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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
492/505

第491衝 先見の鑑連

 放たれた火焔は千栗八幡宮の社領を焼き、被害は本殿にも到った。この時は運が無かったのか、そこまでしても武雄の領主を見つけることはできなかった。


「後藤家信、未だ見つかりません!」

「顔を知っている者は!」

「捕らえた神人に死体を改めさせていますが……まだ」

「では追撃だ!追撃、追撃、追撃の手を緩めるな!」

「し、しかし……」


 一隊はすでに肥前に入っているのだ。強行軍のためまとまらず、少ない人数で追撃を続行するなど、余りに危険すぎる。しかし、今の鑑連の精神状態も危なすぎる。怒りに狂える鑑連に、誰もが諫言を躊躇っていると、


「西に軍影あり!」

「なんだと!」

「うろたえるな。援軍に決まっているだろうが」

「え、援軍と言っても」

「そうだ。佐嘉勢どものだ」


 元々引き返していた軍勢が向きを変えただけなのか。あるいは守勢に徹していた鍋島飛騨守も、ここまで攻め入られれば、本国での地位を守るためにも援軍を繰り出す他無かったのかもしれない。


「援軍が来るということは……後藤家信はまだこの辺りにいるのかな」

「たぶん。しかし、もう猶予はあまり無いぞ」

「おのれ青二歳め……こうなったら武士の意地だ!まとめて片付けてくれるわ!」

「か、数は……我々に倍する数です!」

「ワシらからして今は数が少ない。余裕の相手だ」

「し、しかし我らは連戦してきていますが……」

「と、殿!」

「殿!一旦引きましょう!」

「やかましい!」


 こんな時、鑑連を留めてくれるのは、由布や小野甥などだが、この場には誰もいない。備中らが途方に暮れていると、折よく高橋隊の使者、それも高位の武将がやってきた。


「申し上げます。筑後川の左岸に残った佐嘉勢、尽く撃破しました。また、高良山の者ども、久留米城を攻め落としました。総括を致したく、一同みな戸次様のお戻りをお待ちしております」


 その言葉は助け舟だった。


「だが、佐嘉勢が引き返してきている。多少の無理を押してでも迎撃をするべきだろう」


 確かに、千栗八幡宮から佐嘉城まで僅かの距離だ。敵本拠地に迫る好機かもしれない。すると高橋武士は片膝つき、丁寧に落ち着いた越声で述べて曰く、


「今日の戦いは近年無い程に激しいものでした。味方も負傷したり、命を落としたり、ともかくまとめなければなりません。また、迎撃には成功しても、今の状態では佐嘉征服までは困難です。ならばここは、一旦引くべきと存じます」

「それは鎮理の意見か」

「はい。我が主人と小野和泉守殿が意見を、私が持って参った次第です」


 鎮理と小野甥の意見ならば、と期待の備中。鑑は少し考え、火の手を上げ続ける千栗八幡を一瞥した後、


「戻る」


 そう短く言った後、筑後川へ馬首を向けた。戸次武士はみな表情には出さないが安堵する。吼えていたにしては求めにあっさり応じたことから、鑑連自身も引き時を見定めていたのかもしれない。千栗八幡宮は敵の迎撃に有利とも言えない場所であった。


 負傷した備中も片足跳びで馬にしがみつく。もっとも創傷は弾丸ではなく、足元にいたらしいムカデに斬られたものだったが。天の大いなる畏れを感じ、足にへばり付いていたムカデをそっと剥がし、鑑連に踏まれない場所で逃す備中であった。



 千栗八幡から筑後川を渡った鑑連は、そのまま久留米城へ向かう。勝利を手に満足する高橋勢、高良山の兵など喜びに満ち溢れた筑後の大友方の連中が集まっていた。彼らは鑑連を見て、歓声上げる。


「戸次伯耆守様のご帰還だ!」

「憎き佐嘉の連中を、かくも鮮やかに打ち破るとは!」

「総大将、おめでとうございます!」


 しかし、共に戦った武士たちからの賞賛は、鑑連にとっての何にも勝る褒賞ではない。それは当然のことであり、百戦錬磨の鑑連はその先にある実質的な勝利を求めていた。


「戸次様」

「殿、お帰りなさい」

「ん」


 鑑連の顔は晴れない。その理由が、備中にもワカりかねる。筑紫広門に妨害され、突出した武雄の領主を仕留め損なったのは事実だが、佐嘉勢に相当の損害を与えたのだ。敵は、川のこちら側に兵を送ることすら出来なくなった。柳川包囲も容易になるはずであった。


