第475衝 説伏の鑑連
段々と、切々と、セバスシォン公の声に泣きそうな趣が響き始めている。
「それにだ。其の方は戦果を適切に評価しない」
鑑連、これには驚愕の表情で、身振りも加えて曰く、
「ワシはワシ程戦果の適切な評価者はいないと自負している。話を伺おう」
「善導寺に篭る草野勢を、志賀パウロが撃退したことだ。正当に評価しないばかりか、戦場から去れ、と命じたな」
「というか、一方的な虐殺で、実に非効率的な愚行だった」
「あ、あれは私が志賀に命じていたのだ」
「吉利支丹らしく、仏僧を皆殺しにしろと?」
「そうではない。敵を匿う者には容赦をするな、と」
「正当な評価でないと?」
「志賀パウロの下には多くの吉利支丹門徒がいるのに!我が父と親しい者も多いのだ。其の方のおかげで私の面目は丸潰れだ」
親子間でも多大な気遣いが為されている様子に、哀れみを感じる備中。
「志賀パウロは仏僧らの首をいとも容易く刎ねた。まさか、それが戦果とでも主張するのかね?」
「ヤツらは裏切り者だ。首打たれるは当然ではないか」
「今の時代、己の意志に忠実に行動をすることができるのなら、そいつはよほどの果報者だ。坊主どもにも、草野勢に加担しなければならない事情があったはず。それを考慮しなかった志賀パウロの責任は重い。だが、それはヤツ自身が負うもので、セバスシォン殿は気にしなくてもよい」
「……」
「何故かといえば、そなたが国主の弟君だからだが……まさか、これが帰国を決めた理由か?」
「……」
「そんなことで駄々をこねているのか?」
「駄々をこねているとはなんだ」
「駄々をこねているではないか。そなたが万事報告せよというのは総大将として正当な命令だ。が、現状では困難なこともある。心を広く持って頂きたいのだがな」
「……」
「悪いことは言わん。筑後の戦線を放り出して豊後へ戻るなど、してはならん。国家大友を除いても、なによりそなたの為にはならない」
「……」
「ワシらに至らぬ点があれば改善しよう。思い直して頂けないか」
なんと、あの鑑連が未だかつて口にしたようなことのない言葉だ。悪鬼にこんな態度を取らせたというそれだけで、セバスシォン公は称賛に値すると確信した備中。さらに、これならば、公も帰国を思いとどまってくれるに違いないとも。
「……」
「どうかね?」
「ワカった」
「ご納得頂けたか」
「ああ、其の方の言う通りだ。私が間違っていた」
「おワカり頂ければそれで良い」
不満の全ては解消されてはいないだろうが、あの鑑連の懇請に価値を見出したのかもしれない。また、自身の立場や以後の経歴を大切にするには、戦場から離れるのは明らかに不利と悟ったこともあるだろう。
「善導寺の一件で、当方の敵が勢いづいたのは間違いないが、志賀パウロが勝手に行ったことだ。敵は撃破すれば良いし、ワシらの味方は増え続けている。兵力があれば、筑後における佐嘉方の拠点である柳川を落とすのも容易い。そうだな、来年の秋には、筑後平定の総大将として、名誉をほしいままにしているだろう」
「ああ、楽しみだ」
「良かった。今後不明な点があれば、遠慮なく伝えて欲しい。すぐに対処することを約束する」
「そうさせてもらおう」
「では、ご一緒に食事でもいかがかな。備中」
急に呼ばれたため、急いだ返事になった。
「は、はっ!」
目を伏せながら戸を開く。
「支度をさせろ」
「しょ、承知しました」
これも、鑑連らしくない、貴重な歩み寄りだ。
「ああ……いや、少し疲れたので、休ませてもらいたいのだが。せっかくのお誘いだが」
「そうか。残念だが、承知した。朽網勢にも高良山への集結を指示している。戻ってきたら、柳川攻略の軍議を開きたいと考えている」
「うん、宜しく頼む」
備中が開いた戸から、セバスシォン公は出て行った。その時、備中は不思議な光が通り過ぎるのを感じた。鑑連は何も言わないし、小野甥はずっと同じ姿勢のまま動いていないので、自分だけが感じた光のようだった。
