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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
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第469衝 悪名の鑑連

 鑑連が朽網殿を嫌い、避けていることは、国家大友では多くの者が知っていることだが、まさかその二人から遠ざけられる結果となり、若将は憤慨したのだろう。彼らに背を向け、地を踏んで去って行った。その姿が見えなくなると、朽網殿が鑑連に頭を下げた。


「戸次殿、申し訳ない」

「何がだ」

「彼が吉利支丹であることを、罵らなかった」

「ふん」

「フランシスコ様に代わり、礼を言う」

「気持ち悪いだろうが、よせ」

「いやしかし」

「もう何も言うな」


 備中には、一つ絶対的に理解できたことがある。それは、練度に劣る豊後勢を用いれば、このような逸脱がどうしても発生してしまう、ということだ。この練度には、上下関係を守ることも含まれる。独自の世界観に生きる吉利支丹宗門の人々は、この武士的秩序に生きることが不得手なのかもしれない。


「殿」


 鑑連に進言するのは小野甥で、なにやら真っ向勝負のただならぬ気配だ。


「この一件、逃走に成功した草野勢があちこちに吹聴するでしょう。大友方の、それも戸次伯耆守の蛮行として」


 鑑連の無表情に対し、備中の視界の端で、朽網殿が驚愕の表情をしていた。


「それで」

「織田右府の話をします。彼が比叡山を焼いた後、国の内外で大きな批判が巻き起こり、結果、敵対者が増え、攻勢が一層激しくなりました」

「だから」

「殿が望む形になるか、それともならないか、よくよくご判断下さいますように」


 望む形とは薩摩勢の筑後侵入に決まっている。この焼討により、その可能性が潰えた、と言いたげだ。


「島津兵庫頭が北上するということもあるかもしれん。仏僧を殺してけしからん、と」

「まさか。善導寺の坊主たちが何人殺されようと、島津の当主は眉一つ動かしませんよ」


 当然でしょ、という言いっぷりである。


「よって、弟への手綱は引いたまま。薩摩勢は変わりません。ですが、人の心について、織田右府の時と同じに至る、そう出来る、と頭を働かせる者はいるはずです。私には心当たりがありますが」

「誰だソイツは」

「殿の他にもう一人、切実に薩摩勢の北上を待ち侘びている人物の名は」

「秋月種実……」


 その場の全員が、独り言ちた備中の顔を一斉に見る。小野甥は頷いた。


「そうです。殿の善導寺への行い、人の心に宿った非難の心を上手く燃やすでしょう」

「ま、待て。さっきも何か言っていたが、そも、これは戸次殿の仕業ではないだろう」


 吉利支丹である下手人と同じ義鎮派の重鎮として罪悪感に背を押されたらしい朽網殿が鑑連を庇うが、


「朽網様。それでも世人はこれを戸次伯耆守の仕業と見做すに違いありません」

「し、しかし」


 不道徳に打ちのめされた過去を持つ朽網殿は、良識を重んじている様子だが、それでも小野甥に反論できなかった。


「よって、筑前から崖っぷちの秋月種実が絶対に出てきます」

「今更ヤツに何ができる。ヤツの領域はほぼ焼け野原にしてやったぞ」

「それでも、殿と戦うためだけに佐嘉と薩摩の和睦を取り結び続けた男です。今や、反吉利支丹は国家大友を非難する定型句。本件は筑後における我らの敵対者をまとめる好機、絶対に見逃さないでしょう」


 そう言われても強気に鼻を鳴らす鑑連、


「蹴散らすまでだ」


 だが、小野甥は悲観的である。


「殿が今、勝利を重ねている一つの理由は、強敵の居ない隙を縫って動けているに過ぎません。私は坂東寺で進言致しました。佐嘉と薩摩を遠ざける努力は惜しんでならないと。それは実行され、今の所、佐嘉と薩摩の繋がりは弱いまま。しかし、佐嘉勢が出て来れば、この制圧行を中断して、対処しなければなりません」

「だから、端から言っているではないか。薩摩勢が出て来て、戦う時こそが最大の好機だと。薩摩勢より格下だが、佐嘉勢だろうがなんだろうが、やることは変わらん」

「出てくるのが佐嘉勢だけでないとしたら?しかも彼らが負けない戦いに徹したとしたら?」


 これまで、その恐れは無いものと考えられていたが、しかし。鑑連も無言でいる。小野甥の悲観論が続く。


「この善導寺焼討で、殿が被った外聞上の害を正当に評価なさるべきです」


 責任を感じているらしい朽網殿、また横から発言をするが、もはや口を挟むという類では無い。


「では、どうするべきだと」

「秋月勢が出てくるとなると、兵力が足りません。本国豊後より増援を回してもらうのが一番です」

「そ、それは無理だ。今回率いて来た兵数を揃えるのも、かなり反発があったのだ」


 豊後人の反発は明白である。すなわち、日向方面の守りを軽視するのか、ということだ。ここでも、薩摩勢が恐怖の如く恐れられていることが、豊後停滞の原因であるように、備中には聞こえた。


