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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
456/505

第455衝 怨毒の鑑連

「さすがは鑑連殿だ。戸次勢の到着から、戦場の雰囲気は一変した」

「そうかな?」

「そうとも。やはりそなたは違う」


 朽網殿の陣で歓待を受ける鑑連主従。主催者主賓双方とも、どことなくぎこちないのは気のせいでは無い。鑑連はいまだに入田一門を許しておらず、かつての義父の弟たる朽網殿についても同様なのだろう。よって、


「どう違うのかね。不甲斐ない老人どもとは別枠だという当たり前のことか」


 鑑連の態度は極めて不親切となり、仏頂面で盃を凝視してばかり。それでも、朽網殿は紳士な姿勢を崩さず、一途に応対している。そして、これまで何度か対面したことのある備中も驚く程、朽網殿は年老いていた。眉雪という言葉がこれ程当てはまる人はおるまい。


「まあそうだが……とにかく戦いに強いということだ。龍造寺山城守の大軍にも負けなかった」

「自称五州二島の太守はもうこの世を去った。ヤツを葬った薩摩勢とはまだ戦ったことがないのだがね」

「六年前の日向の地にそなたが入れば、結果は違ったかもしれんな」


 盃を鋭く返した鑑連、朽網殿を睨んで曰く、


「六年前の日向の地に朽網勢が到達していれば、当然結果は違っただろうよ」


 と痛烈に批判した。余りの強烈さに一同みな絶句しているが、朽網殿はさにあらず。


「かもしれない。だが、特にそなたについてはあの場に居ればと思わざるを得ない。言ってみれば……尋常でないから」

「それは正気の沙汰では無いと言うことかね」

「ある意味では。武者狂いと言うか、いずれにせよその振る舞いが敵味方の心に焼き付くのだろう。羨ましいことだ」

「おい、鑑康」


 鑑連の危険な低声に思わず顔を上げた朽網殿曰く、


「その名で呼ばれるのはもう三十数年振りだ」


 場の緊張が高まる。朽網殿の倅などは怒りで顔が真っ赤になっているが、当事者は鑑連からの無礼を受けても苦笑して済ませている。


「知っているかね。私の方がそなたよりも歳上な」

「今更知ったことではない。そう、今更だ。今更ワシと友誼を交わしたいというのか。義鎮のイヌとなることを選んだ貴様が」

「その通りだ」


 声の調子から、鑑連は本当に不快を感じているのは間違いない。激烈な言葉が続く。


「貴様は大したものだ。父と兄を喪った後も義鎮に服従し続けている。見上げた奴隷根性である」


 当時仕組まれた陰謀など、もはや大した意味を持たないが、入田一門の主要人物であった朽網殿にとって、義鎮公を擁立した吉岡や鑑連の側は明確な敵だった。かつての名門武士が親兄弟を殺した敵の走狗になり果てて、と言う事だが、鑑連は嗤っていない。むしろ、非難しているようにすら備中には聞こえる。朽網殿は沈黙している。


「……」

「さらに、倅の正室についても言える。嫁は実家を喪っている。そうだよな?」


 朽網殿の長男は、追討されて今は亡き田北大和守の娘を妻としている。朽網殿はさらに沈黙を固守している。


「……」

「そのような目に遭い続けてまで、イヌで居られるその神経が理解できん」


 会話が途絶えた。が、しばしの無音の後、朽網殿は天を仰いで曰く、


「そうかね」

「そうだとも。ワシに理解できるように、理由を言ってみろ」


 備中にも鑑連が言いたいことはワカるが、


「その田北を始末したのは貴様自身だったな」


 ああ、言ってしまった、と同じく天を仰いだ備中。ところが、


「そなたとて、かつて我が兄を討った者」


 朽網殿の兄入田丹後守は鑑連の義父であり、反撃が始まるか、と身構える備中。ここで鑑連は嗤った。


「当時、貴様の兄を討ったワシは誰かのイヌであったわけではないぞ」

「そう思っているのはそなただけかもしれない」

「何」

「吉岡殿の意のままだったようにも見えたものだがな」

「その吉岡も、世を去る折に、倅の面倒をワシに託すほどだった」


 その倅が日向で帰らぬ人となったのは周知の通りである。


「その吉岡殿すらも、大きな力に動かされていたのではないか」

「ほう、大きな力、国家大友とでも言うのか」

「その通り」

「下らん」


 朽網殿が鑑連に対して言い返したいことは、国家大友の構成員たるもの、誰もがその時々の咎人であり加害者であり、そうせねば生きて来れなかった、ということに違いない。鑑連の下、苦節三十余年の備中には痛い程ワカるのだ。が、それは主人にとって痛みではなく屈辱に他ならず。鑑連は止まらない。


「貴様が討った田北大和守は死ぬ時に、どんな顔をしていたのか、良ければ教えてもらいたいね」

「そなたに会いたそうな顔をしていたよ。だが、あのまま田北が筑前へ逃れていれば、戸次家にも迷惑がかかっただろう」

「ワシならヤツの命は救っていた。それこそ義鎮が津久見に引っ込んだ後なら、国家大友の為にも成ったろうが。いや、もしかして義鎮や貴様が恐れたのは、ワシと田北が合流すること、それ自体なのではなかったか」

「なんてことを」


 溜まりかねたのか、朽網殿の倅が立ち上がり、鑑連を強く睨み付けたった。が、鑑連は目もくれない。憤慨した様子の倅殿、胸に手を当てた後、あの特有の所作をして去っていった。しばしの沈黙の後、


「倅が吉利支丹になったのは、田北の死より前からかね?」

「そうだが」

「何よりも大切な神か何かに依存すれば、親戚を殺しても心が痛まない。なるほど、大きな力か。この粋な宗派に義鎮が拘るわけだ。そして貴様らのようなイヌにも都合が良い。吉利支丹は先祖の位牌を焼き捨てるそうだが、もはや焼き捨てる位牌も無いからな」


 鑑連の入田一門への恨みはかくも不動なものとはいえ、あんまりな発言であった。しかし、言われっぱなしの老朽網殿の顔は、鑑連発言の酷薄さに比べて、憎しみに歪んではいなかった。


「今更の友誼か、という先程の問い。まさしくその通りだ。息子の非礼は詫びる。その上で、私たちにもこの戦いに協力をさせてもらいたい」

「何のためか、明解に言ってみろ」

「お家と国家大友の為。それに尽きる。明解だろう?」

「では義鎮と義統、どちらの為か?」

「どちらも」

「ほう……」


 老将の言葉に淀みは感じられない。諦念の境地に達している、というだけでない何か別の信念がある様子だった。


 鑑連も、イヌと侮蔑する人物が見せた思わぬ片意地に、多少なりとも関心を持った様子であった。ぽつりぽつりと他愛もない世間話が始まった。


 そしてその日の夜、猫尾城は降伏した。

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