第57衝 胸算の鑑連
「臼杵殿、随分と遅かったな」
対面初っ端から強気な意見を飛ばす鑑連に、もしかしたら主人は超が付く正直者なのかもしれない、と純粋さすら感じてしまう備中。
「兄の急死と安芸勢の攻撃に伴う筑前の混乱を抑えており、遅くなりました」
「兄上はお気の毒だった。お悔やみを」
「戸次殿には、感謝申し上げます」
取ってつけたような弔辞だったが、しっかりと礼を述べる臼杵弟……ん?戸次殿?なるほど、やはり臼杵家は家柄も気位も高いのだなあ、と貴人を尊ぶ気持ちが自然と湧き上がる備中。
「既に吉岡様がご到着との事。まずはご挨拶をして参ります。お出迎え感謝します」
去って行く臼杵弟の背中を見て、大きな舌打ちをする鑑連。近くでカラスが驚いて落ちた。
「あの態度、視線。あれは吉岡ジジイの指示が行ってるな。ワシの無礼を流したぞ」
「はっ」
備中も同感であった。きっと手筈は何から何まで整っている。これでは田北失脚を誰よりも望んでいるのが老中吉岡であるの事確かだろう。
相手のそんな周到さに、ウチの殿に勝ち目はあるだろうか、と備中もさすがに心配になって来た。
しばらくして、老中吉岡が戸次の本陣にやってきた。なにを話すでも無い。ちょっと立ち寄っただけだ、という事だが、
「我が大友方は猛将揃いだ。なんの心配もない」
「門司城だって、このまま囲みを維持すれば、奴さん共は飢えて山を降りてくるさ」
「いやあ、鑑連殿にはがんばってもらわにゃな。はああ。期待しているぞ」
と快活かつ饒舌に笑い去って行った。去り際に、
「先の戦いの事を聞いたよ。討死しないようにな」
と備中の腕を叩いて行く程快活。声を掛けられた備中大変嬉しくニヤニヤしてしまうが、上機嫌な吉岡を見て、握り拳を固めざるを得ない鑑連。
「くそ……」
雷圧の高まりを感じる備中の背筋が寒くなる。鑑連が吉岡を睨む目は、憎しみより妬みで満ちていた。そんな表情をしていたとして、元々が悪鬼面なのだから言葉にしなければ大丈夫です、と主人のその気持ちも痛いほどワカってしまう備中。
「前線で指揮をして来た殿と、後方で指示出し役であった吉岡様。代理に吉弘様がいるとしても、戦場ではどちらに分があるかな……もしも吉岡様に仕官を薦められたら……ウフフ」
しかし、吉岡到着後も、備中の予想に反して何かが劇的に変わるわけではなかった。引き続き包囲と小競り合いが緩慢に続いた。
戸次隊は果敢に攻城を続けているが、壇ノ浦を水軍で固めた門司城はまさに鉄壁、迂闊には手を出せない。兵らも噂する。
「膠着したままなら、攻め手が不利だなあ」
「なにか手を打つだろう。今やあの吉岡様が総大将なんだぜ」
「取っ掛かりから数えてもう二ヶ月ほど囲んでいるんだ。城だって辛いはずなんだ」
戸次隊本陣では変化のない状況に苛立ちが起こり始めていた。それも幹部連の中から。戸次弟が空気をピリつかせながら帰陣する。
「総大将は一体どのようなお考えなのか!本営はどうなっている」
「どうもなっておりません。相変わらずです」
「大軍を押して攻めよせるでもない。囲むだけとは……兵糧だって馬鹿にならんのだ」
「……何かを待っているのかもしれん」
「何かって?これ以上の援軍はもう来ないだろう」
「となると敵の全面攻勢しかありません」
功績をあげる機会を奪われ、焦燥を募らせる幹部連。沈思黙考しているフリをする主人鑑連。その風景は、かつて肥後で指揮権移譲を強制された佐伯紀伊守が辿った道だ、と心の中で喝破した気の備中。思わず声無き声で独り言ちる。
「それって結構拙いな……下手を打てば追放される可能性だってある」
同僚らとは異なった心配を募らせる備中。そんな日々が続いたある日、遂に事態が動いた。監視兵が戸次の陣に飛び込んできた。