「そもそも、秋月種実は戸次殿が叩きに叩き、その領域は焼け野原にしていると聞いているぞ。今のヤツにそれ程の軍勢が用意できるとは思えんが」

「豊前の軍勢を動かせます」

「豊前……」

「まず豊前北郡から。これは弟を今は亡き高橋鑑種の養子とした縁です。また、もう一人の弟が馬ヶ岳城に返り咲いています。その南の城井谷の宇都宮勢、ここには嫡子の正室に娘を送り込んでおり、更に周辺には、田原常陸家の残党が豊前に逃げ込んでいます。彼は今は亡き田原常陸殿の娘婿ですから」


 淡々と説明した小野甥だが、複雑な秋月種実の血脈を理解するのは中々に難しい。


「そなたの言う事もあるかもしれん。だが、秋月の縁者たちは豊前の領域を巡り利害が一致せず、争い合うことも頻繁だ。連中が真に一致団結したことは無かったはずだし、今回も同様だろう」

「恐れながら申し上げます。豊前でセバスシォン公と戦う時は、連中なりに団結していたと考えます」


 でないと、セバスシォン公は団結できなかった敵にすら勝てなかったという事になるが、これは忖度無しに小野甥の本音だろう。


「しかし豊前の連中が秋月に従い筑後に出て、益があるだろうか」

「龍造寺山城守が生きていた頃は無かったでしょう。しかし今、この九州では薩摩勢の独り勝ちという風潮になりつつあります。ならば、薩摩勢の同盟者である秋月種実とともに国家大友を攻めることは、将来への布石になります」

「だが!」

「秋月種実もそう説得しているに違いありません。あの者について、我が主人が筑前にいる間、戦い生き延びることに必死で、豊前まで手を広げる猶予は無かった、と考えればどうでしょうか。今、戸次勢の筑後入りから、もう夏秋が過ぎ冬に入ろうとしています。領域を焼かれ逼塞していた秋月にとっても、この筑後の戦いは好機に違いないのですから」

「……」


 義鎮公の手足として、セバスシォン公を支えている朽網殿にとっては耳の痛い話だろう。小野甥のこの話は、つまるところセバスシォン公が豊前の平定に失敗したことが前提になっているからだ。


 しばしの間、沈黙が広がった。こんな時は備中が動かねばならない。恐る恐る挙手して曰く、


「で、ではこれからどうするべきでしょうか。予定通り星野勢、問註所様の叔父を攻めればこの作戦の目標は達成されますが……」

「佐嘉勢や秋月勢が出てくるのならばこの作戦、年が改まる前には収めねばなるまい」

「朽網様に申し上げます」


 小野甥が片膝をついた。


「高良山と坂東寺に残した軍勢を、戸次勢と合力させるよう、ご尽力頂きたいのです。無論、朽網様の軍勢も」

「……それは」


 つまりそれは、セバスシォン公ではなく、鑑種を事実上の総大将にする、と言うことだ。


「そうすれば、佐嘉勢と秋月勢が出てきても、かなり余裕を持って対処できると考えられます」

「……」


 朽網殿は小野甥から鑑連へ視線を移す。この善導寺焼討の一件もあるし、鑑連自身がそれを嫌うのでは、と考えているのだろうか。吉利支丹武士が配下に入ることは嫌うだろうが、他に軍勢がないなら、否とは言うまい。


 だがそんなことが可能だろうか、とは備中でも思う。国家大友において、それが出来れば苦労はしないのだ。小野甥は、鑑連に対して罪悪感を持った朽網殿の献身に期待をしているのか。当の鑑連自身が何の反応も示さないため、備中自身は小野甥の献身が実を結ぶ気がしない。それでも、


「承知した。進言してみよう。敵が増える以上、私もそれが良いとは思う」


 頷いて陣に戻ろうとする朽網殿、老いた体を振り返らせ、苦笑して曰く、


「これに失敗したら、この戦役はどうなるかな?」


 小野甥曰く、


「勝利無きまま終わります。そしてそれは、国家大友の終わりです」

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