、運ばれていく。
「橋爪隊と言っても、即席の隊だな。兵の統一があまりにも無い。色々な家の者がいる。はぐれた者、迷った者を彼が取りまとめてここまで来たに違いない。その上での負傷。義鎮公も橋爪殿をお褒めにはなっても、お叱りにはなるまい」
そう呟いた田原常陸がどこか寂しげであったからか、備中は無意識的にすかさず、
「田原様も立派な事をなさいました。義鎮公が立派な方なら、田原様もお褒め頂けるに違いありません」
と口にしていた。感情が揺れたのか、やや行間が空いた。
「……そうだな。森下殿。その通りだ」
と田原常陸は笑った。
その後、反転した騎馬隊の前進を受けて、思わぬ攻勢にたじろいでいた安芸水軍は完全に逃げにかかった。丸に上の字の旗が退いていく。
「よし、こちらも引けの合図を。ここであの敵を追撃しても意味がない。負傷者の収容を完了させ、中津方面へ進むぞ」
法螺貝が鳴らされる。後退の合図だ。
「ここから真の正念場。お互いに生きて帰ろう」
備中を振り返った田原常陸はそう力強く言った。田原常陸の本気を前に、光栄を胸に宿した森下備中、負けじと真剣な眼差しを返し頷いた。




