第499衝 残生の鑑連
大友方は、先年来、由布が駐留し整備を進めてきた北野天満宮(現久留米市)に入った。
本当に健康を取り戻したのか、筋肉の落ちた鑑連の肉体だが進軍の労苦には耐えている。主人の復活に喜びでいっぱいの戸次武士達、みな士気があがっていた。
「小野。佐嘉の連中にも変化があったろう。みなに述べよ」
頷いた小野、淡々と述べる。
「殿を退けたとして、柳川城の龍造寺上総介の名声が高まっています」
「ツイてる野郎だ」
「一方、柳川での一件は殿の体調不良が原因として、逆に侮る噂も多くあります」
「チッ、それにより利益を得るのは」
「概ね利があるでしょう」
「絞って話せ」
「直接的には龍造寺一門衆。まず、先の戦いで殿に敗れに敗れた後藤家信。しかし、一族が争う事で、その調停者を自認する鍋島飛騨守が最も利益を得やすい立場にあるかもしれません。現にこの人物は、未だ佐嘉城にて現当主を擁する第一人者のままです」
「だが、コイツには大それた野心が無い。今のまま薩摩勢に従属しつつ、関白の到来を慎重に待つ気に違いあるまい。よって引っ掛けるなら、やはり五州二島殿の倅共だな」
戦略を練る鑑連の声には張りがあった。自身で言う通り、戦いこそ生きる糧だと証明し続けている。
「先刻、その為に、佐嘉の間者を生きて解き放った」
事情を知らぬ者はなるほど、と感心している。
「もう一度、佐嘉勢の突出を誘う」
鑑連は窪んだ瞳をギラつかせ幹部連を睥睨し、
「ついでに、良い意味での義統の突出にも期待だ。良い意味でだぞ」
何処からも笑い声は漏れない。よって、備中、俯いて苦笑する振りをする。鑑連からの折檻はなかった。
だが、戸次の二老中から送られてくる本国豊後の情勢は、日々鑑連に不利になりつつあった。総大将が倒れたという報せによって、筑後攻めの募兵は大幅に停滞。それどころか、いずれ来る本国での戦いに備えるという風説は止まるところを知らない。
「薩摩勢は、日向から豊後に入るのではないかという噂だ」
「筑後には殿が居るから避けてるな」
「ならせめて、本国の連中は日向に攻め込むなどの気概を見せないものかな。筑後が嫌ならせめて!」
進取の気概が失われているからか、天正六年の衝撃から未だ立ち直れていないからか、それとも怠惰に堕しているだけなのか。もはや豊後人には期待できない。だが、義統公個人にはまだ期待できる。
「義統公はここ数年来、殿に全てを賭けてきたのだから……」
作戦は始まった。大友方はまず手始めに、筑紫広門に属していた諸城を軽々と奪い取った。そして、肥前国境沿いに部隊を送り込み、焼き討ちと自威を繰り返させた。
「クックックッ」
また少し、鑑連が元気になったようで安心の備中であった。
秋の夜長に鈴虫が鳴る。季節は既に秋。季節の変わり目は体調不良を起こしやすいから、みな鑑連の健康を気遣うが、
「無用だ」
と退けられる。鑑連が満足に食事を摂らなくなってどれだけ経っただろうか。戦場で気概は示しつつも、体は急速に衰えているように見える。それでも戦えばやはり勝つ鑑連、小競り合い程度でも、指揮する戦いに尽く勝利すれば士気も上がるのだ。
佐嘉勢の突出を誘い続けていたある日、
「申し上げます。肥後からお使者です」
今の時勢で肥後から、となると甲斐相模守発しかない。備中の目からは、この人物も鑑連に賭けている武士の一人であった。鑑連を見てその痩せ方に驚いた様子の肥後武者だったが、堂々と曰く、
「ご快癒おめでとうございます」
「ああ、そちらの情勢はどうかね」
「圧倒的劣勢の中、健在です」
「結構、お互い様というヤツかな」
この日、薩摩勢を前に絶望的な防戦を強いられている彼らから、肥後の阿蘇勢の鑑連への期待を告げられる。
「戸次様はこの地で、調虎離山の計を実践されているのでしょうか」
「さて、どうだかな。佐嘉の動揺は大きいようだが」
「我ら甲斐党は、戸次様ご復活を信じておりました」
「そうか」
「よって、薩摩勢に対しても諦めてはおりません。我が主である甲斐相模守申すには、遠い地にあってそれを戸次様にご覧入れるとのことで」
「ほう?どういうことかな」
