第468衝 笑止の鑑連
事態の異常が極まった為、軍勢の統率を由布に委ね、急ぎ山を降りる鑑連。いくら常人とは異なるとはいえ、老人にこんな移動を強いる下の部隊の振る舞いにさすがに腹の立つ備中であるが、移動中、鑑連は終始無言であった。
筑後国、善導寺(現久留米市善導寺町)
ここの寺領は広く、長年に渡り数多くの尊敬と寄付を集めてきたに違いない。それなのに、燃え上がる寺院を前に打つ手無く、佇むしかない鑑連主従であった。消火の雨は望めそうもない。
「クッ」
火炎に照らされ鑑連の悪鬼振りに磨きがかかるかと言えばさにあらずだが、
「クックックッ。これではまるで、ワシがやらせたように見えるな。違うか備中」
「いいえ」
強く否定する備中だが、事情を知らぬ人にはそう見えるに違いなかった。とそこに、志賀パウロが現れた。
「戸次様」
「これは志賀のご当主」
相変わらず姿勢凛々しく見える。この場にあって、まるで火のゆらめきを身にまとっているようだ。こんなにも立派に見える人物が、このような事を仕出かしたのか、と驚きいる備中。志賀パウロは声も良い。
「この度はこの私が前線に立つことをお許し頂き感謝しております。しかし、わざわざこちらにお越し頂くということは、何か差し迫った事態が?」
惚けているのか、鈍感なのか。鑑連は諧謔を口にして曰く、
「ああ。浄土の僧共が殺され、その寺院が焼けたらしくてな。何事ならんということで来た」
火は斃れた死者たちをも照らし出している。しかし、怪訝な顔の若将である。
「ここの連中は裏切り者と聞いています」
「そうだな」
「ならば首打たれるは必定、いくら弁明をしてもそれは詮無き事」
「その通りかもな。で、そなたは草野勢の頭領の首を打ったというわけだ」
「草野勢には……逃げられました」
「げ……」
備中、うっかり声を漏らしてしまったが、それでは最低ではないか、との思いは、鑑連も同様の様子。下郎の呻き声を無視して、
「ほう、そうか。確かに、敵を包囲できるほどの軍勢がおらんな。朽網鑑康殿はどこにいるのかね?」
「まだこの先の草野の城だと思われますが」
「ああ、知っているよ。ところで、志賀パウロ殿、僧侶どもの首を打ち、寺を焼けという指示は誰からのものかね」
一段と怪訝な顔になる若将。
「誰から」
「ワシが命じていたか、朽網から指示が飛んでいたか。ワシも年寄りなものでね。記憶違いがあるのかもしれん。で、誰からかな?」
「そういう意味での指示は受けておりません。ですが、敵と果敢に戦うべし、とセバスシォン様からは承っています」
「そうかそうか。では、貴殿は己の判断で坊主どもの首を斬り、寺に火をかけたが、敵の頭領は逃してしまった。間違いは無いかな?」
「事情はお話しした通りです。ただの坊主ではなく裏切り」
「間違いは無いかと問うているのだ」
ようやく地を揺るがす声を発した鑑連。若将の怪訝な表情が一気に無表情になる。
「このワシが。戸次鑑連が問うている。答えろ」
「戸次様はなにか私の責任を問うおつもりですか」
「このガキ」
一瞬、鑑連が寺を焼き尽くす火のゆらめきと同化した。瞬時に備中は、鑑連の草摺の端を摘み、自制を促した。また、志賀パウロとて一歩も退かない。両者は睨み合ったまま対峙する。その間に、善導寺は完全に火に呑み込まれていった。
「若いのに大した胆力だ」
が、これで鑑連の不興は確実になってしまった、と傍で確信し独り言ちた備中。さらに、この戦いの先行きが更に不明確なものとなる懸念が深まっていく。
「ご両者」
ようやく朽網殿が戻ってきた。共に来た鎮理が、伝え呼び戻したのだろう。朽網殿は毅然とした態度で声を発した。
「志賀殿、ここで何をしている」
「敵の拠点を焼き払ったまでです」
「それは私が担当することになっている。なのにこれは何だ」
「見ての通りです」
「そなたの隊はこの先の城でワシと合流する手筈であったのに」
「敵の拠点を放置して、先へは進めません」
「それはそうだが志賀殿、作戦を蔑ろにしてはいかん。連絡を寄越せば良かったのだ。それで草野勢は」
「逃げた者はおります」
「頭領は」
「調べましょう」
「……」
ここで小野甥が割って入り、ただし報告をするのみ。曰く、
「申し上げます。寺の生き残りの話を聞けました。それによると、方角的に筑後川を北に渡って逃げ去った草野勢を見たとのこと」
「巨瀬川ではなく、か」
「はい。間違いないとのことです」
小野甥の報告が終わると、鑑連、朽網殿を振り返って曰く、
「鑑康、見ての通りだ。斃すべき敵は逃げ、生かすべきだった者共が多く死んだ」
「寺の僧侶たちは避難したのでは?」
「だが、高僧らが首を刎ねられている。何人くらいか、二十人、三十人?」
志賀パウロに尋ねる鑑連。
「だ、誰がそのようなことを」
驚愕の表情で鑑連と志賀パウロの顔を見比べた朽網殿。すると、誰の仕業がワカったようで、
「なんということを……!」
朽網殿は、頭を抱えるように天を仰いだ。
「このことで、この先の戦いで民らの協力を得ることが出来なくなるぞ」
「我らを裏切ればどうなるか、示すことができたのなら、戦いやすくなるとも言えます」
「そなた、何を言う!」
憤慨する朽網殿。とはいえ、である。鑑連はそもそも敵を善導寺に逃してしまった朽網殿を非難していないが、それがなければこのようなことにはならなかったのかも、という気もする備中。
それでも、この方面の作戦責任者として、朽網殿は矜持を示した。
「志賀殿、そなたはこのまま高良山へ戻られよ」
「私に戻れとおっしゃるのか」
「そうだ」
「私が何か間違っていたとでも!」
激発する若将だが、老将は一歩も譲らない。
「戻るのだ!……私はこの方面の責任者である。指示に従えないというのであれば、面倒なことになる」
「私は総大将たるセバスシォン様の命令でここにいる」
「では、寺を焼けと、セバスシォン公に命じられたと?そうではあるまい。ならば、ここは戻られよ」
「朽網様、戸次様の意見も聞かねばなりません」
朽網殿は、鑑連のことも考えて、志賀パウロにそう命じているに違いない。それを理解している鑑連は、表面の憤怒を消して、簡潔に述べた。
「ワシは山の上の作戦に責任を負う。だから、ここで責任を負うのは朽網で間違いない」
「それが意見?ならば何故、ここに来たのですか!戸次様はどうお考えか。やはり、吉利支丹の仕業か、とでも?」
「ふーん、そなた、もっと、ワシの意見が聞きたいのかね?」
「是非とも」
すると、鑑連は若将へゆっくり顔を近づけた。鑑連相手に耳を澄ませる必要は誰にもなく、小野甥も備中も、朽網殿もじっと動かない。が、ややあって鑑連は何も言わずに、志賀パウロから離れた。そして淡々と、
「言うべきことは何も無いとも。それこそ貴様のような輩にはな」




