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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
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第498衝 娑婆の鑑連

 昏倒と覚醒を繰り返す鑑連の体に、遂に異変が起こり始める。まず、筋肉がどんどん失われ、老いて尚鋼鉄の頑健さを誇っていた肉体が年相応に近づいていく。筑後の夏は猛暑となりやすく、病人が緊張の只中滞陣するだけでも命を縮める行為だろう。目立った発熱などの症状は無くても体力の消耗は著しい。体調も上向かず、食事をほとんど摂っていない。


 日々痩せ細る鑑連。意識が戻っている時は、窪み始めた眼窩からギラギラ光る視線が、周囲の者を震え上がらせた。


 武士らを恐怖せしめる他のものが一つ。座主が狂ったように繰返す加持祈禱である。無論、鑑連の回復を願ってのものだが、鬼気迫る声明に高良山が揺れていた。一心不乱となるのは、国家大友に深く関係した座主の命運が鑑連の健康に掛かっていたからである。



 恐怖の総本山と化した高良山に、橋爪殿がまた来てくれた。


「義統公は、援軍を率いて日田から筑後に至るとお約束です。お気を強くもたれよ」


 大友家督の勇気、というより思い遣り溢れる宣言に歓喜でいっぱいの幹部連。だが、独り喜色の無い小野甥曰く、


「いつになりますか」


 これが最も重要だと、皆理解はしている。よって、橋爪殿も素直に返す。


「すぐにでも」


 小野甥は、無表情のままであった。


 その日がなかなかやって来ないとしても、鑑連が倒れた以上、本国からの援軍は唯一の希望となっていた。


「援軍が来れば、殿も筑前で養生できる」

「この辺りには無い温泉が近い場所が良い。武蔵寺など良いのでは」

「懐かしの豊後にはいくらもあるものだな……我らだけでなく殿とて故郷が懐かしいはず」


 鑑連にも真の隠居の時期が近づいている、と思いはしても口にはしない戸次武士であった。



 ある日、戸次の二老中から報せが入る。募兵担当の両名連名の文書に心躍らせる幹部連。だが、それは彼らの希望を打ち砕くものであった。曰く、


「伯耆守様ご病気の噂が広がり、一度は応じた出兵を反故にする者が絶えない」

「そもそも吉利支丹門徒が応じない。高良山滞陣の老中朽網も、急に協力的でなくなった」

「戸次家に恨みを持つ入田丹後守などは、豊後防衛を主張し出兵に応じないよう働きかけている始末」


 一同、橋爪殿の話とまるで異なる報告に、愕然たる思いになる。極め付けは、


「憤慨した義統公が出兵要請に応じた以上の確実の履行を求めると、津久見の義鎮公の意向不明を盾にこれを無視」

「僅かな手勢でも自分は筑後入りすると主張する義統公を押し留める時は、宗家関係者総出による」

「義統公は怒りを爆発させるが、全く効果が無く、伯耆守に申し訳がたたないと憔悴する有様」


 本国豊後の惨状には絶望感を得るだけであった。小野甥は誰もいない時、備中にだけ溢した。


「殿の病気は、国家大友にとっての最悪を極めんとしているかのようです」


 今や、国家大友の悲惨は鑑連の悲惨と同義である。鑑連の回復の他に希望を見出すとすれば、義統公を政治的に支える何かが必要だ。それが無ければ、この惨状からの脱却は難しいのでは、と無言で独り言ち続ける備中。


 ではどうすればいいのか。遠い百年程前に大友親治公が行ったような革命が必要なのだろう。ではどのように?いつの世も新興勢力が世を直す想像に従うと、吉利支丹を味方にして、ということしか思い付かず、


