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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
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第70衝 山中の鑑連

 晩秋の豊前路。安芸勢の追撃は日に日に厳しくなってきた。逃走経路に当たる大友方の城代や兵が合流し、そこそこの集団に膨れてきた田原常陸隊の存在が、否が応でも目立つためだ。覗山の地で休息を取る。


「捕虜にした追撃兵を尋問しました。我らを追っている敵の数は四、五千に及ぶとか」


 陣中でその報告を受けた田原常陸隊の幹部達はみな押し黙ってしまう。揃って辛く厳しい表情になる。さすがの田原常陸も表情を引きしめるか、と思いきや、相変わらず自然体である。曰く、


「我々は囮でもある。これは戸次殿の依頼通りだ。兵どもには言えないけれども」


 それを聞く臨時侍大将の森下備中が辛い表情をしている様に気がついた田原常陸、話を微妙に変えた。


「敵を全て引きつける事ができれば、揺るがぬ大きな功績になる。それを上手く兵どもに伝える方法を思いついたら、教えてくれ」


 備中は頭を回転させるべく気合を入れる。何か有用な提言ができないだろうか。これまで、主人鑑連にはしてきたではないか。



 結局、田原常陸が備中に依頼した、潜在的敵性城主らへの説得は失敗に終わっていた。いくつか回った城中には既に安芸勢の使者が入っており、彼らは無闇に備中を害したりはしなかったが、


「我が毛利の大軍はそこまで来ているぞ。あんた生きて帰れたらいいな。ここで降伏するというのなら、身の安全は保障してやってもよいけど」


と言い放たれ、這々の体で退去するしかなかった。田原常陸は空手で帰ってきた備中を叱ったりする人物だはないが、備中自身は忸怩たる悔しさを感じた。


 何とか田原常陸の役に立ちたい備中だが、逆転の発想も、ズレた着想も現れない。今の所、全く貢献できていない嘆かわしさに胸焼かれる思いで今日も敵襲の声を聞く備中。陣の外から悲鳴と雄叫びと歓声が聞こえてくる。


「今頃殿は彦山の下辺りを強行軍しているのかな……それも辛いなあ。負け戦か」


 そう考えれば少しは気が楽になる。これは負け戦の処理なのだから、辛いのは当たり前、功績が上がらなくたって良いではないか、せめて生きて帰ろ、という気持ちだ。


 ちょっと楽な気持ちになりかけた備中、刹那、心臓がドキリとした。そして後ろを振り返る。


 そこには誰もいない。


 いないのだが、主人鑑連の気配を感じた。いるはずはない人の気配、それは備中の心の中にいる鑑連の気配というべきであろう。そんな己に苦笑する。


「良く躾けられて、ここまで来てしまった」


 電光石火で飛んでくる鑑連の叱責あるいは無言の圧力を思い出し、妙な安心感を背に発想を巡らせる備中であった。



 備中が着想を得る間も無く、彼が駆り出される事案が発生した。山中を進むはずの本隊から別れた小隊が、田原常陸隊の方角を目指しているという知らせが入ったのである。安全確認の為に先行していた小隊の兵が田原常陸の陣へ飛び込んで来たことによる。


「私は吉弘隊に所属していた橋爪家の家人です。私たちは本隊とはぐれてしまったのですが、多少豊前の土地を知っている者の案内、さらには赤幡城は大友方だという情報と田原常陸様のご活躍を百姓どもから得て、隊はここより南の山間をこちらへ進んでおります」

