第490衝 烈火の鑑連
「と、殿、あれは!あれにあるは!」
興奮の余り小節が回った喧しい備中に、鑑連は笑顔で頷いて曰く、
「筑紫の本隊のようだな。ようやくだが、それに武雄勢の首脳もいるようだ。武雄の領主の顔を見知っている者は?」
残念ながら手を挙げる者は居なかった。
筑紫勢の再突入は武雄勢の撤退を助けたが、包囲された全員が脱出できたわけではない。それは今、この刹那にあって、鎮理や小野甥、高良山部隊が包囲している通りである。よって、
「ち、筑紫広門が優先して逃した者が武雄領主という見方は正当であると思われます」
「つまり?」
「あそこにいる武雄勢全員の首を落とせば、目的に当たると」
備中、自信が示唆した結論に戦慄しながらも、
「く、区別は難しいでしょうが、ぎょ、御意」
「全員聞いたな!これより筑後川を渡る!この川をヤツらの血で染め上げるぞ!かかれ!」
鑑連の喝砲に背中を押されて、戸次武士は次々に川へ向かって突撃していく。ここに至るまで加熱した戦いは遂に鑑連に歓喜をもたらすに至った。攻勢はさらに危険な領域へと突入する。
ここまで稀に見る献身を示してきた筑紫勢だが、もはや大勢は決している。
「へ、戸次伯耆が来たぞ!」
「もう駄目だ、逃げろ逃げろ!」
「クックックッ、基肄郡の連中は何を言っているのか、ワカるな」
手槍で次々に仕留められていく武雄と筑紫の武士。鑑連の宣言通り、川が血で染め上げられる。その時、感情の多くの部分を恐怖に彩られ生きてきた森下備中、同じような精神の波を感じた。奇瑞ではない。しかし、その方角を振り向くと、鑑連を射る様に睨む顔があった。
「ち、筑紫広門」
直接話したことなどほとんどないし、相手も自分を認識することなど皆無だろう。だが、立花山城での年始参りで見た、屈辱に歪んだあの表情を、忘れることはないだろう備中。
当時の若々しさは消え、苦労で裏打ちされたその顔は、同じ屈辱に歪んでいた。
「殿!筑紫広門があそこに!」
「よく見つけたな!」
返事より先に馬を疾らせた鑑連。馬が蹴り上げた水の柱が、老いて見えない武将を美しく輝かせていた。備中の他、幾人の騎馬が鑑連を追って疾る。
名乗り上げも宣言も何も無い。鑑連は馬上から槍を投げ放つ。筑紫広門を庇う為だろう、咄嗟に前に出た将の首に刺さり、倒れた。さらに進む鑑連に対して、敵将は逃げ出さず、動きを目で追っている。
主人の危機に際して、護るか見捨てるか、その分水嶺はどこにあるのだろう。信頼、名誉、褒賞、感謝等がその基準だろうが、この戦で無謀な勇気を示した筑紫広門の前にでる武士が増えていく。これだけでも、彼ら長年の敵集団が腹を括っていることがワカるというもの。
鑑連、さらに斬りかかり道を拓く。筑紫武士の攻撃は鑑連には届く前に途切れる。武技と尚武で敵う者はいない。敵防衛を突破した筑紫広門に、愛刀千鳥が振り下ろされた。
「やった」
同時に、発砲音が轟いた。鑑連得意の小筒が放たれたに違いないが、周囲の空気が一変し、鑑連は集まった筑紫武士に包囲されていた。
「む!」
「今だ、討ち取れ!」
馬で鑑連を追う備中は瞬時に理解した。これもまた、筑紫広門の罠であり、きっと自らを囮にして鑑連を誘ったものであると。岩屋城での戦いなどを思い返せば、筑紫勢は工夫を凝らした策を用いる相手であった。それでも、こと戦場の闘いにおいては主人鑑連に一切の心配は不要で、斬ったり、蹴ったり、投げたりで、備中ら家来が追いつく頃には危機は消えていた。
「殿!我らが広門の首を落とします」
幾名かの戸次武士が意気込んで飛び込んでいくが強硬な抵抗の前に攻撃は止められていた。さらに、
「あ、生きてる」
鑑連の攻撃を受けた筈の筑紫広門は家来に支えられながら立ち上がっていた。よろよろしているが、流血もしていないように見える。とはいえ被弾したのだから、無事ではないのだろう。例の視線を鑑連に向けながらも、家来に護られて戦場の喧騒に紛れ去った。鑑連は呟いて曰く、
「特注品かなにかで、首回りをガッチリ守っていやがった」
「……」
「さらに邪魔が多すぎ、顔面を狙って撃てなかった。分厚い鎧を身につけていたよ。しかし、まだまだ」
「と、殿」
「ん」
「自分自身を囮に殿のお命を狙う相手に、これ以上は……」
「……」
鑑連、一瞬だけ無言となるが、
「では、武雄の領主を追う」
