第56衝 委譲の鑑連
救援の礼を述べようとする備中を目で撃って止め、鑑連は厳かに命じる。
「ワシが今何を考えているか、言ってみろ」
いつになく真剣であるため、真面目かつ誠実に頭を全回転させる備中。述べ始めるが、主従関係も十年を超えて久しく、このような時の備中にはもはや気弱な風は見えなくなってきている。
「は、はっ!申し上げます。まず殿のご懸念は、
田原常陸様の水軍衆が敗退し、安芸水軍に壇ノ浦の制海権を奪われてしまった打撃の挽回。
制海権を得た安芸勢の増援の恐れへの対策。
初戦で勝ちきれず、長期化に伴い後背地で多発必死ご想定される騒乱の担当。
以上だと愚考します」
備中を向きもせず、まあそうだ、と呟いた鑑連。しばらく沈黙が続いたため、備中は存念の深掘りを試みる。
「制海権の奪取は、調略を用いなければ不可能でしょう」
「敵水軍衆を寝返らせるのか」
「聞けば、彼ら瀬戸の水軍の本性は海賊。利益をチラつかせれば、可能ではないでしょうか。陣営を変えなくても、手心を加える事もあるでしょう」
「だがそれだけでは敵増援が防げない。この対処はどうする」
「残念ながら防ぐことは不可能でしょう。しかし、敵を門司城へ近づけなければ、我が方の勝利ではないでしょうか。彼らの目的は門司城の防衛のはずです。水際で迎撃するのです」
「簡単に言えるようになったものだな。では、後背地の騒乱はどうする?」
「人に任せるのです。筑前および筑後は立花様、高橋様に大きな権限を委譲する。これが最上です」
これに鑑連は笑った。
「臆病で直情的なお前にしては平凡な意見だ。つまらん。で、今の意見の結果としてどうなる?」
「結果として……ですか」
鑑連はやや攻撃的な表情をして備中に凄む。
「それらの総合の結果として、総大将の交代が起こるとワシは考える、いや、確信している」
「お、起こりますか?」
「安芸勢の増援があるのなら、確かに兵の数が足りない。ワシも老中の一人として、増援を要請するしかなくなる。となれば、吉岡ジジイや、事によっては義鎮公が出てくる事になる」
「あ、あの義鎮公が?それはどうでしょうか……」
不敵な笑みを浮かべる鑑連。
「まあそれは言い過ぎにしても誰かが出てくるしかないだろう」
「しかし、誰が指揮を?最前線で総大将を交代するなんて、危険すぎませんか」
「肥後の時はそれで上手く行ったではないか」
あの時、主人鑑連と佐伯紀伊守が総大将の地位を奪い合って、佐伯がそれを勝ち取った後に、小原遠江が後を襲った。後任小原の積極果敢な戦法で、戦役の終結が速まったのは間違いない。だが、と備中は思う。主人鑑連以上に積極的な戦術を取る者なんて、いるのだろうか。
「最前線を知らん者なら、先例を選択するだろうよ」
「田原常陸様の敗退が悔やまれます」
即席の水軍ではダメだったか。ならば、水軍に長けた武人を招聘しなければならないが、高明な宗像水軍は敵に回り、家中で多少なりとも水軍に親しんでいる佐伯紀伊守は追放の身だ。そして、小原、佐伯どちらの失脚あるいは処置にも主人鑑連は関係しているのだ。故に、鑑連もなにも言わないのだろう。
「交代を承知されるのですか」
「不承知は通らん。公式な地位では、ワシは下位の老中だからな。だが無論、ただではしない……」
鑑連の台詞には、出し抜いてみせる、という強い意志が込められている、と備中は感じた。
予想通り、老中吉岡が門司の陣へやって来た。この人物は策略家である。老中筆頭田北が臼杵城下を離れている間に、老中筆頭としての実権を尽く掌握する勢いであり、戦場の場にも多くの祐筆を従えていた。備中は内田と並んでそれを眺め、溜息を吐く。
「改めて見ると、この権勢ぶりは中々……いやスゴイなあ」
「良い所の無い田北様に比べて安定しているからな。これは、老中筆頭の交代もあり得るかな。見ろよ、吉岡様が引き連れて来たあの旗の数々。志賀隊、朽網隊、吉弘隊……臼杵城下の守りは良いのかな」
「豊後にはもう敵はいないから」
いざと言う時に臼杵城下を死守する親衛隊の役割を持つ部隊までの投入だ。吉岡の力のほどがワカるというもの。
二人が軍勢見物をしている間、鑑連は田北、吉岡と打ち合わせを重ねる。もう一人の老中志賀が息子を寄越してきている以上、三人の老中の間で、軍略は決定される。
本陣に戻ってきた鑑連は片膝ついて出迎えた幹部連に伝える。
「傘下の田北隊、田原隊について、老中吉岡がその指揮権を統括することになった」
一同無念の呻き声をあげる。この連中はいつもちょっと嘘くさい、と思った備中は由布を見る。この沈着な隊長は独り下を向いたまま口を閉じており、流されない不動の姿勢に嬉しくなる。そんな時、戸次叔父が抗議の声をあげる。
「殿、これはあんまりではありませんか。それに吉岡様が戦上手であるという話は耳にいたしません。良い結果になるとは考えられない事です」
苦笑する鑑連。
「叔父上、あの老いぼれは自分の力をよく把握していますよ。副将に吉弘を付けています。つまり、事実上の総大将は吉弘、ということですよ」
「申次殿が」
「前回、対岸赤間の関には安芸勢の首魁の倅が来ていました。想定される敵の増援も、連中が率いてくるに違いありません。対する吉弘は義鎮公の代理という事。とんだ抜擢ですな」
無言になった一同へ鑑連曰く、
「戸次隊の運用についてはワシに一任された。つまり、遊軍というワケだ。全体としての指揮には従わねばならないが、ワシの考えで行動をする余地が多分にある。ワシの活路はここにしかない」
備中にはワカったのだ。鑑連が激発を必死に我慢している事を。見れば、手には血管が浮き出ているし、後頭部にもおぞましいほどに青筋が浮かんでいる。苦笑の裏の忍耐力は、鑑連という個性を思えば、超人的ですらある。本心としては、自身の戦略を妨害した吉岡を心底憎んでいるに違いない。ただ、二人の間で唯一一致する意見、それは老中筆頭田北を引き摺り下ろす、というただその為だけに、この妥協を受け入れたのだろう。もはや主導権は、公式な老中筆頭には無い。恐るべき策略家と生粋の武士の間で奪われるモノになったのだ。
安芸勢との戦争のはずが、裏には内部の競争を孕んでいる。これが人の世なら、せめて主人鑑連を応援しようかな……しかし、吉岡様も親切だしな……などと考えていると、自分を睨んでいる鑑連の視線を感じる備中。思わず縮こまる。
その内に、門司の筑前方面から臼杵弟が到着した。これで老中吉岡はかつてない大軍を率いる身となり、主人鑑連との差は決定的になったように、備中には見えた。




