第477衝 憂愁の鑑連
「……」
公は何も言わず、集団の中に引っ込んでいるが、鑑連の凝視が飛んでいる。幕僚衆が庇い、ついで外側に立つ護衛の衆が抜刀体勢をとると、鑑連は合図して、備中らに大友宗家の家紋を広げさせた。栄光と苦悩に満ちた杏葉紋の旗印である。
「クックックッ、恥を知らぬ者から前に出ろ。この戸次伯耆守鑑連が稽古をつけてやろう!」
この圧倒的威圧に護衛衆全員が戦意を喪失、セバスシォン公に頼りない視線を流すのであった。不安の集中を受けて前に出るしかなくなった貴人の顔を夕陽が差し始める。
「これはセバスシォン殿」
「戸次伯耆守」
「あの川沿いから豊後です。今、国境付近は安全で、敵はおりませんな」
「知っている……この川道の先には日田がある。もっとも日田に用事があるわけではないが」
「この川、日田の者共は三隈の川と呼びますが」
「そ、そうか」
「由来をご存知で?」
「い、いや」
「帰りの道すがら説明しますよ。以後の戦いの参考にでもどうぞ。では、高良山へ戻りますか」
鑑連の言葉の後、公よりもその周りの幕僚らの顔が悲壮になる。まず、公の幕僚衆は高良山にはもう戻りたくないのだろうが、セバスシォン公は少し異なっていた。返事の無いまま、やや攻撃的な顔付きになった。朽網殿の言う通り、戦いを忌避する性格ではないのだろうか。あるいは、追尾捕捉された恥に、感情を昂らせているのか。
「さ、どうぞこちらへ」
鑑連の催促を僅かな沈黙で返した後、なんと公は嗤った。
「ふ」
「ふ?」
「ふ、ふ、ふ」
若き貴人は、その未熟さに似合わぬ不敵な声を発した。そして、感情の強く込もった眼を鑑連に向け、問うた。
「其の方は、筑後を平定した後、筑前へ戻るのだろうか」
公は鑑連との対峙を望んでいるようだった。それに応えた鑑連曰く、
「どうですかな。薩摩勢と対峙するなら、誰かが筑後へ駐留せねばならず。ワシ以上の適任者がいるかどうか」
「いないだろう」
「良かった。意見が一致した」
「だから、私は豊後に戻るのだ」
鑑連は、耳を疑うように問い直す。
「だから?」
「そうだ」
「ワシがいるから、戦線を離脱するということですか」
「そうとも」
「ワシが気に入らないのかね」
「先般話をした通りだ」
先般、ということであれば、義統公を支える鑑連が、自身の栄達の妨害になる、と公が考えていると明確に認めたということになるが、
「そなたは総大将としてこの戦いに身を置いてきた。投げ出すなど、もはや許されん。これも先般話した通りだがね」
「そうかな?」
「そうとも。ならば最初から、総大将の地位を受けるべきではなかった、ということになる。以後誰がそなたを擁護するだろうか」
鑑連は、若き貴人に無責任の及ぼす危険を再度伝える。鑑連にしては珍しい思いやりだが、この無責任が及ぼす被害を計算しての上だろう。
旗印を持ったまま立つ備中は、人の持つ劣等感に敏感である。だから、この貴人の意思を翻させることはもはや困難であるとの確信を付けていた。そして身分が高いのだ。強行突破をしかけてくるはず、ほら、とも。
「だが、其の方に私の帰国を止めることなど出来はしない」
「そうだろうか。ワシがそなたを担いで馬に乗れば、そんなこともない」
だんだんと地が出てきた恐るべき鑑連を前に、抵抗の意思を示すセバスシォン公。
「私が帰国するためにこの路を選んだ理由は、なにも其の方の働きで安全になったため、というだけではない」
「ほう」
「吉利支丹宗門の武士らが私を出迎えるため近くまで来ている」
「ハッタリだな」
「本当のことだ。この辺りで戦った経験を持つ者共で、彼らは私を救出するために、待機している」
柴田弟だろうか、と思いを巡らす備中。鑑連も同じことを考えているに違いない。よって、話が事実でも、鑑連を止める材料にはならない。鑑連は柴田弟に対して強いからだ。
