第493衝 四順の鑑連
「ええと、博多から都方面の報せです。羽柴筑前守、昨年来兵を送り込んでいた紀州をようやく平定し、次いで四国への出兵が間近に迫っているとのことです」
「四国か。織田右府の後継者としての地位をさらに固めるため、遺された事業を完成させるつもりだな。ああ、伊予の大友方は、あれだ」
「ほぼ壊滅状態のままです……」
国家大友は四国に対しては変わらず、有効な手を打てていない。鑑連、少し考え込んで曰く、
「織田勢の到着は織田右府の死により延期になった。あれから三年だ。三年で、新たに羽柴筑前守がやってくる。しかも、かつての織田右府よりも、強大になっている」
「羽柴筑前守の紀伊攻めに、安芸から援軍が参加していたという噂もありますので……どちらも強大な勢力ですが……」
「羽柴と毛利が手を結んだ後でヤツらが九州に到れば、ワシらは虫けらのように扱われるかもしれん」
「そ、それは」
「体よくお払い箱ということさ」
銀齢の鑑連が様々なものを犠牲に確保した筑前や筑後も取り上げられてしまうのだろうか。備中はふと、先に主人が示した憤慨の言葉を思い出す。あれは天の声だったのか。それに、何よりも好んでいる勝利の後だというのに、悪鬼はあまり闊達ではない。
「義統は羽柴筑前と繋がっているが、変わりは無いか」
「は、はっ。件の、義鎮公に内緒で贈呈した茶器がかなりの好評を得たと、もっぱらの話です」
「クックックッ。ワシには喜劇だが、義鎮にとっては悲劇だったろうな。義統にとってはなんだと思うね?」
「い、意趣返しで」
「当たりだ。まあ、この辺りの事情について義統は注視している。ワシらがあれこれ言う必要は無いな。だが募兵の件については、連絡を絶やすなよ。あと、薩摩勢についてだが、肥後のその後はどうだ」
「甲斐相模守様より、戦勝を祝う書状が来てました」
「それはもう読んだ」
「え、援軍手配についても感謝が綴られておりましたね、熱い文章が!」
筑前防衛に協力した甲斐相模守への義理を果たすため、鑑連は肥後との国境を接する豊後勢に支援させていた。が、
「焼け石に水とはまさにこのこと。阿蘇大宮司家も時間の問題だな」
「え!」
「ここしばらく、阿蘇の連中は大友方、甲斐勢は佐嘉方を装い、まあなんとかやってきていた。が、龍造寺山城守が死んで全て佐嘉方の阿諛は全てご破産。ワシらはロクに救援へ行けない。時間の問題だろうが」
「し、しかし、薩摩勢の攻勢は益城郡で止まっているとのことですが」
「大方、休息中なんだろ」
そうだろうか、と疑問の備中。甲斐勢が健闘しているため、薩摩勢の肥後統一が遅れているのではないか。だからこそ、鑑連も幾らかのゆとりを保てるのでは、と思うのだが、相変わらず、甲斐相模守への評価は高くない鑑連である。
「そ、その他薩摩勢の情勢について、決定的な報せはありません」
「不服そうだな」
「そ、そんなことはありません、本当に」
「ふん」
鼻を鳴らした鑑連、家来を教育する気になったのか説明を入れる。
「ワシらはこれから柳川を包囲する。肥後の大友方も、その間の壁としての役割くらいは果たせるだろうよ」
「時間稼ぎ……」
「そういうことだ」
「もし甲斐勢に反撃の気概が宿っていたら……」
「一層のこと、甲斐勢を支援することはできん。ワシらの軍事目標は筑後統一なのだからな。だから、時間の問題といっているのさ」
「と、殿はそれでよろしいのですか?」
「なんだと?」
「い、いえ……なんでも……」
久々の痺れる凝視を受け、言葉を撤回する備中だが、甲斐勢と共同しての薩摩勢撃破などの着想があっても良いのに、と声無き声で独り言ちる。
「心配するな。あのお調子者はきっと、薩摩にも伝手がある。死ぬことはないだろう」
評価の高低がワカらない備中は困惑するしかないのであった。
久留米での勝利から数日経った後、高良山に諸将を招集した鑑連は柳川城の包囲に取り掛かることを宣言した。
「我らに敵対しているクズどもの諸々の蠢動は、柳川攻略とともに終了するだろう」
大勝利の余韻はまだ残っている。総大将の宣言に、諸将は気合も乗って絶好調な声で応じる。
「知っての通り、柳川城の本来の持ち主は、先般龍造寺山城守により殺戮されている。探してはいるものの、生き残った男子は見つかっていない」
諸将を睥睨する鑑連、続けて曰く、
「よって、城攻めに際しては親戚筋となる山下城の蒲池殿の助力を得ることが必要になる。すでに話は進めている。鎮理」
「はい」
鎮理が前に出て曰く、
「山下城には蒲池勢の生き残りが匿われておりました。彼らが、柳川の反佐嘉方の武士に武装蜂起を促します」
意地悪く嗤った鑑連が補則して、
