第472衝 御返の鑑連
鑑連は無言である。目は見開かれておらず、狼狽はしていない。恐ろし気にも見えない。小野甥は続ける。
「現在、問註所勢は長岩城で防戦を指揮していたご嫡男が指揮を執られています。撃退した敵が生葉郡をうろついているため、これらを撃退した後、余力を持って殿に合流をする、ということです」
「これは星野勢の策略ではあるまい」
「秋月武士の姿が確認できています。軍事顧問として活動していたのかもしれない、という予測は成り立ちます」
「なら関係大ありだな」
鑑連と小野甥の声だけが聞こえる陣だが、彼らの哀しみが伝わってくる。この空気、吉弘父子や小田部殿、田北大和守の訃報を聞いた時と同じだ、と備中は胸の切なさを感じる。問註所殿は鑑連後室の兄であり、筑後からせっせと情報を立花山城に届けてくれ、鑑連の無理も聞いてくれた縁の下の力持ちであった。鑑連再婚作戦以後、さして接点を持たなかった備中も、妹の幸せを願う良い人格者であった、とその死を悼むのであった。そして、哀悼の気持ちの後から不吉な予感が流れて来る。彼の死は、鑑連と対峙する政敵たちにとっては格好の攻撃材料になるだろう。それを思えば気はさらに重くなる。
伝令が走り来て、大声で報告をする。
「申し上げます、敵が本格的に引き始めました!」
「方角は」
「定まりませんが、敵勢バラバラに、夜須上座の山の方へ!」
立ち上がった鑑連、静かに命令を発する。
「先の命令に替える。追撃は禁止、集結を命じる」
「はっ!」
「大いに戦いたいだろうが、厳守させるように。ワカったか」
「は、はい!」
相変わらず無表情のまま伝令に指示を出した後、小野甥へ振り向いた鑑連曰く、
「これからワシと戦おうと言うのなら、そんな場所に兵糧物資を蓄えたりはしないだろう」
小野甥は黙って頷き同意を示した。こちらからもいつもの颯爽さは感じない。
「備中、秋月の領域で今、景気の良い話があるのはどこだ」
「あ、甘木の安長寺ではないかと……」
「あの禅寺の代官は、秋月と関係が深かったと記憶している」
「ど、どっぷりのはずです」
「ではこれより、甘木の安長寺へ向かおう」
「と、殿!」
「立花山城の御台には、その後に知らせよう」
問註所殿への報復として、安長寺を焼き払うというのだろうか。無念を晴らすということだろうが、それでは秋月種実の宣伝の通り、大友方は寺社勢力の敵になってしまう。備中のこの懸念だが、正確に読み取った鑑連は怒りに我を忘れているでもない。
「ワシの見立てでは、秋月勢は甘木に逃げ込んだのだ。だが、安長寺が匿っているとは思わん。格式豊かな大切な寺院だ。よって、寺に関係の無い建物を、尽く焼き尽くす。また、安長寺に蓄えてある物資は、筑後の安寧の為に活動しているワシらが接収する、という筋書きに何か問題あるかね?」
「い、いえ……」
「小野、貴様の意見は?」
「寺院を燃やさぬのなら、止める理由はありません。また、秋月勢から物資を奪うことにもなり、利益もあるでしょう。ただし、豊前勢を連れて来た秋月種実は兵糧や報酬の問題を抱える事となり、追い詰められ、より必死に謀略を展開することになります」
「似たようなことを、由布にも言われたな。秋月は佐嘉勢と結ぶと」
「遅かれ早かれ、必ずそうなりますよ」
「ワシと戦って、佐嘉勢に良い事があるとは思えんがな」
珍しく小野甥と多少の意見が一致した鑑連は、弔いの意味も込めて、次の目標へ進軍を開始する。筑後の生葉郡で作戦を遂行していた戸次隊、筑後川を越えた時点で、筑前に入っていた。そこから一直線、甘木に向かう。
筑前国・安長寺(現朝倉市甘木)
慌てふためく僧侶らを無視して、門前町に火を放つ戸次武士達。寺院に火がかからぬよう、周辺の建物はあらかじめ崩されており、様々な物資が接収されていく。やり切れぬ表情で燃え盛る家屋を眺める人々。
「この辺りを焼き払うのも、初めてではないのだがな」
「は、はっ」
「何度焼き払っても、気が付けば建物が並ぶ」
そう呟いた鑑連は、しばらく何も言わなかった。それこそ秋月種実のしぶとさである、との謙虚な見解に至ったのかもしれない。
境内に陣取った鑑連の前で、住持が不安でいっぱいな表情でおろおろしている。この焼討は鑑連の作戦であるため、寺に火はかけない、と約束したならそれは必ず守られるが、灰と化す門前町を前に、先々の不安に押しつぶされそうな顔だ。どこかで誰かが叫んだ。
「秋月の武者がいる!」
武器を携えた戸次武士が表へ飛び出していった。それを見た住持の顔は真っ青になったが、鑑連は声をかける余裕を示す。
「そう心配せずとも良い。先の戦いで逃げて来たヤツが紛れていただけだろう」
事実、鑑連の当てずっぽうが当たり犠牲となった秋月武士は数人程度であった。その後も甘木を中心に、秋月勢が補給基地として活用できそうな家屋の多くが消失させられた。ようやく表情が戻ってきた鑑連曰く、
「この煙も天に届いたろう。問註所の慰霊にはとても足りないが、秋月の連中をこれから何人も送ることになる」
この処置が完了する頃、高良山から急を知らせる使者が来た。意外にも、使者の主は座主であり、鑑連自ら応対する。
「上筑後制圧の目標は達成した。これより高良山へ戻る予定であったが、座主殿至急の報せとは、何事かな」
「恐れ入ります。何卒お人払いを」
深刻な表情の使者の声は有無を言わさず聞いてくれ、という情念が籠っていた。鑑連ならば暗殺の恐れはないため、備中は小野甥と共に中座する。二人並んで歩みだし、世間話でもしようかと思った刹那、
「なんだと!」
鑑連の落雷のような怒号が破裂した。境内の全てを揺るがし、備中だけでなく多くの者が耳を塞いで伏せた。木から何羽もの目白が落ちた。が、顔を上げれば立ったままの小野甥が陣屋を向いていた。
「備中、小野、戻ってこい!」
ややあって、顔を見合わせた二人は、同時に走り出した。




