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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
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第479衝 幽寂の鑑連

 高良山の陣では、セバスシォン公帰還の噂が瞬く間に広まっていった。


「お飾りだったとは言え総大将が先に帰国するとはな。何考えてるんだろう。戸次伯耆守と喧嘩したのかな」

「大友方の勝利はほとんど戸次勢が稼いだ。そりゃ妬ましいだろ」

「不仲のためか……大友方は大丈夫だろうか」


 噂は悪しき調子を帯びてさらに進んで曰く、


「公に続いて志賀様も帰国するってさ。やっぱりあれかな。善導寺で殺しまくって、居辛くなったのかな」

「今のご当主は吉利支丹門徒なんだろ?なら気にしてないさ。それどころか、フランシスコ様から褒賞があるんじゃないか」

「冗談を言っている場合かよ。志賀隊は豊後勢で最も兵力が多いんだぞ。それが離脱して、この戦線持つのか」


 陣中に流れるこう言った流言を収集し鑑連へ報告する備中だが、この活動から戦線崩壊を食い止める良案は浮かんでこないままであった。


 その後、志賀勢が撤退の動きを隠す事も無くなった冬の日、当主である志賀パウロが鑑連を訪ねて来た。


「すでに我が祖父から報せがあった通り、志賀家は豊後へ帰還します」


 相変わらず凛々しく美しい立ち振る舞いである。なのに、その言葉は情けない。


 改めて思えば、この吉利支丹武将にセバスシォン公が寄せた期待が鑑連によって外されてしまったことが、公の戦線離脱に繋がっているように見える。あの軽挙が、公と鑑連間に亀裂を生んだことを思えば、若者こそ今の困難の元凶ではないだろうか。


 それでも志賀家の若当主である。礼節を持って挨拶しなければならない。


「志賀の兵が抜けるとなると、豊後勢はみな勇気を失ってしまうのではないか。柳川攻略も困難なものとなる」


 しかし、残ってくれとは明言しない鑑連である。多分、志賀パウロには兵を置いて帰ってもらいたいというのが本音なのだろう。


「総大将が帰還されたのですから、下々もそれに従うのが道理でしょう」

「本国から撤退命令は出ていないがな」

「戦地での判断は、総大将に委ねられています」


 やはり凛々しい志賀パウロ、言葉に勢いがあり、声を聞いているだけで心が納得に傾いていく。


「戸次殿の帰国の予定は何時に?」

「義統公は筑後の平定を願っている。帰る理由などない」


 鑑連の声に、火を噴くが如き威圧が無く、つまりそれ以上会話を続ける気も無いようだった。


「親父殿によろしく伝えておいてくれ」


 鑑連も妙な挨拶をする、と思うと同時に、安芸勢との戦いで肥後衆を率いて活躍していた倅の方の志賀安房守を思い出した備中。そつなく任務をこなす人物であり、備中の見た限り鑑連との相性も悪く無かった。だが、その子とは明らかに悪い。


「その機会があれば。すでに宗易殿は隠居の身。公の場に姿を表すことも少なくなりましたので」


 自分の父を何某殿と呼ぶこの他人行儀、これが吉利支丹の教えなのだろうか、と備中は眉を顰める。


「そんなことはあるまい。親父殿は肥後の阿蘇勢と連携して、国境を懸命に守ってくれていると聞いている。かつて安芸勢とともに戦った仲、ワシも頼りにしているのだ」


 対する返事は会釈のみ。志賀パウロは豊後へ去っていった。



 志賀勢の戦線離脱は、豊後勢に一つの方向性を示した。祖国を守るため、主家防衛に備えるため、理由は色々だが、中小の領主達が抜けていく。


 そんな状況に危惧を募らせ動揺を深めるのは朽網殿。毎日の様に鑑連を訪ねてやってきて曰く、


「今日も高良山を離れる者共が出た。宗家の許可を得ていると吐かしやがった。証拠を見せろと言ったが、志賀勢は証拠を示したのか、と言い返して来る始末だ」

「このまま筑後を離れれば、せっかく取り戻した領域すら失ってしまうというのに」

「昔はこうでは無かった。天正に入って、豊後の武者共は腑抜けてしまった」


 同胞の不甲斐なさに不満を爆発させるのであった。今回の出兵にて、豊後勢の双璧を為す志賀勢とは真逆だが、朽網殿は高良山に残り、味方の陣を回って国家大友の愛国心に訴え、奮起を促すが、豊後武士は日を追うごとに減少していく。


