第466衝 譲歩の鑑連
鑑連の意向を伝えるべく、高良山に入った備中。座主直々に迎えられ、その丁重な扱いに恐縮することしきり。かつて、豊前宇佐宮で相対したような厳しい駆け引きも無く、高良山の衰微と鑑連の力の程を思い知るのだった。
一方、敵の城を攻め落とすべし旨、早速伝えると、座主の側近は苦笑して曰く、
「国家大友の方は変わりませんね」
「と仰いますと?」
「我らを使うのが実に巧みだということです」
単に上から命じているだけのようにも思う備中だが、先方がそう言うのならきっとそうなのだろう、例えば国家大友と佐嘉勢との比較で、とさらに恐縮して頭を下げておいた。
高良山の僧兵部隊が草野勢の領域に侵入したことを確認した備中、鑑連の到着を待つ間、山上からの眺望を堪能する。拓かれた筑後の平野が目に優しい。
「圧巻だなあ、美しいなあ……」
耳納連山の西と東で、それなりに違う風景。西からは岩屋城のある山も、筑後川の蛇行も、より良く見える。日々この景色とともに生きる高良山の人々は、今回は国家大友が勝利すると考えて与党となったのかどうか、考えてしまう備中である。
こうして高良山の西でも戦いは始まった。天正十二年、季節はもう秋である。
派手好みの鑑連らしく、勝利があれば直ちに周囲へ伝えられる。
「申し上げます。我が方、安武城、久留米城、その他佐嘉方の砦を数多く奪いました」
「おお、さすがの勁さ!」
「戸次伯耆守は文字通り無敵ではないか!」
高良山現政権に対する反対派が籠る久留米城の占拠は、山徒を大いに沸かせ、備中の待遇もいよいよ良くなっていく。夕餉に上等な酒が供されるようになると、備中も単純に嬉しい。
「ああ、筑後のお酒は本当に美味しい。さすがの米どころ、ですね!」
「これは貴いものですが、お口に合うようで何よりです。ところで、お使者の方は吉利支丹門徒ですか?」
「い、いや、違いますよ」
「そうですか。今回、総大将の親家様は熱心な吉利支丹門徒と伺っておって。伴天連が持つあの、人の血だという酒の方が良い、と言われたらどうしたものかと思っております」
「ああ、色々大変ですね」
国家大友の武士はみな酒が強く、大友宗家の人々は特にその傾向が強いと、備中も鑑連から聞いたことがあった。
「でも、吉利支丹になられてから酒を変えたとか、禁酒しているという話は一切ありませんから、多分大丈夫ですよ」
セバスシォン公もまさか、戦地で嗜む酒の味には文句をつけまい。
「それはよかった。それでお使者の方」
微妙に上目遣いになった僧兵曰く、
「戸次伯耆守殿は、もうそろそろ?」
「はっ。高良山に入る前の目標を制圧したのであれば、もうすぐ。今日あるいは明日には……あ」
その顔が渋い。それもそのはず、僧兵部隊はまだ敵の城を攻め落とせていない。筑後一の霊山の主人たるもの、鑑連の厄介な性格について、知らない筈がなく、叱責を心配しているのだろう。
備中もこればかりは何も言えず、沈黙するしかない。
翌朝、鑑連が到着すると高良山の空気も厳しいものに様変わりした。僧兵部隊がまだ城を落とせていないと知るや、大喝一閃迸った。
「備中貴様!ワシの話を良寛殿にしかとお伝えしなかったのか!」
「は、はっ!申し訳ございません!」
カエルのように土下座する備中を見て、僧兵たちは震え上がっていた。聞かされてないが、これはそう言う予定調和なのだろう、と地面に向かってウケケと笑顔を作る備中。鑑連さらに曰く、
「早速、ワシの手勢をお貸ししよう。直ちに城を攻め落として見せよう」
宣言通り、その城……竹井城(現久留米市草野町)は夕暮れ刻には降伏した。そして、少し遅れて高良山に陣を張ったセバスシォン公に戦果を報告する鑑連。次の如く、