「南の情勢をどうぞ見ていて下さいますように」
それだけ言うと、肥後武士は去っていった。
「一体何事でしょう」
「ヤツには気の毒なことをしたかな」
「それは……」
鑑連はそれ以上何も言わなかったが、しばらくして肥後では甲斐勢が反撃に出て、薩摩方の城を複数奪取したとの報せが入った。
「大軍相手にやるでは無いか」
「それもそうだが、薩摩勢相手に久々の勝利だな!」
「戦上手と言われる連中から勝利をもぎ取ったのだ。我らとて負けてはおれんぞ」
味方の奮起を前に、大友方の士気はさらに上昇した。のだが、鑑連は喜びを示していない。
「甲斐相模守は肥後の地から殿を鼓舞しているのでしょうか……」
備中は問うてみるが、甲斐相模守に対して、賞賛も侮蔑も無く、鑑連は無言のままでいた。
それでも、鑑連の戦線復帰に呼応するように、あちこちの戦線に立つ大友方が活気づいた。それは肥後だけでなく、特に筑後にて顕著であり、
「柳川の佐嘉勢の動きが活発化しています!南で発生した騒動に対応するためとのこと!」
「龍造寺上総介は動いたか!」
「しかし、南だ。こちらへではない」
「佐嘉の他の将の動きは」
「依然、変わりなしだ」
「やはり、殿と戦うのが怖いのだろうな」
味方の働きは、戸次武士から主人の病を忘れさせる役には立った。
それから間も無く、戦場に珍客があった。
「備中殿」
「ぞ、増吟殿」
久々の破戒僧である。
「も、もしや佐嘉勢のお使者ですか?」
「残念ながら違います。個人の資格で参りました。もう戸次様へは挨拶を済ませましたがね」
手のひらを羽ばたかせた増吟だが、いつもより真面目な雰囲気である。
「元々戸次様へどうしても聞いてもらいたい話があったのですが、止めました」
「え、何故です?」
「なんでもです。それで、私はあんたに話を聞いてもらおうと思い至ったのです」
鑑連への話を止め、自分にとはどういうことだろうか。増吟は軽妙な戯言も無く、本題をぶつけてきた。
「佐嘉勢は、戸次様との戦いを避けています。おワカりでしょう?」
「……」
「勝尾城、綾部城の周辺はもう焼け野原ですな。それでも、後藤様どころか江上様もご出陣されない」
佐嘉勢の動きの硬さを、備中は勘づいていた。
「何故かといえば、久留米での合戦の通り、戦えば負けるからです。一方で、戸次様のご病気は佐嘉にて大きな噂になっています」
「やはり」
「この噂を根拠に、佐嘉勢は二つの意見に割れました。今なら戦って勝てる、と思う者達。死ぬまで手を出すな、という者達。これは奇しくも龍造寺山城守殿亡き後の権力闘争と、性質を等しくしておりましたが」
「ど、どちらが主流なのですか」
一息置いた増吟、苦笑した。それは半ば予想された答えではあった。
「残念ながら」
「そう……ですか」
増吟は、鑑連の戦略は叶わない、と伝えに来てくれたのだ。これ自身が調略の可能性は、これまでの増吟の献身を思うと、あり得なかった。
「戸次様はもう長くはありますまい」
「え……」
「死相が浮かんでましたよ。あんたも気づいているでしょう」
「……」
「だから、この話をあんたにしたのです。世を去ろうとしている方に伝える話ではありませんからな」
「……」
言葉を失った備中に、増吟は力強く述べる。
「避けようの無い苦しみは、強い心を持って耐えねばなりません。それは長年、戸次様のお側近くにあった備中殿のお役目です」
「……」
「幸い、戸次様は後継者をお残しです。嗣子が、親が成し遂げられなかった何事かを掴むことができるよう導くこともまた、貴方様のお役目でしょう」
「私の……?」
「そうではないと?戸次様がお亡くなりなったら、出奔でもするので?」
急に軽くなった言葉に怒りが込み上げてくる備中。
「……まだ、殿がそうなると決まったわけではない」
だが、増吟は首を振った。
「他の凡将どもならそれでも良いでしょうが、あんたは戸次様の懐刀だ。主人のためにも、為すべきことを見定めるべきです」
それ以上は何も言わず、増吟は北野の陣を去った。
「備中、何を泣いている」
「な、泣いてませ、わ」