 怒りが収まらない朽網殿はだんだん過激化していくようで、


「勝手に離脱をするなど、利敵行為ではないか。見せしめとして、追跡して殺してしまうというのはどうだろうか」


 と鑑連に同意を求めてくる始末。やりたければ勝手にしたら、と躱す鑑連に、


「怒りを感じないのか。そなたらしくない」

「もう通り越しただけだ。それより、らしくないとは貴様のことだ。義鎮から帰国命令が出ているはずだろうが。ここに残っていていいのか」


 この話題になると必ず言葉を詰まらせる朽網殿だが、帰る、と、明言しない所をみると、義鎮公と義統公の間で苦悩しているのだろう。それでも、高良山に留まっている。鑑連が嫌うこの人物について、軍事的能力の高低はともかく、誠実な人物には違いない、と思い始めていた備中であった。


 と、そこに訪問者があった。


「肥後より、甲斐相模守様からのお使者が来ております」


 相変わらず肥後方面の情報はこの人物から送られてきており、阿蘇勢健在の証でもあった。


「どれ、書状を読もうか」

「はい」


 備中が取り次いで受け取ると、


「もう一つ書状の他に、直接お伝えするべきものがあります。これまで援軍としてお借りしていたご家来衆をお返しする、とのことです」

「なに?」


 鑑連は肥後にも領地を所有していたため、その守備や管理のため、肥後にも少数の家来衆がいる。佐嘉勢の勢力伸長に伴い、甲斐相模守へ付けていた百名にも満たない将兵だが、


「この筑後の状況、肥後にはどこまで伝わっている」

「柳川攻略を前にして、豊後の方々が帰国を始めている旨、伝わっております」

「そうか。さぞ評判の悪いことだろう」


 鑑連の自嘲に沈黙する使者。朽網殿が苦い顔をして恥を忍んでいる間、書状に目を走らせた鑑連、


「薩摩勢が筑後に入らない今、連中は肥後制圧に血道を上げているだろう。甲斐相模守殿は阿蘇領を守り切るつもりのようだが、苦しい立場にいるはずだ。なのに、兵をワシに返すというのかね?」

「はい」

「敗北が早まるだけかもしれんぞ」

「我が主曰く、薩摩勢に対して勝利を得る可能性が最も高い戸次様に賭けると」

「そうか」

「……」

「薩摩勢の走狗と化した佐嘉勢に対する勝報を、肥後にてお待ちしております」


 阿蘇家に付いていた鑑連配下の将兵たちは既に益城郡を発ち、分散しながら二、三日で高良山へ到着する、そう言って甲斐相模守からの使者は肥後へ帰って行った。使者を見送った朽網殿、真剣な表情に透き通った声を乗せて曰く、


「戸次殿」

「なんだ」

「私は筑後に残ることにした」

「筑後に残って、佐嘉勢と戦うと?」

「そうだ。我ら朽網家は、全員筑後に残る。命令に背いて帰国する者について、決して許さない」


 豊後勢が戦場を去りつつある一方、肥後勢は国家大友を守るための戦いに希望を繋いでいる。その事実を前に、朽網殿は恥を知ったのだろうか。老将の顔には、どこか瑞々しい決意が漲っているようであった。


「そなたの指揮下で戦い、この筑後を完全に取り戻して見せよう」

「良い覚悟だが、ワシの指揮下に入るということは、無数の危険と死と対峙するということだ。貴様の家来どもに、それを求めることができるかな?」

「勝手に戦場を離れ逃げ帰る者があれば、斬る。斬って軍律を正して見せよう」

「いいだろう。その言葉、忘れるなよ」


 朽網殿から覚悟の献呈を受けた鑑連、喜びも礼も、あらゆる感情を示さずして、それを淡々と受けるのであった。



 そして、阿蘇家の使者が伝えて来たとおり、肥後に派遣していた家来が高良山にやってきてから後、年が明けた。天正は十三年目を数える。

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