「は、はい」
馬に乗った鑑連、馬首を巡らせる。それでも備中には、鑑連が気を落としているように見えるのであった。
「死に狂え!いいか、例え貴様らが一人でも、死に狂えば敵が十倍いようとも貴様を打ち破ることはできない!生きて名誉を手にしたければ死に狂え!」
筑紫勢追撃を諦めた鑑連、声を震わせて味方を鼓舞する。なにせ、筑紫川を越えて敵を追撃する味方の数が少なく、未だに武雄領主を発見することすらできていない。鑑連の追撃策は、筑紫広門のまさしく絶妙な一策に狂わされていた。
だが、鑑連はまだ幸運を掴み離していない。
「佐嘉勢が千栗八幡宮に逃げ込んだのを見た者がおります!」
「直ちに宝満川を渡る」
その途中、川向こうの戦場が見える。高橋隊が、まだ敵をおっていた。久留米城の付近で別の方角に逃げた敵のようだが、この戦いの当初から戦い続けており、驚くべき持久力である。
手前の久留米城も高良山部隊に包囲され、火の手が上がっている。つまり、鑑連は彼らの援軍は期待できない。
蛇行する川と崖に守られた千栗八幡宮(佐賀県三養基郡みやき町)
足音低く戸次隊が、さほど厳しくない坂道を登り始めた時、
「伏せろ!」
林中から鉄砲が撃ち放たれた。銃口の数はさほどでもないが、被弾した戸次武士の幾名かが悲鳴を上げて地を転げる。血と煙の匂いが鼻を突く。備中も頭を抱えて地を這うが、鑑連は独り屹立していた。どこかで火縄が構えられる音が聞こえた。
「殿!あぶない!」
備中は主人鑑連の上に覆い被さり、その身を守ろうと懸命に走り、
「ああ!」
虚弱な手足を狂おしげに曲げて跳んだ。
「!」
だが、鑑連はびくともしなかった。むしろ、不動の肩が顎に当たり、目を回しながら痛みに耐えねばならない。また主人は冷えており、巨石にしがみついたような感触に備中、嫌な汗を流す。さらに銃撃が放たれた。
「ひぃ!」
幸いにも被弾せず。だが、鑑連から離れようにも不思議と手が離れない。主人の顔を見上げると、憎々しげな表情で、神域である小高い丘を睨みつけていた。そして吐き捨てるように曰く、
「備中、林に火をかけよ!」
「え、ええっ!」
主人は肥前の一ノ宮に火を放てという。そのようなことをして良いのだろうか。
「八幡宮は宇佐にも筥崎にもある。そも、義統が祈願した府内の由原こそがワシらにとって真の八幡宮よ。ワシの行く手を遮る連中が潜む丘など燃やしてしまえ!」
「と、殿」
「ワシらはなんとしても武雄の領主の首を上げねばならん!それを邪魔するものは消し去ってくれる!何者だろうとな!」
「で、ですが、ひ、肥前一ノ宮……」
「安心しろ。古来、肥前の一ノ宮には論争がある。この社が燃えることで、もう一つの神社は泣いて喜ぶだろうよ」
「そ、そんな」
「速くしろ!貴様何を躊躇う!」
「ぜ、善導寺の一件が」
「ワシは吉利支丹ではない!よって、ワシを非難する者もおらん!」
「しかし!」
「黙れ!貴様はワシと一蓮托生!今更神ホトケの加護が得られると思うなよ!」
逃げる備中に追う鑑連。戦場で睦み合う二人を嘲笑うように、また銃声がし、弾丸が空を奔り抜けた時、
「うあっ!」
備中の足に鋭い痛みが走った。余りのことに崩れ落ちる。弾丸が当たったのかもしれない。が、これで火付けは出来ない。備中がこの幸運に感謝し、大袈裟に倒れてみせると、
「あ」
投げ出され宙を舞った自分の荷物が、そのまま鑑連の掌に落ちた。火薬袋である。鑑連愛用の小筒に補充するためのものだった。なんという奇瑞だろう。だが、鑑連は笑わぬ顔で曰く、
「見たな。ワシは貴様の動作から、この火薬を掴んだのだ」
「そ、そ、それは」
「諦めろ。吉利支丹でもなく、競合する神人どもですらない、敬虔かつ謙虚なワシらが、ただただ敵将の首を狙うためだけに、神の社に火をかけるのだ。つまるところ、これは生きとし生ける者どもの事情。どこに罪などあろうか。たとえ由原の八幡神と言えども、ワシらを止めることなど出来はしない……!」
その声はひたすら冷たく、重かった。そして鑑連は自らの手で、千栗八幡宮に火を放つのであった。火の手が上がり、煙に巻かれ、転がりでてきた武雄武士は、次々に槍で突き殺されていった。
備中は現実を思い出し戦慄する。どのような武運軍略も、ただ一つ、血塗られた目的のために遂行されるのだということを。




