第452衝 筑後の鑑連
つくづく日向の大敗が無ければ、と思う備中。そうであれば、若者と老人の間にいる筈の壮年者、例えば吉弘鎮信のような武士がこの場を仕切っていたのかもしれない。国家大友の陣には、仕上がった壮年者が少ないのだ。その為なのか、どことなく将兵の顔に不安が漂っている。日向で中間の年代をごっそり失うことが無ければ、また違っていた筈である。
「そ、それにしても流石だ。僅かの日で筑後に入り、すでに城一つ寝返らせたと」
セバスシォン公の賞賛に対し、鑑連は全く平然と、動じない。
「恐れ入る。ところで城は二つになります」
「えっ」
「そのご説明は、この度、ワシらに協力することになりました高牟礼城城主からいたします。椿原殿」
「はい」
前に出た椿原殿に、その城主の地位を当たり前のように認めている鑑連は、初見でこの人物が気に入ったのかもしれない。椿原殿曰く、
「生駒野城が国家大友に従うと、申し入れて来ています」
「生駒野城……」
「この山を越えた谷にある城で、河崎勢が逃げ込んだ城です」
志賀殿と朽網殿を振り返るセバスシォン公。その顔は知っていたか、と問うているが、二将は驚いている様子。
「特に佐嘉勢に親しい者どもであるため、上妻郡内の諸将は彼らの後に続く筈です」
「そ、そうか。ご苦労であった。褒めて進ぜよう」
まだ、ほぼ戦っていない鑑連の大きな戦果に驚きながらも、尊大な姿勢は維持しようという気概をセバスシォン公から垣間見た備中。どうも兄の義統公よりも面倒臭い印象だが、鑑連はそれなりに相手をしている。
「まずはセバスシォン殿にお会いできて良かった。というのも、ワシはこれから高良山へ向かわねばならんから」
「高良山……」
「以後の戦いは佐嘉勢が相手。筑後におけるワシらの本拠地が必要となるが、あの地以上の場所はない。しかしながら、今回座主も大祝も、大宮司でさえこの陣を訪れていないと聞いている故、連中を引きずってお目にかける所存」
「し、しかしそなたはすでに、手勢を佐嘉方面の城へ向かわせたと聞いている。さほどに戦線を拡げて収拾が付くのか。我らこの地にようやく一万を超える程度の兵のみではないか」
「ご心配無く」
やはり、鑑連なりに気をつかっている。現大友家督の弟なのだから、如何に悪鬼鑑連でもさすがに当然か、とも考えにくい。この戦いを台無しにしたくない思いがあるのだろう。
セバスシォン公を諭すように要点を説明する鑑連を見ていると、やはり父性が豊かだ、と胸に迫るものを感じる備中であった。実子なくともそれはそれ、鑑連を貶める者はいないだろうとも。
セバスシォン公との会談の後、在陣中の問註所殿が鑑連の前にやってきた。備中は、その問註所殿から何やら耳打ちされる鑑連の姿を見た。その妹を妻にしている鑑連にとっては親戚に当たるため、秘密の話もあるのだろうが、それだけでは無いような気配も感じる。彼も鑑連にとっての情報源の一人なのだ。
高良山へ向かうと宣言した鑑連だが、高牟礼城を襲ったような速攻を取りやめ、ゆるりと兵を進め始めた。備中を始め、首を傾げる家臣団。
「こんなにゆっくりとした進軍で良いのかな」
「殿は何も仰せでないしなあ」
「猫尾城もまだ落ちていないのに。あちらの陣がしくじったら、我ら戦場に孤立するぞ」
戸次武士らの不安の声を拾った備中、それを主人へ届けるが、
「と、殿」
「その懸念は捨てて構わん」
「え……」
「それよりも、高良山から使いが来たぞ。応対の準備をしろ」
「はっ!?」
確かに高良山からの使者であった。曰く、座主、大祝、大宮司の連名で、直ちに国家大友に参陣するということであった。