「申し上げます!安芸の大軍、対岸の長府付近に次々と集結しています!」
「大軍とはどれくらいか」
「その数およそ一万余は!さらに増え続け、今や数え切れないほどです!」
驚き陣を飛び出す戸次隊幹部連。由布、戸次叔父、安東、十時、戸次弟、内田、備中が並ぶ。これは序列を現しているな、と独り言りの備中に、隣の内田が話しかけてくる。
「おい備中、見ろよ……」
そらきた、予測が当たった。心の中で快哉した備中、海の向こうに目の焦点を合わせるや、深刻な気分になる。
それは壮観であった。安芸勢の大軍が蠢く様子がはっきりと見て取れたのだから。海岸には、かき集められた安宅船がズラリと並ぶ。
「あれは輸送船団だ」
「輸送……食糧かな」
「後、その食糧を食べる連中もいるだろ」
そして、第一波が動き出した。壇ノ浦を渡る安宅船の大軍。
「動き出した……動き出したぞ!」
「こちらに向かってくる!揚陸するつもりだ!」
「殿に急ぎ報告を!備中行け!」
「はい、はい」
敵は数にものを言わせた門司包囲を、同じく数によって防ぐつもりだ。
備中が走り出した頃、総大将吉岡は直ちに各隊長へ情報将校を飛ばして指示を出していたらしく、吉岡隊の連絡兵とかち合った。それは知った顔で、
「あっ!戸次様の御近習」
「あっ!吉岡邸の門番の方」
こんな所で会うんだねえ、と心通じ合う一瞬の間があった後、
「あんたと会えて良かったよ。吉岡様から戸次様に伝令だ」
吉岡邸門番はその内容を伝え終えると、
「お互い生きていたらまた会おう。では、神のご加護を」
と何かを呟き疾り去っていった。門番なのに、連絡将校の自分より足が速かった……そんな自分を恥じない自分に拍手して、急ぎ、戸次本陣に駆け込む備中。
「殿!総大将からの指令です!」
「ジジイはなんて言ってきた」
「はっ!敵増援を指揮するのは安芸勢が首魁の子息小早川。機会があればこれを捕殺するべし」
「簡単に言ってくれるね」
「総大将は安芸勢の大幹部が出てくるのを待っていたのでしょうか」
「かもしれん」
「ですが、その計略もこれを捕らえなければ意味はありません。ここは総大将の狙いに従うしかありませんか」
「チッ、仕方がないか……由布に伝えろ!兵を水際に立たせ、安宅船の揚陸を防げ!火矢焙烙を投げて戦うのだ!吉弘隊より先に、戦火を交えるべし、とも言っておけ」
「御意!」
由布の迅速な指揮の下、先発した一隊が海岸側に並んだ。そして弓矢焙烙の投擲合戦となる。
備中が熟考するまでもなく、これまでの包囲戦の結果、門司城が弱ってきているのは間違いない。決して補給をさせない、この戦いの目的はこれに尽きた。
それがいまや、火焔と爆音が飛び交う戦場にあり、森下備中は愕然とする。ふと隣をみるや、さっきまで笑っていた兵が火達磨になり転げ回っているのだ。武士の戦場とは、こんなに悲惨な風景をしていたのか。
左隣の田原隊では破裂音が断続的に響いている。鉄砲を多用して対応しているのだろう。小野の被弾と戦死が心の傷になっている備中は、生きた心地がしない。思わず積み重なった荷駄の上に駆け上り、戦場を概観する備中。
陸 海
臼杵隊 安芸勢
田北隊 安芸勢
吉弘隊 安芸勢
吉岡隊 門司城 安芸勢
田原隊 安芸勢
戸次隊 安芸勢
安芸勢
「我が隊側にだけ、敵の数が多い!」
近くで奮戦する隊長十時が叫ぶ。
「揚陸する地がひらけているから当然だ!備中、気をつけろ!お前は下がってろ!
それでも、荷駄の上に立ち続ける備中。その目には、敵が数で優っていても、敵船団の上陸を防ぎつづけている戸次隊の勇姿が映っていた。戦闘経験豊かな戸次隊は困難の戦場でも善戦していたのだ。




