第486衝 流水の鑑連
この作戦は自分が鎮理に鑑連の言葉を伝えることで発動をする、ということだ。自分が命を落とすようなことがあってはならない。部下の伝令兵を先頭に、胸に痛みを覚えながら馬を駆る備中。大友印の杏葉旗が風に振るえている。
高良山と久留米城を繋ぐ道の道中、左手の様子が気になる備中。ここには鑑連の命令で、高良山勢力が配置に付いている。その手配をした備中、用事が無くとも声を掛け共に戦場に挑む者同士の連携を感じたいが、そんな猶予も無いのだ。
さらに進み、支流筒川に沿って、泥濘のある足場の良くない地を進むと、久留米の城が見えてくる。佐嘉方が籠るこの城は、幾度と大友勢の攻撃を受け、損傷の痕が生々しい。今も高橋勢の包囲を受け、封じられている。高橋兵によると、鎮理は川向こうの激戦地に陣を置いているとのこと。見れば、小舟や板で渡した臨時の橋が備中を誘っていた。
「行きましょう」
先頭を進む部下が頼もしい。
「備中、よく来たな」
「は、はっ」
「そなたがここに来たということは戸次様が敵を見定めたということだな」
「はっ。佐嘉勢の本隊から、武雄勢がこちらに向かっております」
「武雄勢……」
「……」
「備中、戸次様が何か言っていたのなら、聞いておきたい」
「はっ……」
「どうかね」
鎮理は相変わらず透徹した目をしている。矢玉が飛び交う戦場ですら、常時と変わらない。が、虚ろでは断じて無い、不思議な力強さを備えている。静かな目線に導かれた備中曰く、
「高橋様が、敵に判断の分かれ目を生じさせる、と述べておりました……」
曖昧な返答になったが、鎮理は頷いてくれた。
「ワカった」
それから家来に何事かを命じた後、
「森下備中、すまないがここで略図を書いてもらいたい」
「りゃ、略図、ですか」
「かつて佐嘉を攻めていた頃、そなたが描いた戦いの図を戸次様が参照していただろう。それと同じことをしたい」
「さ、左様で」
見ればすでに紙硯が置いてある。床几も一つ空いていた。これは否応無しだ、と悟った備中、速やかに求めに応じる。陣を出入りする将兵らかの視線を敏感に感じつつ。
陣の外では戦いの歓声や悲鳴、怒号だけでなく、銃声や撃音が乱舞している。それでも、高橋家臣団の冷静かつ堂々たる振る舞いはどうだろう。思えば、高橋鑑種殿が去った後、名家の継承を一本釣りで命じられたのが、この吉弘鎮理という人物なのだ。その人事に決定的な影響を与えたのは、吉岡長増その人であった。
鎮理は数々の苦労を経て、今や高橋家を自分自身のやり方で完全に掌握している。兄鎮信の摯実は鑑連に愛されたが、弟の透明もまた、同様のはず、と筆を走らせながら備中は感服を深めていく。
☆
肥前国 川 ↓筑紫勢
川川
宝川川 小森野 北野
満 波多勢↓
川川川川川川川筒川川川川川川川川川筑後川川川川
久留米城 川 ↑高橋隊
祇園原 川川川川川 野中
川川
川 御井の陣
筑後国 川 高良山
☆
備中作の略図を指し示しながら、鎮理は次々に指示を出していく。
「敵は同盟関係にあるもの同士。時勢ゆえ、遠慮し合う所がある上、豊前の武士も混じり連携が悪い。攻めには強くても、こちらの反撃には弱い。攻め時だ」
その丁寧さは、理解の確実さに重きを置いているように見える。思えば統虎は、鑑連より鎮理の下での経験のが長いはず。若き成功は、実父からの薫陶の賜物なのだろう。
一通りの指示出しが終わり、鎮理は備中を向いて戦場の解説を始める。
「今、我らの正面に立つ筑紫勢には、秋月の兵が加わっている」
