第465衝 揣摩の鑑連
「ワシはセバスシォンを怒らせたようだな」
高良山を目指して進軍中、広川を渡る頃、鑑連が備中へそう溢した。
「貴様もそう感じなかったか」
「は、はぁ、その、な、何と言うか……」
「そう感じたか、感じなかったかを聞いている」
「そう感じました、はい」
「どの辺りで」
「と、殿が喋っている時、公は明後日の方角を向いてましたし、は、話しかけることをためらう……というより避けていたような」
「チッ」
「あっ、で、でも朽網様が大分場を支援していたと思いました。それに、高良山に陣を置くことについてはご異存ないような感じでしたし……」
セバスシォン公には、総大将は自分だ、という自負もあり、鑑連が決めたというそれ自体が気に食わないのだろう。鑑連、苦笑して曰く、
「これまでワシなりに優しく接していたのだがな」
確かに、悪鬼羅刹を地で行く鑑連にしては、まあ、それなりに、優しい方だった、父性も感じないでもなかった、と記憶を引っ張り出した備中。
「ワシだって例の軍議以前からヤツの険を感じていたさ。薩摩の使者をヤツまで通さず追い帰したことで、自身が軽視されたと考えているに違いない」
「し、しかし、例の僧侶は殿宛に来たのであって」
「それさ」
不穏な話だが、鑑連の声は明るい。
「島津家当主が送って寄越した使者だ。ワシとセバスシォンを仲違いさせるため、ワシ宛のみの使者としたのではないか、という気がしてきた」
「えっ!」
「小野の言い方ではないが、ワシらが薩摩勢に対してあれこれ考えているのと同じように、先方も国家大友と戦うつもりで万事進めているのは間違いない。これは先手を打たれたかもしれん」
「まさか……そんな、いやしかし……」
「ワシらだってそんな動機で小野や貴様などを使いに出すこともある。本国豊後限定だがね」
小野甥と同格に扱われ、思わず嬉しくなる備中に鑑連は気が付かない。
「薩摩の野蛮人どもめ。北上し、なまじ文化に触れた影響か、下衆な知恵を付けて来たな」
だが、遠い薩摩の地からそのような辛辣な小技を繰り出すとすれば、島津家当主とはあの最も辛辣な時期の安芸勢を率いた毛利陸奥守に勝るとも劣らない相手なのではないか。まして、その人物が、薩摩、大隅、日向に肥後半国以上を押さえ、肥前を従えた。この九州のみならず、都の方角を見ても、これほどの勢力は限られてくるのではないか。頭をもたげてきた不安に備中が動揺しても、鑑連はいつも通りであるのだが。
「セバスシォンとの間を、鎮理に仲介させるか。面倒なことだな」
「で、では小野様をお呼びします」
「伝えるだけなら、別に貴様でも良いんだがな」
そうは言うものの、常に虚心坦懐晴雲秋月の姿勢を崩さない鎮理の本心が気にならないでもない備中。親しい小野甥に対応してもらう配慮は必須だと考えた。
「セ、セバスシォン公の目もありますし……」
「ふん。ところで、内田から連絡は」
「は、はい。遺漏なく」
「連絡を絶やすなよ」
坂東寺を出陣する前、朽網殿から軍勢融通の依頼を受けた鑑連は、丁度柳川の南方を焼き討ちさせていた内田の隊を、残留する志賀隊に付けることを了承した。その条件として、鑑連は、これから向かう高良山の軍勢を鑑連の指揮下に委ねる、という飲み下し難い案を出したが、これが容れられた。
「勇気不確かな筑後勢より、ワシの配下が欲しいということだろう」
本隊と切り離された内田の悲しみが目に浮かぶ備中だが、鑑連は焼討作戦を撤回させなかった。島津兵庫頭の突出に多少の期待を持っているのだろう。この欲張りな戦略が実を結ぶかは、少なくとも備中の中では不透明であった。
行軍を見せつけるようにゆっくりと進む鑑連に、豊後の諸将は合わさざるを得ない。高良山が見えてきた頃、思い立ったように鑑連は薦野を呼んだ。
「増時、佐嘉勢が目前だぞ」
「はい」
先般、薦野は佐嘉方である西牟田勢と激しく戦っており、戦術上の不始末もあったのだが、
「ワシの御台の最初の嫁ぎ先も目前だ」
「安武の地、ですね」
「そうだ。安武は何年か前に身内の争いで城を追われ、今は佐嘉からの城主が入っているがな。そしてその安武は、此度降伏した黒木の世話になっていた。何故だかワカるか」
薦野は歯切れよく述べて曰く、
「殿を頼ることを、良しとできなかったためでしょう」
「クックックッ、ワシは離縁した古女房の引き取り先であり、安武のヤツはこれまたワシが保護した連れ子の実父だ。男子の誇りが許さなかったということだな」
「はい」
「そんな安武君を、旧領に帰してやろうと思っている」
あまりに突飛な考えであったが、現在佐嘉方の城であり、鑑連の支援の下に復帰が叶えば、国家大友方の城主とできるだろう。龍造寺山城守がこの世を去ったこともある。
「よって命ずる。これより海津城を攻め、これを占拠せよ」
「承知いたしました」
「佐嘉勢は筑後川を渡りはせん。安心して戦ってこい。そして備中」
「は、はい」
「由布に言って、この先にある久留米城を奪取させろ。高良山座主への土産とする」
「は、ははっ!」
「また備中、貴様は先に高良山へ登り座主と会い、ワシが到着する前に草野勢の城一つ奪って見せろと伝えてこい」
「え!」
「何を驚く。このワシが一時的に内田を手放してまで、高良山の兵を指揮してやると言っているんだ。さらにこの後、高良山をイジメてばかりの泥棒どもを退治してやるともな。その程度のことが出来なくては、これからの戦、ただの足手まといということになる。セバスシォンだけではない、義統も見ているのだ。ここで伝統的秩序を回復できないのであれば、座主殿との付き合いもこれまで、と言え」
備中自身で収集している情報によると、久留米城には高良山座主一族が敵対勢力として入っている。事と次第によってはそちらを支持してもいいんだぞ、という事だろう。
遠い薩摩から感じた島津家当主の一手を前に昂ったのだろう、鑑連の戦略に熱が入ってきていた。
「しょ、承知いたしました!直ちに高良山へ向かいます」
「そのまま高良山でワシの到着を待て。連中が成果を上げていることを期待しているからな」
「ど、努力いたします」
「いいか、万が一未達であれば、全体の士気を高めるためにも、ワシは貴様を処断しなくてはならなくなるかもしれん」
「は、はぃ……」
「そうならぬよう、早く言って処置しておけ」
急に現れた鑑連からの課題に急き立てられ、高良山へ向かい全速力で馬を駆けさせる備中であった。ただし、あの鑑連自身がそう言っているのである。見通しはあるのだろう、せめて楽観視して臨もうと、心のどこかで決めていた備中なのであった。