「義鎮公が吉利支丹に親しんでいたのは、もしや国家改造の革命を目論んでいたためなのだろうか」


など突飛な考えが脳裏を占拠する。仮にその場合、鑑連は守旧派として生きてきたということになる。かくの如き人物に、革命など縁遠いもの。備中の思考は行き詰まるのみ。


 悶々としながらも、鎮理と共に鑑連の看病に務める備中、ある時、遂に主人の弱音を聴いてしまった。うわ言ではあるが、


「ここで終わるわけにはいかない……ワシは、絶対に諦めん。生きて名誉を誇るのだ……でなければ何の為に……何の為に……」

「薩摩勢とて、ワシらに伍して戦う為に歩んだ道は苦難ばかりであったはず……これしきのこと……」

「荒れ果てた筑後を残して去る?馬鹿な……」


 病床で苦しみ、呻く鑑連が本当は何の為に戦って来たか、備中ですらワカらなくなってくる。


「ワシも古希を過ぎた身。吉弘や吉岡ジジイのように、死ぬのか……」


 偽善を嫌う鑑連の前では否定する優しさも示し難い。そこで備中は、鑑連と吉岡長増晩年の会話を思い出してみる。



「儂はこの臼杵で体を張り続けた。戦場にかまけてこの労苦から逃れ続けた貴様とは違う。貴様は今また、国家大友の最前線から逃れようとしている」

「それは主君へ諫言を為す、ということか」

「そうとも。何と言っても、それが家臣の務めだ」

「……」

「そもそも貴様の任務は、神輿を担いで、人々にその繁栄を信じさせることだったのだ!」



 この期に及んで、両者は同じ苦悶の場にいる。すなわち、国家大友における政治的敗北を、鑑連も喫したということだ。


 それでも備中の考えでは、鑑連には救いがあった。義統公の心からの敬慕を得るに至ったこと。これが義鎮公と常に緊張関係にあった吉岡長増とは大きく異なる。ならば、少数の兵力であっても、妨害があったとしても、先頭に立つという義統公を信じる他ないではないか。



 豊後からの援軍到着より先に、四国を攻め始めていた羽柴筑前守が近衛家の猶子となり関白に就任したという強烈な報せが筑後に届いた。


「日出の勢いとはまさにこのこと、武士が関白とは!」

「土佐の反乱勢も、押し捲られているらしい。ほぼ勝負有りだとか」

「四国が平定されたら、次は九州だ。大変な事になるぞ」


 だが、この巨報も鑑連の容態に何らの影響も与えなかった。病状は一進二退のままであった。



「もう主人はダメかもしれない」


 闇に紛れ、茫洋たる未来を眺めている備中。ふと、何処かから声が聞こえた。すぐ近くのようだった。耳を澄ましてみると、


「鬼ん病気は本物ばい」

「確認できたんな、うちらだけやな」

「急いで帰ろう。こりゃあ絶好ん機会ばい」

「それよかヤツん弱っとーんないば、戦うて勝つこともしきるっちゃなかと? わーオレ天才ばい」


 草の者の気配を感じとった備中。これは多分佐嘉の方言で、全て理解は出来ないが、放置することは許されないと決断。勇気を絞り出し先手必勝、短刀を脇に固めて不審者に襲いかかった。刃筋は見事に外された。


 備中捨て身の攻撃を躱した間者は二名、武器をゾロリと取り出して備中に向き直った。瞬時に殺される、との思いに支配された備中、ストンと短刀を落としてしまう。間者との距離が縮まった。