「は、はい」
当然予想はされていたことだ。将は静かに頷き続ける。
「秋月兵と言っても、多くは豊前からの武者集団だ。士気は低い。しかしながら、一部に高橋鑑種殿に従った者もおり……彼らは強硬だ」
先代のその名が出た時、陣の感情が揺らいだ気がした備中。
「彼らに死に場所を与えてあげたいが、私には私の勤めがある」
が、当主は冷静そのものである。
「敵もまた、追い詰められている。戦っても戦っても、戸次様には勝てない。これを筑紫広門は、秋月種実に徳が無い為だと思い始めている」
「せ、戦場で命を失った龍造寺山城守も同じ……でしょうか」
「その通り。だからこそ、筑紫広門の心は大きく揺らいでいる」
「……」
「よってここで、筑紫広門の戸次様に対する謀反気を粉砕するつもりでいる」
「ですが……そ、その佐嘉勢が迫っています。一部隊とは言え……」
陣の外で歓声が上がった。どうやら高橋勢が敵を押し返している様子だ。将兵の出入りも激しくなる。鎮理は続けて曰く、
「ああ。だが、それについては、戸次様の領域であって、私は作戦通りに動くのみだ。心配はいらない」
鑑連に戦場を任された人物がそう言うのだ。これ以上下郎が何をか言わんや、の心境で備中は頷くのみであった。武者が飛び込んでくる。
「申し上げます!敵勢を割り、分断に成功!秋月隊、引き始めました!」
「よし」
勝利を歓迎する高橋武士の歓声が響く。
「殿のご指示通り、我らは隊列を整え、この陣へ戻りはじめております。半刻もかからず、完了する模様です」
「よくやった。お前たちの活躍は、御井の陣に居る、総大将に見られてる」
褒賞に期待すべし、と締めた鎮理を前に、高橋勢の士気は鰻登りの様相であった。
宝満川左岸。
筑紫勢に対する追撃を控え、隊の集合を優先させた鎮理の前に、敵の第三陣として武雄勢が現れはじめた。軍勢はまとまっていないが、無視できない数にはなっている。
「思ったより速い。こうも西から急行してくるとは。しかし、敵はバラバラのようだ」
「武雄勢に西牟田勢が与力しているようだ。連中が渡河の道筋を示すはずだ」
「筑後川では我らが勝った。この宝満川でも我らが勝つだろう」
高橋武士の強気な意見が出揃った所で、それまで黙って目を瞑り聞いていた鎮理、眼を開き、幕僚らを一人一人見ながら述べる。
「ここにいる森下備中殿が戸次伯耆守様のご意見を伝えてくれた。それによると、この武雄勢の突出は敵の作戦の埒外のものだ。率いているのはあの龍造寺山城守の息子達の一人で、佐嘉勢の作戦を束ねる将の競争相手だということ」
「大物ですな」
「相手にとって不足はありません」
好戦的な意見が頻発しているが、鎮理はこれを鎮める事なく、
「身分高い龍造寺一門ということならば、同調者もいるに違いない。今、敵はまとまっていないが、時間と共に集団を形成するだろう。そうすれば数の上でも大物になる。倒すのならその時だ。そしてその為の作戦を、私は総大将から授けられ、ここに来ている」
おお、とほれぼれたるため息が漏れ聞こえる高橋小森野の陣である。鑑連もそうだが、鎮理も部下達から絶対の信頼を寄せられる類の武将のようだった。
「皆に伝えよ。宝満川を渡ってくる敵の小勢を迎撃しながら、我々は来た道を辿り、筑後川左岸まで戻る。比類無き功績を携えて高良山へ戻るための一戦がこの後に控えている。我々の栄誉のためには、この地は狭すぎると」
大将直々の熱い鼓舞を受けた高橋武士団は、軍勢の集結を踏み行うと、直ちに次の行動を開始した。