「諸将の本隊はどうしている」

「恐らく彦山の麓を進んでいるものと思われます……」

「それも散り散りになりながらか……敵の追撃はどうであったか」

「はっ、厳しい山道を選び、さらに敵地にあっては田原常陸様のご活躍が盛んに報じられたためか、本隊を追撃する者はさほど多くはありません」


 ほほう、と小さな歓呼があがる陣内。ここで、田原常陸自ら声を発す。


「では、こちら豊前路が最も危険というワケだね。しかし赤幡城が我らの味方、という情報は偽りだ。赤幡という土地はあるが、そこに兵が入るような城はない」

「ええっ!」

「そなたからして、既に赤幡を通り過ぎている。これは罠だよ。あの辺りの連中は私のことをとことん憎んでいるだろうからね」

「……!」

「他の城も同様だ。数年前に豊前を平らげた時、私は厳しい手法を数多く選択した。だから連中は危機にある我らをなんとかして仕留めてくれよう、と知恵を絞っているはずだよ」


 この話は備中も初耳である。なるほど、豊前の城主達は田原常陸に怨みを持っているのか。この武将から稀に感じる諦念はそれに由来しているのか。主人鑑連の狙い通り、囮として最も適任だろう。


「赤幡の地へ向かわせたのは、何者かの調略だ。向かえば皆殺しにされるぞ。そなた、我らの方へ来たことは幸運だったな」

「で、では……どうすれば……」

「急ぎ戻り、赤幡は避けて進むか、道を引き返すか、伝えるしかあるまい」


 するとその兵は悲痛な声を絞り出した。


「季節はもう冬間近にございます。負傷した者も多く、食糧も不足気味。山の中に引き返せば、確実に命はありません」

「……」

「……」

「何卒お助け下さい。何卒……」

「そちらの隊はいつ動き出すのか」

「私が出発してから二日後という手筈でしたから、昨日には動き出しているはずです」

「赤幡に向かい、囚われる前に合流し、追っ手を蹴散らす他ないな」

「あ、ありがたき幸せ……」

「隊の指揮官の名は」

「はっ、橋爪美濃守様です」

「なに」

「なぜそれを最初に言わない!」

「はっ、ははっ!」


 備中だって知っている人物である。恐縮する兵の姿に、いつもの自分を見ている気になった森下備中。


「橋爪殿は大友宗家を怨んでいるんじゃないかね」

「もし敵意を持っていれば我らを嵌めるつもりなのかもしれません」

「容易には動けなくなりましたな」


 事情を少し聞いている備中も頭の中で整理を開始。かつて討伐された一万田兄弟、これには主人鑑連も関わっているが、その兄貴の方の倅。これが不吉な家名を捨てて結構な名門だった橋爪名字を継承しろ、と義鎮公に指示された、という事情があったはずである。敢えて卑屈を選択した橋爪殿が、今更裏切るだろうか?


 懐疑的な備中。ここで主人鑑連の言葉を思い出し、得た直感を田原常陸に進言する。


「主人鑑連の話では、落ち込んだ家名を救うために、死ぬ思いで奉公をしている、との事でした。それなら、調略に嵌められている可能性が大ではないでしょうか」

「戸次殿自身はなんと言っていた」

「え」

「今のは戸次殿の言葉を森下殿の言葉に直したものだろう。戸次殿は直接、橋爪殿の事を何と言っていたかな」


 言い淀んだ備中、周囲をキョロキョロして、


「そ、それでは失礼して……」


と田原常陸の耳元に手を当てた口を近づける。ふんふん、と耳と顔を傾ける田原常陸に、なんとか聞こえないもんかと体を傾ける武将達。緊張しながら単語と言葉を囁く森下備中。重厚な武将の首をした田原常陸の横顔を見て、より一層緊張する。


「い、いいい、イヌ、と」


 秘密の言葉を聴いた田原常陸、苦笑して俯いた。そして一同に伝えた。


「橋爪殿は絶対に裏切らない人物、と戸次殿は判断しているようだ。今回、我らは戸次殿の依頼によってこの地にいる。であれば、その意向に近い道を取ろう。橋爪隊を救援に行くぞ」


 武将達は顔を見合わせつつも、自分たちの大将が下した決定を受け入れ、一斉に返事をした。


 苦難の中で善行を拾う。これは純粋に良い事ではないか、と士気高める備中であった。また、自分の記憶が行動の指針になったことが喜ばしかった。

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