鑑連から手拭いを投げられた備中。その場から無言で去る小野甥。そこは鑑連と備中の二人だけに。痩せた鑑連が気遣いに心打たれた備中の両眼からは、止めどなく涙が溢れてくる。
「ぞ、増吟が」
「来ていたな」
「あ、あの野郎が、わ、わ、私に、ひ、酷いことを」
「そうか」
「ざ、ざ、残酷で、残酷、ひ、酷いことを!ううう」
声を押し殺して啼く備中。
「そうか」
鑑連は備中を叱ることがない。それもまた、猛烈な寂しさの中に備中を沈める。増吟の見通しは正確に違いないのだと、篤信がいってしまう。
「まあ、泣くな備中」
「ううう」
「ほれ、敵襲だぞ」
「えっ」
陣が急に騒がしくなる。大慌ての戸次武士が飛び込んできた。
「秋月種実の奇襲です!お気をつけください!」
「あ、秋月」
「クックックッ」
嗤わずには居られないと言った鑑連、まなじりを真っ赤に染め、ゆるりと立ち上がった。
「あれも可愛いくらいにしつこい野郎だ。ワシも出るぞ」
「と、殿」
「戦って、敵を斃せば、心身が充実する。貴様もついてこい」
涙を拭った備中、鑑連の手を支えると、
「あいた!」
手刀を受けた。言うほど痛くはない。
「介助などいらんわ」
「し、しかし」
鑑連の足は痙攣していた。自身の脚を見下すが如き視線の鑑連だが、
「お。そうだ。輿に乗るか」
「こ、輿に。敵に狙われてしまいます……」
「それがいいんだろうが。ワシは戦えば勝つ男。槍と鉄砲があれば、輿からでも敵を殺せるではないか」
「……」
「秋月のガキと普通に戦うのも飽きてきた。趣向を凝らしてやろう!」
北野天満宮より北に進んだ地では、戸次武士と秋月武士の合戦が始まっていた。屈強な武士が力者を務める輿から、鑑連の声が低く響く。
「おい、備中。あそこだ」
「はっ、はい!」
「みな盛り上がっているようだな。ワシも連れて行け」
「と、殿」
「後ろから尻を刺されたくなければ、言うことを聞けよ」
「……」
「返事は」
「はっ」
輿と、由布が固めさせた衆が固まって秋月武士にぶつかっていく。輿の中からは銃弾が発射され、槍が飛び出す。悲鳴と血飛沫が散舞する中、
「備中、秋月のガキを探せ」
「き、来てるでしょうか」
「ワシが出てきている以上、来る来ないで言えば、来るしかないだろ。どうせ逃げるだろうがな。最後に会っておこう」
何気ないその言葉が。備中の胸を刺す。同時に強い視線を感じた方を見ると、
「い、いました」
備中にとっては、夜須見山、博多に続く三度目の目撃だ。秋月種実は、畏れるでも強ばるでもなく、鑑連を我が眼で見にきた、という様子だった。
鑑連は、輿中から敵兵を激しく攻撃し続けている。秋月勢も輿を集中的に攻めるが、その刄は届かない。届いても鑑連には当たらない。
「下郎!死ね!」
異様に伸びる雷のような衝とともに咆哮鋭い捨て台詞が飛ぶ。これなら大丈夫だ、と主人の健康不安を忘れた備中、声を張り上げる。
「と、殿!秋月種実です、敵の大将です!」
だが、鑑連は目前の戦闘に夢中であった。守られていることに加え、迫り来る敵を鑑連がどんどん始末するため、力者は安心して輿を担いでいれている。近侍する備中も同様だ。
秋月は距離をとりつつ、座してなおの悪鬼を見ていたが、しばらく後、静かに兵を引いた。味方の損害を避けるためか、あるいは目的を遂げたのかはワカらないが、秋月と面することを忘れ戦いに耽っていた鑑連だが、備中の報告を聞くと、
「ヤツはワシを見ていたか」
大将が一兵のように戦う様を、確かに見ていた。備中が頷くと、
「そうか」
と笑顔で満足を示した。秋月勢の攻撃はその後も散発したが、鑑連は全て撃退した。
中秋の頃、鑑連はまた倒れた。その病状は重く、今度こそ再起は不可能だった。
東肥前を劫掠していた軍勢も、鑑連を守るために北野天満宮への帰還を余儀なくされた。そして、鍋島飛騨守の先導があったのかはともかく、佐嘉勢も、筑紫勢も守勢に徹し、大友方を攻めなかった。猶予を干し上げられていたのは、鑑連の側だったのかもしれない。
「このような形で終わるとはな……」
もう高良山に戻る体力も残されていなかった。北野天満宮にて、鑑連は最期の時を迎えようとしていた。




