第447衝 危殆の鑑連
「日田郡から筑後へ入ったのは志賀隊、朽網隊です。黒木勢の猫尾城を囲んでいます」
「黒木勢を?」
「そもそも何故あんな山深い地を攻めているのだろう?」
筑後猫尾城(現福岡県八女市)で始まった戦いの報が続々と入ってくるが、それを聞いた戸次武士らは首を傾げること多く、
「上妻郡は確かに柳川への道が通ってはいるが、黒木勢は無二の大友方ではないのにな」
「一つの可能性として、筑後入りの先駆けを勤める、と誘われた後、裏切られたのではないか」
「では、すでに国家大友に対する調略が?」
唸る一同に、小野甥曰く、
「単純に、豊後の諸将の戦略眼が正しくないのですよ。志賀前安房守様は豪胆な方ですが、大きな戦は避け続けてきた方ですし、朽網様も数多い負け戦をその忠誠心に免じて見逃されてきた方ですから」
「……」
はっきりと言い切った小野甥は不機嫌なのかな、と爽やかさの不足に緊張する備中。さらに、同感らしい薦野が続けて曰く、
「あのような場所で足止めを食らって、筑後の奪還など夢ではありませんか。義統公は何をお考えなのでしょうか」
「志賀様や朽網様の如き、古強者」
そこで小野甥、妙な息継ぎをして続ける。
「が早々に失敗することは、義統公にとっては悪い話ではない。筑後攻めの総大将を、殿に替えることができますから」
戸次武士らはなるほど、と手を打つ。
「ではそのうち、我々にも出撃が命じられるか」
「必ず、そうなります」
「健全でないな。戦果が乏しければ、それだけ殿のご出馬が近づくというのは」
「それならまだ良い」
宗像郡から帰ってきた内田、やや不機嫌そうに、どっかり腰を落として曰く、
「親家公も軍勢をまとめているらしい。それもかなりの速さでだ。筑後攻めの総大将は親家公だと、豊後の吉利支丹の間ではかなりの話題になっているらしい」
「内田様、何故吉利支丹が噂を?」
「決まっている。義鎮公がそう義統公をご説得なさっているということだ」
「げ……」
一様に失望を深める戸次武士、みな小野甥の方を見る。
「凡将二名が三名になっただけです。これが四名になれば、さすがに笑ってしまいますが」
「ワシのことかね?」
鑑連が音もなくやって来て、そう言った。小野甥は動じずに、
「無論です。殿、義統公と息を合わせて時宜を見定めるのも結構ですが、軍事的勝利によってこそ衆を牽引できることにも、思いを致して頂きたい」
「クックックッ、ワシをボケ老人扱いするのか」
「主導権を握らねば、この戦いは勝てません。そしてそれが遅くなればなるほど」
「危殆は避けられない。だからなんだって?」
「国家大友は今度こそ破滅します」
最近、控えていたのか、諦めていたのか、ともかく諌言をする機会が無かった小野が食い下がる。
「その時は殿、殿もただでは済まないでしょう」
「というと?」
「佐嘉勢または薩摩勢は、殿を生かしてはおかないだろうということです」
「クックックッ、ワシを殺せる者などいない!」
「益体もない」
佐嘉勢及び薩摩勢と戦うと言うことは、あまりに凶悪な危殆、と小野甥は訴えているのだろう。ただ相手は鑑連、躊躇する性格ではない。
鑑連はこれまでも、ずっとそうだった。恐れることなく、自己の欲望に忠実に従い、行動をしてきたのだ。時に挫折しつつも、乗り越えて、乗り越えて、今日の日を迎えているのだ。
鑑連は義統公との意思疎通のため、内田の倅を用いていたため、どのような打ち合わせが為されているかは備中にも他の幹部連にもワカらなかった。だが、重要な情報は隠さない鑑連である。佐嘉勢の援軍を受け入れた筑後黒木勢と国家大友の戦いが膠着し始めた頃、
「噂の通り、セバスシォンが出陣するそうだ」
騒つく幹部連。
「総大将としてな」
戸次武士ら、一斉に嘆息して無言になる。
「義統と義鎮の間で交渉がもたれたらしい」
「交渉、ですか」
親子間で何とも情感が欠けた表現だが、
「自身の側近集団から柴田を外した後、義鎮が泣きついたらしい。せめてセバスシォンに花を持たせてやって欲しい。兄としての思いやりを示せないものか、と」
「まさか」
「クックックッ、セバスシォンは今年でどれくらいだったかな」
「御歳確か、二十四、五のはずですが、殿。まさか、期待なさっているので?」
「それこそまさかだ」
鑑連がセバスシォン公とどのように折衝をしていくのか、良い予感は余りしないが、かつて鎮信が戦を通して鑑連に心酔していったようなことがあれば、と願う備中である。
「それと今回、奈多のガキは同行しない」
「……」
「豊前で混乱が起こらないよう残るということだが、本当はセバスシォンが日向大敗の責任者を連れて行きたくないのだろう」
田原民部は、義統公のため、セバスシォン公の補佐役としてその野心を抑える役目を担っていたはず。それが不在という。解き放たれたセバスシォン公の軍略が吉凶どちらに転ぶかは誰にもワカらないが、
「若造が吉利支丹の英雄になれるか、単なる次男坊で終わるか、この戦いで決まるというのに、不用心なことだ。クックックッ」
鑑連自身はセバスシォン公へは一切の期待を抱いていない様子であった。
そして夏、遂に鑑連の下へ義統公からの出陣命令が届いた。久々の佐嘉勢との戦いである。




