第464衝 我慢の鑑連
坂東寺、セバスシォン公の陣。
「セバスシォン殿。肥後高瀬の薩摩勢を攻める件について義統公からのご回答はありましたか」
「回答の中身など、最初から知っているのでは」
「まさか。それで鎮理。義統公は何と仰せかな」
「はい。是とする、ということでした」
「結構」
騒つくセバスシォン公の幕僚たち。
「本当に、薩摩勢と、た、戦うのか」
「この編成で勝ち目はあるのだろうか」
「そもそも、我ら筑後平定の為に出陣したのではなかったか」
気弱な彼らはみな、救いを求めるような視線をセバスシォン公へ向けた。視線を受けた公はそれを巧みに朽網殿へ向け直す。集中を受けた朽網殿はそれをさらに志賀前安房守へ向け直すが、
「……あっ」
その席には志賀前安房守ではなく、孫の志賀パウロが座っていた。
「志賀前安房守殿は?」
「はっ、先の戦にて、齢も弁えずに励みすぎ体調が優れない、とのことで、本日は名代として私が」
「名代などと、今や名実ともに志賀家家督ではないか。期待しているぞ」
「はっ、ありがたき幸せ」
「我が父からも、そなたを大いに頼れと書状が頻繁に来ている。よしなに」
「はっ、来る戦いでは先陣を賜りたく、よろしくお願い申し上げます」
「うんうん」
次代を担う若者らの、どこか、のどかなやり取りである。幕僚たちも、現実から目を背けるかの如く、ほんわかしている。だが修羅に生きる鑑連は耐えられるか、耐えられるはずがなく、
「義統公は高瀬を攻めることを是とされた。無論、これは状況の変化に応じて認める、ということだ」
音量の大きい低く沈み腹に響く低声で、うららかな陣の雰囲気を喝飛ばして退けた。
「筑後から退け、という薩摩勢の要求は言うまでも無く拒否だろう」
圧迫はあるものの、鑑連のこの意見に反論する者はいない。この戦役の目的からして当然だと思っているからだろう。セバスシォン公が横を向いていることが少々気になった備中だが、鑑連は構わず続ける。
「よって、未だ従わぬ不逞な佐嘉方の頸に縄を架けて、特にこの者共を先頭に高瀬を攻めるのがよろしかろうと思う。いかがですかな」
風向きの変化を感じ取った豊後侍達。いきなりの薩摩勢との戦いは避けられそうだと知り、諸手を挙げて賛成する。
「筑後勢を先頭に戦うというのなら、私は賛成する!」
「私もだ!そもそも筑後に平和を取り戻すために戦ってきたのだ。先頭に立つのは当然ではないか!取り戻した筑後の平和を守るために肥後に出る時もまた同様!」
「両国の力を合わせれば、きっと活路が開けるだろう!」
発言者について、クズ、クズ、良識派、と脳に記録を付ける備中。ふと、軍議に参加している筑後人の顔を見ると、苦い色が浮かんでいた。その筆頭の問註所殿は、辛い立場にあるのだろうが、
「諸君。筑後勢が先頭に立って活躍するとなると、義統公からの感状を彼らが独占することになる。今だってその傾向があるが、誇り高き国家大友の武士がそれでも良いというのなら、そうすれば良い」
鑑連が必ず彼らの心に付いた霜を払っている。意外とこういう配慮を行っている将は少なく、鑑連の軍団はだからこそ精強を誇っているのだろうか、などと考えてみる。朽網殿が発言する。
「薩摩勢の要求を拒否するということなら、向こうから攻め上ってくることも、懸念せねばならない」
先ほどの熱気が急に冷め、諸手が下がっていく。朽網殿懸念のそれこそが、鑑連が最も望んでいる展開というのは運命の厭味というものだろうか。
「薩摩勢からの要求への対処について、鎮理が妙案を出してくれた。高瀬の薩摩勢に逆提案をするというものだが、鎮理、説明を頼む」
「はっ」
小野甥の提案を鎮理の口から説明させるなど、鑑連もかなり気を遣っている。だが、豊後勢を説得するには、衝撃的な鑑連の物言いよりも、明鏡止水を体現している鎮理の喋り方の方が好ましいのは間違いない。説明が終わると、
「素晴らしい作戦です!賛成します!」
「誠に、名将のお考えとはかくいうものかと勉強になります!」
