第438章 壁龕の鑑連
「昨年は歳が過ぎるの早かったなあ」
「みんな齢をとるはずだ」
「これからはもっと早くなる」
年が明け、恒例の年始参りが始まり、内田とその対応に臨む備中。昨年の鑑連軍団の戦果は非常に好調であったため、立花山城は、天正六年以降で最も多くの来客を迎えることになった。そして誰もが、宗像郡の平定を称え、それを成し遂げた統虎を褒めそやした。
「さすが、戸次様の御目に適った若人」
「しかも酷い行いは極力控え、郡内に温情をかけたとか。徳をお持ちの方だ」
「宗像大宮司も逃亡先で郡民の謀反を期待しているようだが、難しいそうだ」
とは言え、社交辞令が済むと、話題の中心は鑑連父子から移ってしまう。人々の関心は畿内と、
「まだ騒乱はあるものの、天下は治まりつつあります。あの羽柴筑前守の手によって」
「堺からの報せでは、石山本願寺の跡地に、壮大な城が建ったということです」
「しかし、昨年来紀伊衆と戦が続いているし、尾張・三河とも緊張が続いています。この九州へすぐに到達するというわけでもなさそうですが」
肥後方面にあった。
「和睦など形ばかり。菊池郡に居る佐嘉勢は南下の準備に入っているぞ」
「菊池郡どころか、本領佐嘉には大軍が集結しつつあるという。龍造寺山城守自身が島原に出陣して、薩摩方を追いやるのでは、という気配だ」
「有馬家は息子の正室の実家だろ。よくやるよな」
織田右府の後継者の動向と、大戦の予感を前に、筑前の東を狙う鑑連の戦略は霞んでしまうのであった。
年始の挨拶の客の中に、柴田弟の使いがいた。
「生意気にも、使者を遣すほどになったか」
すでに鑑連は、老中候補者を上げ、義統公に伝えている。恐らくはそのことについてだろう。書状に目を通した鑑連、嘲弄するように曰く、
「吉利支丹宗門はワシが義鎮や老中を外して義統と話を進めることを、何よりも恐れているようだ」
「し、柴田殿はなんと」
「ワシを老中筆頭として推薦する動きがあっただのなんだのとそれが台無しになったなどと書いてある」
「おおぅ」
かつての吉岡長増や田原民部の地位に鑑連が就くことになれば、どれだけ面白いことが出来ただろうかと夢想してしまう備中だが、
「かつて、ワシが張り倒してやった者が、このような根拠の無い話を書き散らすとは、恐怖が足りておらんようだ。いや、これも信仰とやらの力かな。吉利支丹宗門も末期的ではないか」
「上方には吉利支丹の実力者が多いという話を博多の衆が話しておりましたが……」
「下らん。ワシら武士の意地っ張りが、珍奇な教えに寄り添ったに過ぎん」
個人の心の問題をそこまで矮小化してよいのか、気にならないでもない備中、大友宗家の信仰について警鐘を鳴らそうとするが、
「ところで、義統がワシが提示した老中の人事案を承認したとある。早速手配を進めるという返事が来た」
「よ、よかったですね!」
と言わざるを得ない。義統公こそ、かつては熱心な吉利支丹の擁護者であったが、今は明らかに距離をおいている。貴種故に武士の意地とは無縁なのだろう。あるいは、これは鑑連の言葉だが、心に解消できない悩みを持つ義鎮公と、この面でも異なるのかもしれない。浮かび上がってくる人物像として、
「義統公は健全なお方ですね」
という言葉になる。
「田原民部の教育が良かったのかもな。ん?クソ、貴様のせいで心にもない言葉が出たぞ。おい、どうしてくれる」
「ご、ご容赦を……」
恐縮しながらも、鑑連と意見が合致したことが嬉しい備中であった。
松の内が過ぎてしばらくして、博多から急報が入る。陰から、戸次武士らの噂話が聞こえてくる。
「羽柴筑前守の本拠地が紀伊勢に襲われたらしい。せっかく落成した城や城下も放火されたとか」
「それは憤慨ものだろうな。しかしそうなると……」
「そうとも、上方勢の九州到来はさらに遅れるに違いないぞ」
日向での大敗以後、義鎮公の戦略には織田右府の力を持って失地を奪回する、という方針があった。その死により頓挫し、織田右府の後継者として台頭してきた羽柴筑前守もまた、足踏みをしている。
「好事多魔とは良く言ったものだ。安芸勢のこともあるし、いずれは到達するのだろうが、いつになることやら」
「義統公も、都との関係はお父君の方針をそのまま引き継いでいるとは言え、不慣れなこともあるだろう。今のままで良いのだろうか」
「つまり、お父君に再出馬を願う、ということか。確かに効力はある気もするが……」
足踏みしているのは羽柴筑前守だけではないようである。夷を以って夷を制すのは、野放図な計画に過ぎないのかもしれない、と鑑連の東進計画も地味だが良策だと思えてきた備中であった。
「ところで、畿内では堺の町も焼かれたらしいぜ」
「なるほど、それで博多の衆は慌ててたのか。ああいう連中はあちこちに商品を置いているらしいから、きっと馬鹿にならない損害があったんじゃないか」
「博多の町といい、商人の町はよく焼かれるね」
そんな折の夜更、早馬に叩き起こされ対応する備中、
「申し上げます!筑紫勢、岩屋城を激しく攻めたて、城下に火など放っております!」
「ええ!」
「鎮理様も迎撃に当たっておりますが、火の勢いが強く苦戦をしております!戸次様のご助力を賜りたく」
「ワ、ワカりました!」
備中が鑑連の寝所へ飛び込むと、鑑連はすでに起床しており、
「奇襲か。筑紫のガキも中々骨があるようだ。ワシも出る。備中、内田の隊を叩き起こして急いで用意を整えさせろ。夜明けまでには到着するぞ」
「む、統虎様は如何致しますか」
「筑紫のガキなど、あいつが出る程の相手ではない」
戦続きの統虎を休ませようという、鑑連の親心を見た気がした備中、独り、心和ませるのであった。