「す、凄い。殿、凄いですね!」
「クックックッ、ワシの見通しの通りだがね」
「彼らは吉利支丹宗門のことで、国家大友を見限っていたと思っておりましたが……」
「この戦いの前に、義統が由原宮で祈願祭を催しているだろ」
「そ、そう言えば」
「それに、義鎮が本隠居したこともある。古く、カビの生えた連中が復権を期待しているのさ」
「お、お見事です」
鼻を鳴らした鑑連、反りに反って曰く、
「筑後の連中は百年近く、国家大友の旗の下にいたのだ。力の加え方次第でこうなるのはワカっていたさ」
と自信満々であった。さらに進軍を続ける戸次隊。相変わらずゆるりとしており、佐嘉方からの手出しはなかった。為に、強行軍を突破してきた将兵たちも、体力を取り戻していた。
筑後国、坂東寺(現筑後市)
「高良山に移るまで、ここに陣を張るぞ」
上妻郡から下りてきて、筑後における佐嘉勢の拠点となっている柳川はもう目と鼻の先である。が、ここまで敵の攻勢は無い。
「この先にいる薦野がよほど派手に暴れているからな」
と薦野の戦いぶりを讃える鑑連であった。
坂東寺に入った鑑連を追いかけるように、使者が次々とやって来た。
「殿、国家大友に下に戻りたい、という土豪らが数多くやって来ております」
「ワシが直接会ってやろう」
豊後勢が、特に鑑連が出てきたということもあるのだろう、
「国家大友への帰還、待ち望んでおり云々」
「今こそ好機、と思い参上仕り云々」
「さすがは戸次伯耆守様云々」
理由は一様ではなくとも、とりあえず鑑連の出陣は歓迎されていた。それでも備中の心に残った言葉は、
「生き残る為に、恥を忍んでやって参りました」
という深妙な一言。豊後、佐嘉、薩摩に挟まれた筑後人もまた、大いなる苦境にあるのだ。特に、この国の国主の地位には長く他国人が就いている。国敗れし者の悲哀に、思わず胸に手を当てる備中であった。
肥前との国境である三潴郡で暴れ回っていた薦野隊から報告が入る。それによると、地理的に佐嘉勢に近い筑後の土豪らは鑑連に従う者少ないということで、
「……特に西牟田勢を中心に結束しつつあるとのこと」
「西牟田ねえ。ワシは田尻丹後守を中心にまとまると思っていたがな」
「わ、私も意外です。前に島津の公子に関所を破られた時、あれだけ憤慨していた西牟田殿が、国家大友への忠誠心は強いのだと思ってましたが」
「まあそれはないが」
躱された備中。
「恐らく、自分たちの土地に部外者が入ってくるのを極めて嫌うのだろうよ」
「こ、薦野殿からは城を複数落とした、とあります。詰める兵を送らねばなりませんが……」
「貴様、ワシの話を聞いていたか?」
「え、あ、そ、その、はい」
「ならば言ってみろ。ワシが城詰めの兵を送らんその理由を」
三白眼になっているから鑑連は本気だが、なんと、せっかく落とした城に兵を詰めないというのか。今回、余り解説をしてくれない鑑連の戦略が理解不能な備中、とりえあず適当に曰く、
「さ、さ、さ」
「さ?なんだ」
佐嘉勢……の単語が喉まで上がってきていたが、備中の脳裏に嫌な予感が光った。鑑連との長きに渡る経験が、備中に回避を命じた。
「さ、薩摩勢との対決に備えて、兵力を温存しなければならない、ということでしょうか、あは、あはは」
すると鑑連、ふーんという顔をした立ち上がり、備中を見下ろした。
「今、この場にはワシと貴様しかおらん。草の者もおらんようだ」
「えっ、は、はい」
「その見通し、絶対誰にも、もらすなよ」
意外も意外。備中の経験則は正しい回答を導き出していたようだった。