「私も!肥前や薩摩の野蛮な風とは違う余裕を感じます!」
太鼓持ち、ゴマすり、思い上がりと心に記録を残す備中。ふと、小野甥の顔を見ると、爽やかに苦笑している様子であった。鑑連とは対照的に、鎮理の評判は良いようだが、こればかりは人徳だろう。またも諸手が上がり切った折、朽網殿がよろよろと立ち上がり場を鎮める。
「諸君、この場の大将たるお方の裁定がなければ始まらない。いかがでございますか」
これまでずっと無言であったセバスシォン公、朽網殿の声に促されて曰く、
「薩摩勢から提案があったのは事実。戸次伯耆守は追い返してしまったというが、敵を激発させてはならない。それを防ぐ高橋の提案ならば、私は賛成する」
考え無し、と宙に指を走らせた備中、鑑連の顔を確認する。ご機嫌な様子ではない。この案からして、小野甥発案によるものだからだ。ただし、小野甥は鎮理を高く評価しており、鎮理も爽やか侍をかなり買っている様子だ。両者の間で事前に話し合われていたとしても、不思議には思わない。
「セバスシォン殿の御裁可も得たため、方針はそのように決まった。次の目標だが、先の話にもでた高良山より東にいる不逞な連中共だ。問註所殿」
「はっ」
この問註所殿は、かつて鑑連の再婚作戦の時に尽力してくれた殿の息子で、鑑連の義理の甥に当たる。よって周囲からも、完全な鑑連派として目されている。
「発心城の草野勢、福丸城の星野勢、そしてこれは私の叔父で誠に恥ずかしく……井上城の問註所鑑景。この勢力を一掃できれば、耳納連山の佐嘉方は壊滅します」
「耳納連山には、連中それぞれ最後の砦があるな」
「はい。山道険しく、攻め落とすのはかなりの忍耐が必要です。かつて龍造寺山城守も攻め落としたのではなく、交渉で味方に引き込んでいます」
「こちらの交渉に乗る可能性はあるかな」
「かなり難しいと思われます。佐嘉方を支援する秋月種実が、連中と薩摩勢すら結び付けているため、単純に佐嘉方、と見なすわけにも参りません」
秋月種実の名が出て、鑑連は不敵に嗤った。
「多少手を焼くだろうが、筑後平定の為には避けては通れん。セバスシォン公、それでよろしいかな」
ぎこちなく頷いた、というより呻いたセバスシォン公、思い出したように曰く、
「作戦はどうするのだ」
「軍勢を二手に分ける。筑後川への支流に巨瀬川があるが、この左岸側を進んでいく軍勢と、高良山から耳納連山を進んでいく軍勢だ。平地の拠点と、山岳の拠点を同時に破壊、制圧していく」
「そういうことなら戸次殿」
「なんだね鑑康」
朽網殿の今日何度目かの挙手に、鑑連が不遜に応じる。
「巨瀬川左岸は我々に任せて頂きたい」
「我々?我々とは何かね?その中にワシは入っていないのかね?」
鑑連はそう言うと、言葉に詰まり何も発せなくなった朽網殿をせせら笑った。言葉尻を捕らえて年長者を苛める鑑連、この態度は明らかに豊後勢の好漢度を下げるものだが、因縁の相手に対して止められないのが鑑連なのだから仕方がない。猫尾城の陣での宴会では、友誼の確立には至らなかった様子、と備中が思っていると、
「冗談だよ。そなたが率いる豊後勢に任せるということだな」
これは奇跡だ、と備中は心中手を叩いた。
「ああ。その通りだ」
「だが、耳納の山はさして深いものではなく、肩慣らしには丁度良い。そんな不安がることも無いのだがね」
「かつて、私も星野勢を攻めたことがある。山道と里が近く、思わぬところから奇襲される危険に肝を冷やしたものだ。佐嘉勢や薩摩勢との決戦に備えて、豊後勢は実戦経験を積まねばならず、戸次殿の御配下は筑前で山岳戦に慣れていると聞いている。どうだろうか」
「いいだろう。山上での戦いの見本をお見せしよう。セバスシォン殿は高良山でワシらの勝報を楽しみにされよ」
「……承知した」
「それでは作戦を開始する。次の集結地点は高良山だ!」
大友方はこうして次の展開を開始。坂東寺には志賀勢を残して高良山へ向け進軍を開始した。