「去年、柳川を攻めた時に、山下城の誘いに見向きもしなかった連中だが今回は違うようだな」
「はい。先の戦いの結果、筑後の空気は大きく変わっています。佐嘉勢も大敗の動揺から立ち直れておりません」
「さすがは戸次様。この高良山でも、筑後の各地から空気の変わりようが伝わっております。まさに今が絶好の機会!」
「まあ、そうだろうな。クックックッ!」
座主の景気付けに乗って高笑いの鑑連、影の薄い方角を見て曰く、
「鑑康、高良山の守備は有意義だったろう」
「いや、まあ」
「見るべきことも多かったはずだ。よって、経験を積んだ貴様ら朽網隊に、今回は出陣をしてもらうことになる」
朽網殿の軍事能力を疑問視しているのは鑑連だけでないためか、面子を取り戻したような表情の老将、声を弾ませる。
「いや、そうか。楽しみにしていたよ」
「城を包囲して、敵が音を上げるのを待つ簡単な仕事さ」
鑑連の鋭い嫌味に、朽網殿ははははとはに噛んだ。
「ははは、そなたにはな」
「もっと正直に言おう。手が足りんからだ」
これもまた朽網殿には効かなかった。
「幸い、また戦場に戻りたいという本国豊後からの声も聞こえてきている。セバスシォン様の帰国で減った兵も、戻ってきてくれるだろう」
「だといいがな」
「あの大勝の後だ、そうなるとも」
嫌味を無視され、逆に力付けられた鑑連、老将から一同へ視線を戻して曰く、
「ワシらからの内応要請に反応を示す者どもも出てきている」
驚き混じりの歓呼の声が漏れる。その声を制して、小野甥が大きな声で述べる。
「中には龍造寺上総介のような大物も」
「なんと」
いかにも信じがたい話に周囲はどよめく。
「柳川城主が従えば、もうそれで筑後平定は完成する」
「確かに、現当主に期待されているのなら、家老の鍋島飛騨守にとって快い存在ではないのだろう」
「陽動とはいえ、ほとんど戦わずして柳川に戻ったのも、戦意の無さと受け取られたのだろうか」
大友方の間にも柳川城主の謀反気が広まっていく。この声が佐嘉に届く頃、疑心が生まれるのかもしれない。
「まあそういうことで、柳川攻略の布石は整っている。無論、簡単には落ちないだろうが、佐嘉勢の援軍は来ないだろうし、来たとしても弱体なままだ。昨年の当主討死に続いての敗北だし、こんな事情もあるからな。ワシの家来がしかと見張ってもいる」
「殿、ぜひ私を先陣に!」
「いや、私を!」
若手や腕自慢が我先にと前に出る。柳川攻略の士気上昇も、鑑連の計算通りなのだろうなあ、と付き合いの長さから達観してしまう備中。笑顔の鑑連は立ち上がって歩き出す。この高まりをさらに広めるために曰く、
「ワシらだけでない。豊後勢だけでもない。筑後の諸将の力を結集すれば、攻略には時間はかからないだろう」
「同感です!」
「ああ、そうだとも」
座主はともかく朽網殿にも扇動効果は効力を発揮している。他の諸将も、諸手を挙げて同意している。楽観的な意見のようだが、鎮理も小野甥も異見を挟まない。確かに事態は好転しているのだろうと思えるものがある。心の闇を自覚している備中も、明るい展望が拓けてきたような気になっていた。
その時、鑑連がいきなり抜刀し、凄まじい力で床板を刺し抜いた。
「出会え!」
雷のような一喝が弾けた。まさか草の者だろうか。鑑連本陣の床下に忍び込むとはなんと大胆な。すぐ庭へと散った一同、抜刀し、庭で待ち受ける。備中も脇差を抜いて置くが、それより過去の嫌な記憶が蘇る。
すると、床下から不審者が現れた。幸いにも男であった。抵抗するでも降伏のそぶりを示すでもなく、なんと悠々と出口に向かって歩き出す。あまりにも悠々としていたため、武者達も捕まえることを忘れ、しばらく見入っている始末であった。
「お、おい!何してる!捕らえろ!」
朽網殿の喝により、正気を取り戻した一同。が、不審者も急に走り出し、そのまま門を飛び出して、高良山の林に消えていった。目前で取り逃がすという不名誉を恐れ、武士達は間者を追いかける。
一方、鑑連は悠然としている。
「クックックッ、備中君。女でなくてよかったなあ」
「は、はい」
「あの田舎者丸出しの顔を見たか。佐嘉の者だろう。今の話、誰に伝えるのか、楽しみではないか」
「で、では……」
「方言も聞きたかったなあ」
鑑連がそれ以上何も言わなかったところを見ると、龍造寺上総介の一件、さてはハッタリなのか。この事情に通じていない備中にはワカりかねることであったが、才気溢れる陰謀に、胸を踊らせた。かくも周到ならば、柳川攻略も上手く行くに違いないと。
風に夏の薫りを感じる頃、大友方による柳川攻略戦は始まった。