「高良山の僧兵衆も士気高く、草野勢と対峙しています。作戦通り、朽網隊が川沿い、ワシらが山上を進軍すれば、この連山に救う反逆者どもを尽く撃破するのは時間の問題ですな」
努めて明るく、未来を感じさせるような配慮が見受けられたが、まともに相手にしていないようにも見える。そんな侮りを敏感に感じ取ったのか、
「誠に殊勝である」
やはり、公は鑑連に素っ気ないのであった。苦笑する鑑連、備中も総大将のこの塩対応にどうしたものか悩んでいると、後日、鎮理が鑑連に報告をしてみせる。
「行軍の間、色々話を伺ってみました。公はこの戦いで揺るぎない功績を立てることで、老中筆頭としての地位を確立したいとお考えです。それをご支援なさる姿勢を戸次様がお示しになられないため、頑なになってしまっているようです」
「老中衆など、もはや至極すこぶる極めて心の底からどうでも良いものだがな」
「しかし、親家公はそうはお考えではなく、国家大友と自身を繋ぎ留める地位として、大切にお考えです」
国家大友の宿命として、老中筆頭が強ければ宗家は弱まる。セバスシォン公は田原民部から田原家を相続しており、不仲な兄公が健在でいる限り、宗家の外の人である。だが、父公からすれば紛れもなく息子の一人であり、信仰を同じくしている以上、宗家の中の人なのだ。実に取り扱いが面倒な人物である。
舌打を繰り返した鑑連、鎮理の目を見て曰く、
「ヤツの望みは何か」
「戸次様のご支援を得たいということです」
「ワシがここにいること、これが支援でないと、誰が言えるのかな?」
「正確に言えば、戸次様のご支援の下、活躍を示したいということです」
「実にくだらん」
「今回、志賀様の隊が坂東寺に残留したことにもご不満をお持ちです。如何でしょうか、親家公が特に目をかけている志賀家の太郎殿を、こちらの戦線へ呼び寄せ、公の采配の下で功績を稼がせるというのは」
「太郎?誰だそいつは」
「と、殿」
「うるさい備中黙れ」
「……」
「……」
急な沈黙に顔を顰めた鑑連、
「ワカっておるわ。あのガキだろう。奴らの名乗りで呼んで、後ろから笑ってやればいいのだ」
「笑うかは別として、ではパウロ殿ですね。如何でしょうか」
「ヤツはただの吉利支丹ではない。熱心な吉利支丹だ。この連中を前面に出して、高良山やその他の連中の疑念を招きたくない」
備中は、二年前に秋月勢と戦った豊後の吉利支丹勢が、戦場で神社仏閣に無体な振る舞いをして評判が悪化した時のことを思い出した。率いていたのは柴田弟だったが。
「今回、高良山は味方であり、大きい騒動にはなり得ないと考えますが」
「高良山までとは行かずとも、それなりの格式を誇る寺社も多い。絶対にあいつらやり過ぎると思うがな」
「当面の相手となる草野勢はそれなりにまとまりを持ちます。戸次様の作戦通りに事を進めるのならば、下を攻める味方にも程度士気の高さが求められます」
「吉利支丹共に配慮せよと?」
「彼らが豊後勢を構成する集団である以上は」
「ワシが若い頃は、こんなことは無かったのだがな」
「こればかりは時世と言うしかありません」
鎮理の粘り強い提案に、遂に否とは言わなかった鑑連。この回答を得たセバスシォン公は早速坂東寺から志賀パオロの隊を呼び寄せた。こうして鑑連は、内田の隊を動かせなくなった代償に、セバスシォン公からの謝意を得ることに成功した。さすがは鎮理、と深く感じ入る備中だが、これは鑑連も同様であったようで、
「ヤツのお節介に礼を言わねばならん日が来るかもしれん」
と珍しく照れ隠しのような言葉を吐くのであった。




