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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
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第495衝 柳陰の鑑連

 幸いにも元居た本陣はすぐである。起き上がらない鑑連を担いで、矢弾より視線に触れさせぬため陣幕の奥へ運び込んだ幹部連。


 小野甥は陣の外で、事態が露見しないよう手配を進め始める。攻撃指示を強めた由布は、うやむやにすることを狙っているに違いない。幹部連は皆、誰が言うでもなく己の使命を果たしていく。備中と薦野で鑑連の甲冑を外し、傷などを探し始める。


「まさか狙撃か」

「お、音は何も」

「ワカるものか。小競り合いは続いている」


 口調も素な薦野が甲冑を脱がすと、古希を超えた男なのに惚れ惚れする鋼の肉体が現れる。見たところ出血は無い。傷も無し。


「急にお倒れになられたのだ。病か」

「あ……」

「なんだ」

「い、いいえ、なんでも」


 備中は、久留米での戦い直後に鑑連が倒れたことを思い出すが、余計な事は言わないことにした。


 鑑連はまだ起き上がらない。


「高熱もないぞ。何事もないように見えるが。まさか心臓は!」


 鑑連の胸に耳を当てる薦野を見て、馬鹿なことを、鑑連が死ぬ筈ないのに、と思った備中。ふと、主人の死を身近に想像してしまった。するとどうなる?


 せっかく鎮圧した筑前の不平分子がまた騒ぎ出す。その騒動は豊前の反乱勢と合流するかもしれない。秋月種実を喜ばせることになる。さらに言えば、平定まであと一歩の筑後はどうなるのか。豊後での募兵も止まってしまうに違いない。佐嘉勢も結束を取り戻すかもしれないし、薩摩勢は慎重さを捨て北上を開始するだろう。つまり筑後戦線は崩壊する。


「ああ」


 森下備中、今の九州の闘争の中心は、ここにあるのだ、と感慨深く嘆息する。誰もが常勝不敗の鑑連を見ているのだ。


 ならば、咄嗟に小野甥がとった方策も無駄に終わるのではないか。敵も味方も皆、常に鑑連を意識しているのだから。


 ここは是が非でも、鑑連に立ち上がってもらうしか無い。心臓は動いているらしい鑑連を前に狼狽を続ける薦野を邪魔だなと思いながら、備中は鑑連の耳元に正座し、語りかける。


「殿、何かの紐がまた引っかかったようで。手入れが行き届かず申し訳ありません」

「備中殿?」

「殿、もう結構ですから起き上がって下さい」

「一体何を」


 鑑連はまだ起き上がらない。


「ここで倒れてはいかにも不味く。誰もが殿に注目しているのです。印象がよろしくありません」

「……」

「殿、殿の行いの全てを終わらせてはなりません。それでは殿はいったい何のために戦い続けてきたか、誰にもワカらなくなってしまいます」


 戦い続けてきた理由を誰も知らぬ間に、鑑連が死ぬ。思うだけで哀しく、その憐れに目元が熱くなる備中。鑑連はまだ起き上がらない。


「殿。立ち上がってください。荒れ果てた筑後を残したままにするのですか」


 未だの鑑連。


「国家大友にあって、数限りない不快に耐え、殿が戦い続けてきた意味を、凡百どもにお示し下さい」


 その時、鑑連の僅かに体が震えた。閉ざされた瞼も僅かに。薦野が叫ぶ。


「く、医師を呼べ。早く!」


 体を震わせ、微かに瞳を覗かせた鑑連、懸命に立ち上がろうとしているようだ。怪我もない。熱も無く、病としてもワカらない。あるいは何かの罰を受けているとして、それに抵抗するように手足が地を押さえていく。


