第59衝 任侠の鑑連
「安芸勢、第二波が動きます!」
「来るぞ、配置に付け!」
戸次叔父の号令とともに、幹部連も動き出す。ここで十時が鑑連に意見具申する。
「敵はまた同じ手で来るでしょうか。田北隊への集中攻撃は継続してくるでしょうが、それだけでなく、別の手を打って来るでしょう」
変わらず無言の鑑連に代わって、戸次叔父が回答する。
「我が方の最左翼に回るという事か。だが今さらどうしようもないではないか。我々は総大将ではないのだからな。それに、他家へ口を挟む事は控えなければ」
「ですが……」
「備中」
「っ、はっ」
唐突に備中を呼ぶ鑑連。唐突に呼ばれるのはもういつもの事になってきたので、あまり驚かない備中。むしろ、その後の内容が重要だ。
「吉弘隊へ伝令を伝えろ。お前が感じた懸念をそのままワシの意見として伝えて構わん」
「と、殿」
「叔父上の言う通り、今からでは対処は難しい。吉岡には統一は取れんのだからな、クックック。それであれば、無理に統一的な動きを強制するより、個別に最善を尽くすしかあるまい。行け」
「はっ!」
鑑連から至極真っ当な意見を聞くことが出来ると、妙に嬉しくなる森下備中。急ぎ、馬に飛び乗り、西隣りへ移動する。
早駆けの最中、田原隊の鉄砲部隊が整列している姿を見る。揃いの武具で身を固め、一目で見て精強だとワカる威姿だ。田原家の首領たる常陸介がいなくても、訓練は行き届いているのだろう。だがこの場所に田北隊の旗は見えない。傘下に入れたといえ、指揮命令に素直に服すつもりはないのだろう。
背中に伝令旗を指しているので備中の姿は目立つ。その姿を見て、何事の伝令か確認しようとの素振りをとる田原の陣の武士が見えた。まずい、急がないと。と見て見ぬ振りをして馬に鞭を加える。田原隊の視線を痛いほど感じる備中であった。
備中は考える。彼らも敵を前に不安に違いない。何がって、敵を前にすることではなく、その敵を前に一枚岩になりきれない自分たちの上司についてだ。それは、老中筆頭田北や老中吉岡、主人鑑連のような傑出した武士たちですらそうなのだ。
だが、どの国や家にも、容易に服さない困難はあるに違いない。問題が存在しない組織もまた有り得ない。それを何によって消化していくかが、重要である。
早駆けの備中は田北隊を通過する。見るからに士気が低下し、肩を落とした兵士たちの姿が見える。彼らをあのようにしてしまったのは、田北様の責任だ、としか言いようがない。それは同じく田北兄弟にも言えるだろう。そして主人鑑連はこの問題を解くために、自分を副将吉弘に遣わしてくれた。なんとしても期待に応えなければならない。あの辛辣無頼の雷鬼鑑連の期待に応えなくては、それこそ武士の面目が立たない。
吉弘の陣へ駆け込んだ備中は、やはりあの戸次鑑連の使者、ということもあるのだろう。副将吉弘自身が出てきた。鑑連からの意見具申、という程で意見を述べる備中。意見を述べながらも、頭の中に吉弘の姿を見た始めに感じた貧相、という単語が現れないように、必死に目に力を込める。相手は貴人であり、副将なのだぞ、と自分に言い聞かせながら
「なるほど。戸次殿の意見は承知した」
「はっ、それでは失礼いたします」
「ああ、いや、待って。この場にしばらく留まって、こちらの在り様をしかと見、戸次殿に伝えてくれ。有益なこともあるだろう」
「はあ」
うっかり溜息のような気の抜けた返事をしてしまう備中。鑑連の前では溜息は禁忌だが……
「森下備中、どうかしたかな?」
何事もないのでホッとした備中。ありがたき幸せと、素直に陣中視察許可の例を述べる。
吉弘の陣は門司城寄りの山根に設けられており、他の陣に比べやや高い位置にある。城からの出撃を考えると危険な場所のはずだが、吉弘は、
「ここなら潮流が見える」
とその意義を主張する。確かに敵船団、潮ばかりか、戸次隊も見通せる。
「和布刈の神人によると、早朝は西からの潮が強くなり、昼から日没まで東からの潮が勢いを増す。よって、安芸勢は潮に乗るために日中に攻めてくる。攻勢時、この時間帯を凌げれば、損耗の激しい田北隊も十分な戦力になる」
「はい」
「そして強い潮流は、如何に熟練の安芸水軍といえ流す。その時間帯に我が方左翼に位置する臼杵隊の優位に立つ事は難しいものだ」
「なるほど。さらに夜の進水は敵にとっても危険、という事ですね」
吉弘、備中の顔を初めて見据えて頷く。
「そうだ。我らは安心して敵を迎撃できる体勢にあるのだ」
備中は主人鑑連の、つまり自身の意図を総大将に伝えることができて満足していた。それを受け入れるか否かは、上席の仕事であり、本来備中が如き下々が立ち入るべき事柄ではない。達成感に満たされた備中は、吉弘の言うがまま、戦いを観戦しはじめる。水際のあちこちで激戦が繰り広げられる。
ふと、西の海から一隻の南蛮船が潮に乗って近づいてくるのが見えた。
「吉弘様、南蛮船が」
「来たか。よし!旗を揚げろ!」
「どんどん接近して来ますが……もしや援軍ですか!」
「そうだ。義鎮公が昵懇にされている南蛮の僧が口を聞いてくれたのだという。彼らは周防で安芸勢に命を狙われ、恨みがあるらしいのでね」
「な、南蛮人はどこに着岸するのでしょうか」
「着岸はしない」
「えっ」
「見ていればワカるよ。私も初めて見るのだがね」
「あっ」
「……」
「うわっ」
「……」
「今のは鉄砲ですか」
「大筒といって、その一際大きな物らしい。南蛮人は船に取り付けているそうだが……外れたのかな。城には当たってないな」
「そ、そのようで」
「……」
「……」
「……」
「……」
「あれっきりでしょうか」
「鉄砲と同じで、連続して撃てないのかもしれん」
「あ、何かを降ろしましたよ」
「錨だろう。あの位置からは東は避けるつもりだな」
「ですが、あの場所にいたら、安芸勢の餌食になるのでは……あっまた」
「……おお、船団を狙っている」
「……凄い水飛沫が飛びました」
「当たらなければ意味は無いがね」
「ですが、敵も動きが鈍くなりました!」
「義鎮公は南蛮船の援軍に期待をしろと仰っていた。この事なのだろう」
「……」
「……」
「……」
「中々三発目が来ないな」
「はっ、ですが凄い迫力です!」
「今は昼過ぎ、潮流が東から西に変わる夕刻まで、あそこに居るつもりだな」
「敵を怯えさせるには十分な効果があります。ここから見て、我が方も健闘しているようです。田北隊も戦線を良く維持できています」
「この分では、どうやら第二波も、阻止できそうだ。義鎮公のご人脈もこのような成果をあげご報告すれば御喜び頂けるだろう」
「……」
「どうした?」
「はっ、吉弘様の主君を敬う御心に、感激しております!」
「今の私の発言がかね?はは、大袈裟な。こんなの戸次家でも始終言われていることでは無いかな」
「……」
「……」
「……」
「えっ?なに、違うのか」
「ええと……あっ、大筒です」
「やれやれ、ようやく三発目か」




