第492衝 予兆の鑑連
「殿……?」
返事がない。
「殿!」
鑑連に駆け寄る備中。途端、鑑連は直角に起き上がった。
「チッ」
重い舌打ちをかました鑑連、備中を睨んで曰く、
「貴様、脛当ての紐が引っかかったではないか」
「は、ははっ。申し訳、ありません」
「ワシは貴様と違って太刀振るい、槍を突き出し、鉄砲を鳴らして戦ったのだ。総大将なのにな。その始末がこれだ。ちゃんと直しておけよ」
「はい、承知しました、はい」
とりあえず頷くことしかできない備中。鑑連は、口をポカリと開いたままの座主に温かく話しかける。
「いや、驚かせて申し訳ない。だが、良寛殿も激しく戦ったと聞いているし、見事な城攻めは対岸からワシも見ていたから存じている。武具などに不足あれば、調達を進めさせるのだが」
「い、いや、びっくりしましたが、戦場における戸次殿のお働きを眼前に見る思いです。お、お怪我は?」
「クックックッ!ワシに攻撃を当てられる者などおらん!ワシを殺せる者がいたら教えてくれ!」
引き攣っていた座主の表情が、笑い声とともに明るく戻る。そして、奪った城や砦の分配や配置の決定後、軍議は終了して一同高良山へ帰還することになった。
だが、備中の心は不安に彩られていた。鑑連の倒起の様は異様であったからだ。妙なことを口走ってもいた。目撃していた小野甥に相談すると、
「ご本人が大丈夫と言っているのですから」
小野甥との付き合いも二十年余年の森下備中。爽やかさに欠ける表情に違和感を覚えるが、
「まさか、どこかお怪我を……」
「あの殿がですか?」
確かにそれは無いか、と思い直す。
「さすがにこの戦いは疲れました。高良山に戻ったら、今日だけはゆっくり休むこととします」
爽やかさが不足しているのはその為か、戦い通しであった小野甥は自身の隊へ戻っていった。ならば、と鎮理を探すが、姿は無く、すでに自隊へ戻っていったようだ。戦闘の最初から最後まで、最も戦い通しであったのは高橋隊なのだ。
鑑連の声が飛ぶ。
「備中!」
「は、はっ」
飛ぶように参上すると、
「我ながら、さっきのは滑稽で嗤えたぞ」
「い、いえ、そんな……」
「あの場に居た筑後人がお気楽蜻蛉の座主だけでよかった。ワシが無様な醜態を晒せば、それだけ士気が落ち、柳川攻めに支障が出る。頭に留めておけ」
「は、はっ。ところで、お怪我は」
貴様、もうワシに仕えて何年になる、という顔をした鑑連曰く、
「貴様、ワシとの付き合いは何年になる」
「そうでした、はい」
少し言葉が違っていて、心に花が咲いた備中であった。
久留米での勝利があちこちに報じられると、にわかに大友方は沸いた。
「さすがは戸次伯耆守!言ってはなんだが、大友宗家の公子達やその幕僚衆とは違う!」
「このまま柳川が落ちれば、佐嘉勢の退潮が決定的になるだろう」
「これはもう、大友方に協力した方が良いのだろうな」
捷報が伝えられた本国豊後では、義統公の喜びひとかたならず、公は功績のあった味方へ、豊後人、筑後人の区別なく、働きを絶賛する感状を書き、次々に発送させた。
「殿。義統公から感状を賜った者どもが、御礼にと挨拶に来ております」
一々、来訪者全ての相手を務める鑑連。その相伴として臨席する朽網殿も大喜びで援護射撃をする。
「義統公は、最高かつ最後の手札を持って、この筑後奪還に臨んでおられる」
「その手札とは?公が最も信頼するの戸次伯耆守殿だ。それはみなご覧の通り」
「柳川を落とした後は、薩摩勢を撃破する作戦に移行するだろう」
面会後、苦々しい顔で舌打ちを繰り返す鑑連である。このまま事態が推移すると、約束通り、入田一門を寛恕する日が来る。それが不快なのだろうか。