「其の方は吉利支丹の味方ではない。争いになるだろう。筑後で反乱勢と戦いつつ、内紛を演じることなど不名誉だろう」
貴人にしては悪しき考えと表情を披露するセバスシォン公を、鑑連は相手にしない。
「まあ、ハッタリとなら幾らでも戦ってやるさ。さ、高良山へ戻るぞ」
「私に近寄るな」
「こら、ワシの手を煩わせるんじゃない」
「おい、私の前に立ち、戸次伯耆を遠ざけよ!」
公にそう指示された護衛衆、少し狼狽した後、とりあえず公と鑑連の間に立ち、壁たらんとする。が、鑑連は無言で足払いを連発し、道を切り拓き進む。
「うわっ」
「うわっ」
「うわっ」
その間に公はさらに後退し、倒された者どもが鑑連が進むたびに立ち上がり、両者間に並び直す。笑いがこみ上げてくる愉快な風景だが、大した忠誠心である。それでも杏葉紋掲示の効果はあったのだろう。誰も抜刀はしない。いつまでこれが続くのか。
「貴様ら、いい加減にしろ。いつまでこんなことをやるつもりだ」
戸次武士らもセバスシォン公から、近寄るな、と通達された以上、手を伸ばせないでいた。これは謀反では無いのだから。どうしても高良山へ戻りたくないのだろうが、セバスシォン公の策も中々のものである、と人知れず感心する備中であった。
「伝令!伝令!」
千日手の膠着がしばらく続いた頃、喜劇の場に伝令が飛び込んできた。内田隊の印を付けた伝令だ。
「殿を追って参りました!申し上げます!佐嘉勢が動き出しました!」
くだらないことをしているだけあって、騒つく戸次武士たち。一方のセバスシォン公は、口の端を釣り上げて不敵な笑みを強めた。報告が続く。
「柳川の佐嘉勢、山門郡、上妻郡に進み、当方側の村落に火をかけました!溝口勢、蒲池勢が撃退しましたが、敵の引き速く、戦の体勢を整え終えたものと思われます!内田左衛門尉殿曰く、これは陽動にて、敵のさらなる攻撃への備えとして殿にお戻り頂きたいと、私を至急送り出しました!」
事前に内田に送った指示が果たされたのか、敵の体勢が変わったのか、確かに鑑連が前に出て確認する必要がある話だ。つまり、筑後の東端で、このようなことをしている暇は無い。セバスシォン公は、嗤って曰く、
「敵が動いたぞ。其の方の他に、満足に対処できる者などおるまい。それとも朽網の老ぼれにやらせるのか?」
「貴様……」
遂に、本性全開の両者である。
「其の方、破天荒なようで、諸事を弁えている。拒否する私を無理矢理組伏せ、高良山へ連れ帰るということも、口ではともかく実際には行わないだろう。そして私は絶対に高良山へは戻らない。このままではこの場所に留まり続けるだけ、万事不利になると言うことだ」
「兄に劣らぬ名声を欲する貴様が、なぜこのような愚かなことをするのか、ワシは理解に苦しんでいる。筑後を平定すれば、総大将の貴様の功績になる。悪いことは言わん、ワシと共に高良山へ戻れ」
「伯耆守、言葉を失ったか?私はすでにその問いに対して答えを行っている」
「それほど兄貴の風下に立つのが嫌か」
「既に知っていることを私に問いかけるな!」
「破滅するぞ。国家大友だけでない。貴様、貴様も破滅するのだ」
「私には私の考えがある。絶対に破滅などしない」
「このまま帰国すれば、先にあるのはありとあらゆる破滅だ」
「今、私は満足している。あの戸次伯耆守が私に追い縋ったのだから。この場の其の方の無礼は、三隈の水に流そう。この先でな。ふ、ふ、ふ!」
「貴様の親父も破滅するのだぞ」
「戸次伯耆守、其の方のことは忘れない」
「おい、コイツはワシの言うことをちっとも理解してないぞ!信じられん愚か者だ!」
「下がってよい」
「下がってよい、ではない。話は終わっていない」
「伯耆守下がれ!」
「無意味な汚名を被りたいのか」
「そうならぬように、やってみせる。私には父がついているのだから!」