 床を疾る音が聞こえてきた。凄まじい速さで鑑連が現れた。無言のまま両の腕を伸ばし、間者二名とも同時に掴んで、投げ廻した。正気を取り戻した備中、


「で、出会え!」


 その絶叫とほぼ同時に鎮理と抜刀した内田が走ってやってきた。既に制圧は終わっており、彼らは間者の存在よりも鑑連の健在ぶりに喜びの声を上げる。


「戸次様」

「と、と、殿!」


 痩せ細り、眼光だけが異様に鋭い鑑連が咲う。


「ワシはやはり戦っていれば健康でいられる。敵がいなければ始まらん!」


 気を失った下郎二名を見て、


「こんな雑魚どもでも、ワシに向けた殺気をビンビンに感じたぞ」


 鑑連が二名に鋭い蹴りを入れると、気を失っていた彼らは目を覚ました。が、頭部を強か打ちつけたのだろう、立ち上がった後もフラフラ倒れるのみ。


「よくも殿を狙ったな。殺してやる」


 刀を振りかぶった内田の動きを、鑑連が目で射止める。恐怖のためか、忠誠と野心一筋の内田は無言で動きを止めた。鑑連は二人の下郎を見下ろして曰く、


「今の高良山、ここまで侵入するとは大した腕だ。出身は?」

「……」

「嬉野か」

「え!」


 図星のようであった。抜け目ない識別眼が復活している。


「肥前で草の者と言えば嬉野だからな。だから、貴様らの主人は後藤家信だな」

「……」

「クックックッ、黙っていてもワカるよ。久留米では恥を顔を潰させてもらったからなあ」


 二名とも鑑連を憎しみの目で睨んでいる。これもまた当たりなのだろう。


「ところで諸君。ワシの質問に、正確に答えるのなら、今回に限り見逃してやってもよい」

「と、殿」

「無論、五体満足でな。どうかね?」

「……」


 大きく呼吸をして息を整えんとする下郎二名に鑑連先んじて曰く、


「ため息を吐いたら殺す」


 打って変わって恐ろしい程に冷えた声に、息が止まった様子。無言だがとりあえず質問は聞く、という顔だ。鑑連は質問する。


「貴様らがここまで来るということは、ワシの状態は肥前でも伝わっているということだろうが、そんな事はどうでもいい……羽柴筑前守の話は何処まで知っている?」


 一聴場違いな質問であった。何を聞かれたか、直ぐにはワカらなかった様子の二名。


「……関白んことじゃろうか」

「そうだ。その関白の事について、知っている事を話せ。何でも良い」

「……」

「なんだ、何も無いのか」

「……飛騨守は関白ん家来となった安芸勢と切れんごと気ばつけとおそうばい」

「貴様らの主人は?」

「ワカらん。知らん」

「そうかそうか。クックックッ」


 痩せた鑑連の声は変わったように聴こえる。恐ろしい事に、さらに低く、よく響くようになった。鑑連が内田に視線で命を下すと、内田は不服そうに刀を収めた。驚いた表情の下郎へ鑑連は言い放つ。


「ほら、行けよ」

「え……」

「ワシは約束を守る男なのだ。だからとっとと消えろ。今日のところは後ろから刺したりもしない。明日の気分は知らんがね」


 嬉野からやって来た二人の間者は、互いに顔を見合わせることもなく、居心地悪そうに立ち上がり、速やかに鑑連の前から立ち去った。訳がワカらないという顔で片膝付く内田、ただ一言で諫言する。


「殿」

「良いんだ。ワシの目を覚まさせた褒美だよ、なあ備中」

「あ、ありがとうございました」

「ワシがこれまで貴様の命を何度救ってやったか、数えたことはあるか?」

「は、はい。四度、いや五度」

「馬鹿言え。もっと救ってやったろうが」


 場が少し和らいだ。鑑連は鎮理に向き直って曰く、


「出陣する」

「戸次様」

「何も言うな。それでワシの話だが、この高良山に居ては何も始まらん。それに、さっきのクズどもが出て来ていることも、敵が一枚岩では無い証だ。貴様が言うように今一度平野に布陣して、柳川での失態を覆してくれる」


 今、自ら両の足で立つ鑑連に問題は無いように見える。それが壮絶な瘦せ我慢の結果であったとしても、総大将が立ち上がったのだ。みな、それに従う準備は出来ていた。そこに小野甥がやって来た。立ち上がる鑑連を見て少し驚いた後、


「おはようございます殿。出陣ですね」

「そうだ」

「兵の数は減少していますが、思いの限り戦場にお立ち下さい」

「貴様も立つのだがな」

「無論ですとも。準備は整っております」

「では出陣だ」


 再び立ち上がった鑑連は敵を求めて高良山を下りた。従う筑後勢は少なく、豊後勢も少なく、まさしく鑑連に心酔する者共で構成された軍勢となった。彼らはその命令下、存在を誇示するかのように、筑後川を渡り右岸の地に至った。

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