ところで、義統公からの感状は当然鑑連宛にも届いている。いつもの如く、鑑連から放り渡されて目を通す備中、年若の主君が年長者の功績を敬意を持って称える文章は感動的ですらあったのだが、それを読んでも鑑連は表情を変えない。
「義統らしい話だ」
「この勝利で、豊後での募兵について、風向きが変わるのではと、期待が高まっています」
「それはそうだが、まだ柳川を落としてすらない。兵をかき集め、筑後を平定し、佐嘉勢を取り込み。チッ、やらなければならないことだらけだ。鎮理は何をしている」
「は、はい。軍勢の再整備に。先日の激戦で最も消耗しておいででしたので」
「ヤツ向きの仕事がたんまりとある。とっとと出頭するように伝えろ」
そこにやってきた小野甥に、鑑連尋ねて曰く、
「その後の佐嘉勢の様子はどうだ。敗北の責任者同士、醜い争いを展開しているか」
「その気配もあるようですが、まだ大きくなっているとは言えません」
続けて、佐嘉勢幹部の動向について報告する。突出した武雄の領主は家中で非難を受け、兄である現当主が庇うも、五州二島の太守の次男や家老の鍋島飛騨守は冷淡さを隠さず、現当主の叔父達は様子見に徹しているという。親戚関係が希薄な大友宗家でも似たようなことはあったかもしれず、さらに佐嘉勢は新興勢力である、という考えが備中にはあった。
「柳川城に入っているのは、どんな血縁者だったかな」
「現当主の再従兄弟でです。先般、鍋島飛騨守の指示を受けて西牟田に出陣していましたが、ほぼ無傷での帰城となっています。まとまった軍勢を持っている為、佐嘉城においてもその存在感は増してきている様子」
「というと?」
「現当主は、年も近いこの再従兄弟を佐嘉城に戻し、鍋島飛騨守に代えて指揮権を委託することを考えているとの噂があります」
「噂の出所は」
「現当主の祖母の筋から。困ったことだ、という所見を伴って」
「様子見の叔父達は、その媼さんが腹を痛めた子らか?」
「違います」
「そんな一老婆に、皆が頭を垂れているとでも?」
「理由があります。一つに本家出身者であるということ、なによりあの龍造寺山城守の母であるという事実」
「偉大な息子を持ってなによりだな」
鑑連は自身と照らし見ているのだろうか。鑑連の実母はかなり前に亡くなっている。
「息子を亡くした媼さんには気の毒だが、この際、利用させてもらおう。小野」
「はい」
鑑連、小野甥に具体的な指示を出す。それは佐嘉と柳川の間に亀裂を生じさせることを目的とした謀略である。
「叔父、叔父、弟、弟、再従兄弟、そして家老。疑心の前には親戚の絆など無力だが、これを育むのはいつも噂だということを忘れるなよ」
「承知しました」
必ずしも謀略に長けている印象のある鑑連ではないが、この方面に持って生まれた辛辣さが加われば良い結果が得られるだろう。
小野甥が退出した後は備中の番だ。
「で、筑紫広門のその後はどうだ」
「はっ、調査いたしましたが……」
居城に退いた後、守りを固めるばかりで特筆する動きはなかった。
「近隣に手紙を乱発している秋月種実からの使者も出入りしているようですが、どちらも手詰まりなのではないかと」
「こういう時は、追い詰められている方が、行動も決断も速いというのはあるがな」
「そ、それならば、高橋様による国家大友への復帰の誘いも、上手く行く好機ではないでしょうか。今度こそ」
「かもしれん」
どうも筑紫広門を侮辱した自覚に欠けるところがある鑑連だが、敵ながら善戦した相手に対する敬意の発露はあるように感じた備中、勝尾城とはもう激しい戦にはならないかもしれないと安心して、次の報告に移るのであった。




