第448衝 一気の鑑連
「ここまでは予想通りだ」
ご満悦の鑑連である。やはり主君から頼りにされるのは嬉しいのだろうが、ここに小野甥がまたも水を差して曰く、
「すでに猫尾城包囲から二ヶ月近く経過しています」
「だから?」
「その後、佐嘉勢が援軍として入城し、対応して親家公が上妻郡に入られた後も、状況は何も変わっておりません」
「それで?」
「この戦い、始まりからしてよろしくない。殿が出向いたとて、事態は変わらず終いになるのでは」
「貴様、ワシの言うことを聴いていないだろ。予想通り、それ以上でもなければそれ以下でも無い」
「殿。私は待ち望んでおりました」
僅かに小野甥が引いた瞬間、義統公の出陣命令に歓迎の意を示した太鼓持ちの内田。だが、心からそう思っているようでもある。視線を小野甥から外した鑑連は、満足して幹部連を睥睨して曰く、
「陣容を述べる。備中」
「は、はっ」
事前に鑑連から伝えられていた内容を淡々に述べる備中。指揮は鑑連自身が執る。由布、内田、小野甥に薦野、また安東・十時の如く育った若手も入り、鑑連が動かせる軍勢の大半が動員される。鎮理も鑑連指揮下で参加する。これらはすでに、鑑連と義統間で話が通っているはずだった。
「以上だ。質問のある者は?」
おべんちゃろうと待ち構えていた内田を制して、小野甥が出た。
「立花山に統虎様を残す理由について伺いたく存じます」
「城を空にするわけにも行くまいが。それに、統虎は戦い通しだ。ここいらで若夫婦をのんびりさせてやろうという、ワシの親心だ」
つまりは、そろそろ子作りに専念させるということだろう。この手の話題で笑いが溢れる職場で無いことに備中が感謝していると、小野甥が発言する。いつもながら、鑑連を恐れないその心魂は大したものである。
「筑紫勢に対する備えとして、千にも満たない兵力で不十分のようですが」
「統虎なら上手くやる」
「それでも兵が足りない場合は」
「この七年、日向の一件以来、ワシが筑前で成し遂げた果実を舐めるなよ。ワシが生きている以上、筑紫のガキに何ができるか!」
「殿が出陣する以上、佐嘉勢は筑紫勢を残しておくに違いありません」
「その通りさ。だから、あのガキと戦いたい時は、引きずり出せば良いのだ」
鑑連には見通しがあるのだろう。それでもなお食い下がる姿勢の小野甥へ、黙って聴いていた統虎が曰く、
「伯耆守様がそう仰る通りで、私には異存は無い」
静かでいて強い意志を感じさせる若者の口調だった。小野甥もそれ以上は口を閉ざした。何も言わないが、爽やか武士は統虎の身を案じている。小野甥は鑑連軍団の次代を見ているのだ。それが国家大友の為である、と考えているからだろう、とその慧眼を頼もしく思う備中。かくも洞察力に優れた小野甥の他、鑑連へ異論を述べる者はいないだろう、と思っていると、もう一人、薦野が挙手し、
「名目上の総大将はセバスシォン公で、事実上は殿、ということと考えます。今回、殿は志賀隊、朽網隊への公式な指揮権を委譲されているのでしょうか?」
「公式には、無い」
鑑連を総大将にした場合に起こり得る、国家大友の更なる分裂を義統公が恐れているからだが、自分に絶対の自信を持つ鑑連も、今回の打合せの中で、強いてまでは求めなかったようだ。つまり、義統公の支持によって戦う、と言っているのだが、事情を知らなければ、大友武士であれば誰しも不安に思うだろう。
「かつての吉弘様は、それでも殿を支持されましたが、今回は老練老巧お達者な御二方が相手です。無論、手を打たれているとはお持ちですが」
「クックックッ、当たり前だな」
「その一端をお知らせ頂ければ、我らもまた安心して、御二方を観察することができると考えます」
「何。大したことではない。交換条件を提示しただけさ。志賀には、義統と倅の不仲の解消取次、朽網には……まあ似たような条件、義統への取りなしの話だ」
今、義統公が鑑連へ絶大な信頼を寄せていることは周知のことなのだろう。だから、志賀前安房殿も朽網殿も承知した。あるいは、とりあえず受け入れた。とはいえ舵取りは難しく、鑑連の政治的手腕が問われるところだ。
本件について、密かな根回しに関わっていた森下備中。それにしても、朽網殿への提案については、相変わらず歯切れが悪い。その中に、朽網殿の倅の老中就任を支持する事の他、鑑連が我慢と嫌悪を飲み込んで提示した案が、入田丹後守、つまり朽網殿にとって甥にあたる元義弟殿に対する勘気を解く、というものがあった。
「四十余年前の出来事です。もう宜しいのではありませんか」
「今、入田様は腰も低く、評判も悪い方ではないとのこと。これは吉利支丹とも距離を置いているためですが」
「朽網様に対する交渉材料ではないでしょうか」
これは備中が進言したもので、本当はもっと吃りながらだが、元義弟殿の筑前赴任時、徹底的に冷遇した鑑連である。曰く、
「貴様」
「怒りを維持し続けるのも一苦労と言うが、貴様相手ではそうでは無いな!ワシがヤツを交渉材料として提示するだと!」
「考えておこう」
あくまで利用する側は鑑連であるとはいえ、容れられた事に備中は大きな喜びを感じた。この提案を為せば、また奇瑞が見れるかしら、とも考えた備中、その現出はまだだったが、これが天道の徴ならば、この手の寛容は効果があるはずであった。
この戦いは、国家大友の未来を決定づけることになる、過去のどの戦いにも劣らず重要なものになる。だからこそ、鑑連に出来る範囲の事では万事手を打っていた。
「尚、出陣の日は明らかにはしない」
困惑の声がどよめき掛けたが、そこは戸次武士。過去あった鑑連の命令でも、そのようなことはあった。全員綺麗に平伏した姿を見て、鑑連はニヤリと笑って曰く、
「明らかにすればそれを敵も知る。出陣命令が発せられた以上、戦いはもうすでに始まっているのだ。よって、いつでも出陣ができるように、準備万端にしておけ。これは鎮理にも伝えてあることだ」
それから僅か数日後の夜、電撃のように走った鑑連の指令により、戸次武士らは一気に出陣した。夜の陰に紛れることなく、松明を手に堂々と。立花山城には守将として統虎が残った。
出陣した後から思えば、その前日、鑑連は大宮司妹の墓詣を行っていた。これのみは、主人の真の想いのみが込められているに違いないと、馬上で確信を深める備中であった。