 鎮理、小野甥、高良山座主が加わった当座の軍議で戦果が確認された。


 波多勢の撃破、武雄勢の撃破、筑紫勢の撃退、久留米城の奪取に肥前への侵攻と、戦果は上々であった。


「敵の損害に対し、当方のそれは取るに足らないものです」

「討ち取った者も多く、みな恩賞を楽しみにして

います」

「戸次様、ぜひ彼らにお褒めのお言葉を」


 往時の権力を取り戻した高良山座主は、その口調に特別熱が篭っている。促された鑑連は頷くも、


「筑紫広門のために、武雄の領主を討ち取ることができなかった。あんなガキに計画を狂わされるとは、ワシも焼きが回ったと言うしか無い」

「戸次様」


 鎮理が前に進みて曰く、


「筑紫広門は我らに敵対し続けてもう八年になります。その間、龍造寺山城守や秋月種実らと表面上は台頭に、策を練り続けていた男です。もう、ただの孺子とは言えないでしょう。私からして、彼が再突入してくる気配を全く見通せなかったのです。戸次様の手落ちではありません」

「フン……ならいいがな」


 どうも気落ちしているように見えてしまう。沈んだ空気を払うためか、座主が話題を盛り上げて曰く、


「それにしても横合からの攻撃について、戸次様の采配は完璧でした。あれで敵は完全に戦意を喪失したのです」

「久留米城も我が手に戻りました。これで佐嘉勢に与する一族の裏切者どもも力を失うでしょう」

「あとは、正真正銘柳川城のみですな。それで筑後平定が成る」


 早速、情報を仕入れてきた小野甥が報告する。


「内田殿から報告です。西牟田に展開していた柳川勢が城への撤退を開始したとのこと」

「おお。やはりあちらは、追撃を誘う罠だったということですか。さすがは戸次様」

「内田や薦野は下手な追撃などしておらんだろうな」


 小野甥は頷き、その先について述べ始める。


「これで柳川城包囲のための、布石が一つ揃いました。後は、この勝利を諸国へ、特に本国豊後へ広め、我らの軍勢を太くするために何をするか。これが重要です」

「大将首こそ無かったが、義統は喜んでくれるかな」

「御意」


 ゆっくりと立ち上がった鑑連、座主を向き、


「良寛殿。ワシの言葉に大友家督からの心の篭った感状。そして裏切者どもから没収した土地、他に必要なものは?」

「十分にございます。それだけの恩賞を頂ければ、日和見を決め込んでいる筑後の者共とて我れ先にと馳せ参じることでしょう」


 示唆に満ちた発言である。長い目で見れば、筑後における国家大友力の低下に繋がるのかもしれないが、この情勢では仕方ないのだろう。


「少数ですが、親家公の帰還に従わずに残った豊後侍への恩賞給付も必要でしょう。総大将の責務として」

「ああ、その通りだ」

「その上で兵を集め、徐々に網を狭めれば、柳川奪取にも然程時間もかからないでしょう。今回の勝利の結果、本国の鎮連様、鎮秀様もよほど募兵の甲斐が出てくるというものです」

「未来は明るいな」

「薩摩勢と言う脅威はあるものの、事態がかなり改善したことは間違いの無いところでしょう」


 そう言った小野甥の言葉を受けてゆっくりと歩き出した鑑連。


「今更のようだが、やはり戦場における勝利こそモノを言うのだ。武士は戦を愛してこそ、成功する。思えばあれほど好戦的だった龍造寺山城守だが、どこかの時点で闘争に飽いたのだろう。戦ではなく支配に乗り換えた結果、戦はヤツを怨み、殺した。国家としての佐嘉勢から多くの価値を失わせ、さらに、今回の我らの勝利はヤツらの敗北。家臣自立の噂もある中、家中の力関係に火が着くだろう。五州二島殿の倅と家老達は、現状を打破ないし維持するために、各々どのような事でも考える。例えば国家大友の前に平伏すとかな。その相手が倅でも鍋島飛騨守でも、ワシらにとってはどちらでも良い。その後、他方は本格的に薩摩勢のイヌに成り下がる。柳川に残る者共は、目と鼻の先にある本国の混乱を知りどのような気になるだろうか。これは筑前でワシらが感じた通りだが、ところで国家大友には歴史と蓄積がある。その層は古く、所々カビが生え、澱んでいるから義鎮は新興宗教に逃避したが、古くからの誓いに生きるワシらのような者が義統を旗印に再生させる。以前とまるで違う容になるかもしれんが、その前例すら持つのが国家大友だ。今から百年近く前の親治公の事蹟だがな。親治公の築いた国家大友が限界を迎えている今、滅亡が嫌ならば、新しい容を造らねばならん。その為にはもっと、勝利を積み重ねば役には立たん。この勝利など小さすぎる。もっと、もっとだ。強大な敵を糧とせよ。そうだ見えるぞ。薩摩勢ですら生ぬるい。クックックッ、お前達にも見えているはずだ!空から生まれた外道の輩が!」


 いきなりのことだった。


 饒舌の続く鑑連が、直角に倒れたのだ。


 その場にいる全員が瞬時に茫然とした。

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