第60衝 昂奮の鑑連
「なんだと!敵勢が門司城へ入ったと!」
吉弘隊からの報告を受けて叫ぶ鑑連。森……と静まりかえる戸次陣中。備中の眼から見ても、主人のこの驚きは本物だったようで、我を忘れるほどに驚いた我が身を恥じ、着席した鑑連は、
「経緯は」
と使者に確認する。それによると、安芸勢の第二波を退けた後、夜陰に乗じて密かに近づいて城に忍び込む小部隊がいたと言うことで、発見した者の迎撃は間に合わなかった、という事だ。
この体たらくに言葉もない鑑連及び幹部連だが、森下備中、誰も口を開かないこの状況に不満を持つ。これは一つの好機なのに、誰も何も言わないのか……とモジモジしていると、鑑連がこちらをジッと険しい表情で見ているのが気配でワカった。まずい、と思った瞬間、備中は弾けていた。自分でも不思議なほど。
「お使者!この不始末を、吉弘様は如何にお考えなのか、存分に述べられるように!」
慣れない喝撃に妙な喋り方になったが、それでも効果は十分で、使者は震え上がってしまう……だが、まだ誰も何も言わない。同僚達も、一体備中に何が起こったのか、と驚愕の視線を向けてくるのみである。焦った備中、さらに言い続けるハメになる。
「お、おおお使者!だんまりかましているだけじゃ、この、くそ、ええい!なにもワカらんでしょうがッ!!」
誰か止めてくれ、と願いつつ躊躇もあったため、妙な小節がまわってしまう。チラリと鑑連を見ると、ニタリと楽しげな表情を浮かべている……そしてまだ誰も何も言わない。ど、どうしようか。振り上げた拳を、こんな時どう処すれば良いのか、文系武士の備中にはさっぱりワカらないのに。こうなったら、脇差抜いて、大暴れするしかないのか、そんなことしたら打ち首になるかもしれん、しかし取るべき道は無し、と腰の逸物に手を掛けようとした瞬間、
「備中、控えよ」
と鋭い叱撃が飛ぶ。ようやく鑑連が助け舟を出す。またチラリとみると、本当に楽しげでどこか嬉しげでもある。ああクソ、なんていう酷い主人なのか。
「お使者。とりあえず事態は承知した。容易ならざるということがな……助けが必要なら遠慮なく申されるべし、と副将殿にお伝えくだされ」
国家大友では有名な恐怖の象徴である戸次鑑連から優しい言葉をかけられたその使者は、地面に頭をこすりつけんばかりに礼を述べ、陣を後にした。
幹部連を前に会議が、まずは鑑連の叱責から始まる。
「危ない奴だな、備中。ええ?」
貴方のためにやったんだし、追い詰められたのは貴方のせいでしょ、と心で呪いながら、
「はっ、申し訳ありません」
と謝罪するしかない。
「まあ余り先走らぬように。では事態の検証だ。由布、門司城の展望について述べろ」
「……はっ。籠城側の士気の高まりに警戒するべきであり……」
思ったより怒られなかったので、心中、鑑連は喜んでいるのかもしれない、と思いながら、動悸を鎮めていく。討議の内容も全く頭に入ってこない備中であった。
それから、籠城側の士気は目に見えて回復した事を、包囲側は、思い知る。苦しみにも終わりがあると思えれば、人間は耐えられるのである。援軍の本体は眼と鼻の先の海峡の先にあり、食糧の補給も少ないが行われたらしい。
対して、戦役開始時からの劣勢、総大将の交代、敵補給の見逃しと、良い材料の少ない豊後勢。悪い事に、敵の部隊が田北隊の前線を抜けて門司城に入ったと噂されると、田北兄弟は憤懣やるかたない心境となる。
連絡の為、田北の陣へ送られた備中、田北家家臣らの愚痴を聞いてしまう。曰く、臼杵弟は田北家をまるで擁護してくれない、というものだ。情報収集は役目であり、これを主人鑑連に報告すると、
「クックッ!」
と喜色満面の悪鬼面が現れる始末。今や田北は臼杵に不満をもち、吉岡吉弘と戸次は競い合う。生きて帰る事も、もしかしたら怪しいのかも、と訝しむ森下備中であった。そんな時、またもや急報が飛び込んでくる。
「申し上げます!安芸水軍、豊前岸に廻り、上陸を開始致しました!」
「なんだと!」
「豊前の諸城は籠城の構えに入り、迎撃する者がおりません!」
「田原常陸は何をしているのか!」
「我が主君は水軍の壊走を防ぐのに手一杯、とても陸上までは手が回りません!至急、鑑連様に状況を伝えろ、と命じられ拙者参りました!」
幹部連、皆鑑連に向き直る。そして声を揃えて叫ぶ。
「一大事にございます!」
露骨に嫌な顔をする鑑連。こんな時に一味同心しない由布と自分は、嫌悪の対象外なのだろうか、とぼにゃりと考える備中であった。嫌な顔をするだけで諮問をしない鑑連に代わり、戸次叔父が使者に問う。
「上陸部隊はどの辺りにいるか」
「蓑島山を拠点に掠奪暴行を繰り広げています!」
「蓑島山とは随分と南まで行ったな。よほど腕利きの海賊衆がいるのだろうか」
ここに至り、鑑連ようやく口を開く。
「田原常陸は唯一と言って良い水軍勢力だ。これを陸に上げるは、義鎮公が許さんだろう。と言って我が方では兵を割れはしない。つまり、放置するしかあるまい」
怯えを隠せず、戸次弟が声を震わせる。
「兄上、このままでは我らの退路が失われてしまいます!」
「仕方あるまい。いくつかの郡程度ならいつでも取り戻しが効くのだから……いや、そうだな。備中」
「……」
どうにもぼんやりしていた備中にもう一声。
「おい備中」
「は、ははっ」
「何をぼけっとしている」
「あ……ええ、安芸勢の積極性に衝撃を受けてしまい……」
と、とっさに嘘を吐く。安東や十時はうんうんワカるぞ、と同調してくれるが、由布は不動、鑑連は本当か?という視線を向けてくる。一気に汗をかいた備中へ、鑑連は命じる。
「松山城へ行き、連中に迎撃隊を組織させろ。上手く行けば人質も返還すると言え。旧領返還を保証するともな。すぐに立て」
「はっ」
伝言を伝えるだけで良いのだから、簡単な任務でありがたや、と思っていると由布が近づいてくる。
「……松山城の連中には警戒を怠るなよ」
「へっ?」
「……すでに安芸勢に同心している可能性だってある、ということだ。無事に帰ってこい」
肩を叩いて去っていく由布。由布はその静謐なる性格から神秘性すら漂っているが、備中はこの時はそれを強く感じた。
「石宗坊主の言葉を思い出すなあ……」
しかしこの忠告が備中に注意力を与えたとも言える。豊前松山城へ一路南進していると、右手の山陰に軍影を感じた。
「大友方の援軍かしら……いや、あの義鎮公が増援するという話は無いし……敵かな?」
松山城への到達も急ぎであるはずだが、由布の言う通り、すでに寝返っているのなら、この地域に敵兵が出没しても不思議はない。しかし時間を置く余裕もない。どちらの道を選択するにせよ、備中は主人鑑連の振る舞いを思い出して、速断をせねばならなかった。