セバスシォン公の本営から離れ、山上から地を見渡す鑑連に、備中と小野甥が付き従う。
「小野、セバスシォンについて、どう思うか」
「殿は、殿に可能なギリギリの我慢を親家公にご提示いたしました。また、どのような感情が根にあるにせよ、この戦場を離脱すれば、公の名声は失墜します。それをご理解頂けたのは良かったと」
「備中」
「は、はい。私も小野様と同じ……」
と述べようとするが、公が退出するときの光が気になる。
「と、殿とセバスシォン公の距離も一層縮まり……」
あれがもし、これまで備中が折りに触れて目撃してきた奇瑞ならば、何か意味があるのだろうか。
「き、き、来るべき柳川攻めの際、ご督戦頂ければ、公もご満足されるのではと……」
それとも、光や虹のような徴はただの現象で、自分の勘違いだろうか。にしては胸が騒ぐのだ。
「備中」
「さ、さ、さ、さすれば筑後勢も国家大友の旗の下、一丸となって」
「おい備中」
「はいっ!?」
「何をどもっている」
「え」
「懸念があれば言え」
自身の不審な態度から不安を見抜かれたようだった。しかし、奇妙な光を見ました、など言えるはずもない。
「い、いいえ。特には」
そう言って顔を上げると、愛刀千鳥抜刀姿勢の鑑連が仁王立ちしている。
「ひっ」
「貴様、ワシに隠し事をするとはいい度胸だ」
久々に痺れる恐怖が体を駆け抜けた。
「ワシが何年貴様の言い訳を聞いてきたと思っている」
その言葉に少し心が温かくなる備中。緊張がやや解けた備中を見て、構えを解いた鑑連曰く、
「特別に何を言っても構わんから、懸念があれば言え」
「……」
「おい」
「そ、それでは」
備中は、セバスシォン公退出時に感じた光について説明をする。これまで似たような奇瑞を見たこともあり、夜須見山における危機、多々良川で安芸勢と対峙した時等々、と。
「貴様の口から奇瑞が見えた、というのはぼちぼち聞いた覚えがある。で」
「な、なんというか、その奇瑞を正しく追うと、良いことが」
「正しく追わねばどうなる」
「す、少なくとも良い結果にはならない印象です」
「で、今回は去り行くセバスシォンに光が見えたと」
「は、はい」
「百歩譲ってそれを信じたとして、どう解釈する」
「じ、実はまだ豊後へ帰る気でいるとか」
「ワシの前で残る、と言ったのだ。先はともかく、しばらくは大丈夫だろ」
「そ、その発言は真意ではなく、もう一押しが必要ということはありませんか?」
「さっきは嘘を吐いた、と?」
「いや、その……と申しますか、殿から逃げたいが為に適当なことを言ったというか」
今の鑑連は、自身の体験と経験から申し述べた備中を、無下にもしない。実は父性の強い鑑連だ、セバスシォン公の泣き言に心絆されて、悪鬼の良い面が強く出ているのだとしたら、絶好の機会ではないか。備中、小野甥をちらと見て、その才能に縋る。すると、
「先程は断られましたが、親睦を深める為、食事を共にするというのは良いことです。明日、と言わず、何か口実を作り、面会を重ねるのも有効と考えます」
自分のみが感じた奇瑞を拒否しなかった優しさが嬉しい備中。主人鑑連の仏頂面とは対照的な笑顔が浮かぶ。
「あまりしつこくすれば、逆に煙たがれるぞ」
「置いてきた本隊を率いる由布様は、そろそろ姿を現す頃でしょう。直近の軍事報告など重ねれば、親家公の面目を保つことができるでしょう」
「チッ、そこまで気を遣ってやらねばならんとはな」
「お供いたしますよ」
「わ、私も」
「いや、ワシが一人で行く。貴様らはワシ不在の高良山の様子がどうであったか、調べるのだ。ついでに困った次男坊をあやす良いネタもな」
そう舌打ちを繰り返しながら、鑑連はセバスシォン公の本営へ戻っていった。残された二人は、とりあえず、豊後勢の懸念が一つ解決に向かってよかった、と顔を見合わせるのであった。
その翌日、由布率いる戸次本隊が北野八幡宮に陣を置いたという報せとともに、朽網勢が高良山へ帰還した。
季節は既に冬であった。




