第62衝 勘査の鑑連
自陣へ帰還した鑑連は、忍び近づいていた安芸勢撃破の戦績を陣中にて派手に吹聴させた。
「お前たち、世間話をするにしても勝利の話をまずしてから、と心得るように」
「はっ」
「クックックッ!」
以下は戸次弟、由布、内田の言葉である。
「生きるも地獄、死ぬも同じ。ちょっと有り得ないまさかの戦いだったよ……ところで田原隊の諸君、ご機嫌は如何かな」
「……聞いた話とは言え、完勝のなんたるかを知れたことは幸いであった。うむ、巡回ご苦労」
「私は比類ない功績をあげた!感状も早速頂いたのだ!ああ、ああ!」
一回ならまだしも、常識に欠ける点も無くはない戸次弟と内田の言動は、他家の人間に白眼視された。もっとも、二人とて命令に従って行動しているに過ぎない。
とは言え、勝報の効果はあり、全体の士気は確実に上がったのだ。断続的に接近してくる安芸の船団との戦いにも、熱が入るようになる大友方。一攫千金、次の武勲を求める命知らず共が活発に動き始めると、予想だにしない人物にまで影響が及ぶ。
「備中」
「はっ」
鑑連の前で片膝つく備中。新たな命令だろうか。
「吉岡ジジイに会ってこい」
「はっ、何か新情報をお伝えいたしますか」
「噂の確認だ。ジジイが誰かに内応調略を仕掛けているらしい。やり方は任せるから調べてこい」
「ははっ、しかし総大将も、城の正面でジッとしていただけじゃなかったということですね!」
「愚か者」
小さく雷が飛んだ。
「上手く行けばの話だろうが。しかも、今回は相手が悪い」
ぐにゃと顔を歪め、意地の悪い人相になる鑑連。
「相手ですか」
「安芸勢の首魁には詐欺的手法の定評がありすぎるのだぞ。騙す相手には不足しない吉岡ジジイでも、敵わないのではないか」
その首魁が毛利元就という人物である事は、さすがに知らぬ者はいなくなっていた。
「だから失敗を予期して調べるのだ。止める必要はない、内応なんて面倒事、やりたい奴にやらせればよいのだからな。我々はその上で、動く」
これは密偵の仕事だ、と仲間を探る罪悪感に苛まれつつも、吉岡の陣までやってきた森下備中。名乗ると吉岡家の例の門番が会ってくれた。吉岡家にはこいつしか人がいないのだろうか、と独り言ちる備中に、門番は笑顔で近づいてくる。
「やあ備中殿」
「これは門番殿。吉岡様へ主人鑑連より連絡です」
「書状は受け取っておくよ。殿は不在なのでね……あんたは祐筆もやるんだろ?内容について教えてくれよ」
「主人鑑連が安芸の分隊に勝った戦いの記録だという事です」
「そ、そうか」
門番言い淀んだのは、一度、鑑連は不機嫌のとばっちりを受けたからか、それともそんな下らないものを持参した事に呆れたのか。構わず会話を続ける自分の姿に、備中は主人の振る舞いと重ねて視た。門番も構わずにブツブツ言い始める。
「こんな長逗留になるとは思わなかったよ。早く臼杵へ帰りたいぜ」
「我々戸次隊はもっと長く門司に居るのですよ」
「そうだった。ははは、さすがに飽きるだろうな」
「それで吉岡様はどちらへ?」
「吉弘様の陣だよ。何か打ち合わせだろ」
こいつから情報を得る事はできるだろうか。備中疑問に思いつつも、作り笑顔で話題を作る。
「城のこちら側での、戦はどうですか」
「たまに矢弾を撃ち合う事はあるけど、派手な事は何もないよ、出世するには不向きな場所かな」
どうやらこの陣は暇のようだ。ならば……と一歩前に出る鑑連の下僕。
「顔馴染みの誼で教えてほしい事が……いや教えて下さい」
「へえ、いいとも。何かね」
「調略が為されているという噂についてですが」
門番殿、彼から見て右上を視ながら曰く、
「そんな噂、初めて聞いたよ」
門番のその振る舞いに、備中の目がキラリと光った。
「人が応えをする時に、右上に視線を向ける者、それは偽りを述べている証」
これは備中があの石宗から教わった読心術である。その根拠詳細は不明だが、あの詐欺師の詐術だけは信用に足るのでは、と確信している備中だ。石宗の不快極まる笑い声を思い出しながら門番の嘘も確信した。備中、相手の人の良さに付け込み、さらに問い質す。
「仕掛け先は誰……なんでしょうね?」
「(正面を見据え)ワカらん」
「赤間関方面ですか?」
「(正面を見据え)……さあ、噂だろ」
「または門司城でしょうか?!」
「(右上を見ながら)いやいやワカらんよ」
やはりこの男は何か知っているのか。訝しむ森下備中。ふむふむと頷くと、相手もさすがに不審な目で見てくる。
「な、なんだよ」
「まあまあ、で、どんな内応を指示したの?」
「(正面を見据え)だから知らないって」
「吉岡様は智謀の方ですからねえ」
「(微笑んで)まあ確かにな」
「戸次家が功績をあげちゃって、焦ってる?」
「(右上に目を逸らし)そんな事は……ないよ?」
「吉利支丹、ウソつかない!」
「(十字を切り)何で知ってるの?!」
有益な情報が得られずうーむと唸る森下備中。ここは武士らしく、搦め手から攻めるか。
「なあ……こんなとこでおしゃべりしてて、いいのかい」
「吉岡様がいつか仰られた。君が私を評して戸次家の良心と褒めてくれたと」
「た、確かに。備中、殿と親しいんだなあ。そんな話まで」
「そうでしょ。だからさ、内応について、教えてくれよ」
「それなら殿に直接聞いた方がいいんでは?」
「……」
「……」
「帰ります」
「そ、そうか……スマンね。力になれなくて」
老中吉岡に会って話を聞く、よくよく考えてみれば、これほど成果が期待できない事もない。それこそ主人鑑連の言う通り、相手が悪すぎる。
「というわけで、殿。何らかの陰謀は間違いなくある、と判断するに吝かではありません」
備中の報告を聞く一同なんだそりゃ、という表情になる。鑑連は激怒し、二喝する。
「たわけが!下がれ!」
「ははっ!」
叱られて退出する備中を、他の幕僚達は気の毒そうに眺めていた。が、一人内田だけはニヤニヤしながら前に進み出て、
「殿。私が得た情報によると」
「ほう、吉岡ジジイに会ったのか」
「いえ、そうではありません。流言を独自に分析して」
「黙れ!下がれ!」
「ははっ!」
門司包囲戦は初夏に始まり、すでに秋風を感じる季節へと移っている。権限を奪われている鑑連自身にはどうしようもない。心ある幹部達は、老中吉岡の策に密かな期待を寄せるしかなかった。