 立ち上がるか。起き上がってくるか。鑑連の手を支えようとする備中。しかし、鑑連は備中を避けて、もがく。


 仕方なし、と


「ふう」


 一か八かの溜息を披露する。すると、


「貴様……ため息を……吐いたな!」


 憤慨力を梃子に、鑑連が両の足で立った。すぐに片膝ついた備中に、鑑連の腕が伸びる。が、悪鬼の魔手は頼り無く、備中の甲冑に触れるだけ。


 今にも倒れそうな鑑連を抱きとめた備中、


「殿、今医師が参ります」

「いらんよ……」

「医師がおります」

「不要だ……」

「何を仰います。ご病気なら治さねば」

「医師を寄越したら、斬る……」

「しかし!」

「ワシが倒れたら……この軍勢はどうなる」


 霧散する。熟考する必要すらない。


「ここで、弱腰を見せるわけにはいかんのだ。医師が来れば感づかれる。だから手を離せ……」

「む、無茶です」

「無茶なものか……離せ……」


 消え入りそうな声で、備中を突いて手を離した鑑連、その力は信じられないほどに痛くない。


 もう一度、柳川城を見据えて、昂然と屹立して見せる鑑連。足に力が溜まらないのか、時をおかずして崩れそうになった。


「う」


 倒れぬよう、後ろから主人を支えることができるのは、自分以外に誰がいる。備中は鑑連を支えた。なるべく自然に見えるように。


「と、殿。ど、どうぞ、ご、ご、号令をお出し下さい」

「……」


 貧弱な文系武士の腕には悪鬼の躰は重すぎる。だが備中は、支え切ると決意を固めた。しばしの無言の後、鑑連は指揮杖を振った。


 何事ならんと鑑連を見ていた味方は、事態を勘づいていない者から順に呼応して、城に取り付き始めた。


 だが、異変に気がついてしまった者は、敵味方問わず存在した。彼らは一様に動けない。敵は、罠を予感して。味方は不安に塗りつぶされて。


 よほど容態が良くないのだろう。鑑連の足は痙攣しているかのようだし、汗を大量にかいている。主人を支えていて感じるものは、この二つ。かつて悪鬼からはるか縁遠かったこの現象に、備中は戸惑いを隠せない。


 このような状態で、味方の攻勢が乗り切らない中、小野甥の怒号が飛ぶ。


「何をしている!総大将が御下命である!容赦なく城に取り付くのだ!佐嘉武士を生かして帰すな!行け!」


 さらに由布の声も聞こえる。


「総大将の督戦を幸運に思え!功績は報告するまでもない!当たるを幸い薙ぎ倒せ!」


 彼らの鼓舞に応えて、安東や十時に代表される若手が次々に進軍する。最前線で戦っているはずの内田も、力強きを得て、より一層奮戦できるだろう。


「命を惜しまず、吉利支丹の令名こそを惜しめ!」


 これは朽網殿の声だ。豊後勢も懸命であった。


 だが、小野甥や由布の機智胆力は他国の衆を力付けるには至らない。戸次の誰かが叫んだ。


「高良山の衆は何故前進しない!座主殿は何をしている!」


 高良山座主にとって、鑑連の不覚を目撃するのは二度目である。危険を避けようとするのを、だれが咎め立てできるだろうか。また、高良山の僧兵たちには諸将との横の繋がりが強い。たまらず怒る薦野。


「前に出ない理由などない!引っ張ってでも戦場へ引き摺り出せ!」


 しかし、効果は無かった。


 鑑連不覚を目撃した筑後の諸衆は、潮が引くように最前線から後退していく上に、それが次々に伝染して行く。四方からの攻勢を免れた佐嘉勢の反撃も、鑑連担当の柳川城北部に集中しはじめる。


 これは総攻撃ではないから、常ならば構わないことだが、敵にとって明らかな大友方の異変として伝わるだろうことは、文系武士の備中にすらワカる。次の刹那、戸次隊の頭上に敵の矢や弾丸が降り注ぎ、絶叫悲鳴が轟いた。


「敵の反撃が集中します!」

「うろたえるな!戦線を集約しつつ後退!」

「矢弾を恐れず、負傷者を収容せよ!」



「……」


 立ち尽くす鑑連の無念は計り知れない。意識こそ取り戻していたが、茫然と戦場を見つめるのみ。その絶対的な自信は、遂に失われたかのようであった。

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