第433衝 和敬の鑑連
宗像郡へ侵攻を開始した統虎率いる兵は、大宮司の居城を一気に攻めることはせず、要所の的確な制圧作戦を展開し、郡内を進んでいった。その過程で、宗像大宮司の同盟者であった龍ヶ崎城まで奪い取ることに成功。統虎の評価は益々高まっていった。そして、
「申し上げます!宗像氏貞、居城を捨て、大島へ逃げたとのこと!」
「そうか」
現状の敗北を認めたのか、捲土重来を期してということなのか、宗像勢相手の戦いはこうしてとりあえずの決着を見た。といっても、宗像郡の直接統治に乗り出すまでのゆとりはない。
「郡内には、当座は逆らわないと決めた者を置こう。選定はワシがやる」
「……と、殿。申し上げます」
備中には一つの懸念があった。かつて国家大友が、宗像氏貞を追放した後に後釜に据えようと抑えていた人物の家が豊後にはあり、
「そう言えば、鎮氏の倅が義統の近習だったな」
「は、はい」
義統公が宗像郡をその人物に渡すべし、と余計な干渉をしてこないか、気になるのであった。
「ワシの手元には、氏貞の妹がいる。側室であるとは言え、ワシは氏貞の義弟ということ……にはならんが、二十年も前にしくじった男の家と成功し続けているこのワシ、宗像郡の連中ががどちらに重きを置くか、単純明快だろうが」
「は、はい」
「義統はオヤジを批判的に見ているようし、同じような行動はしないだろうよ」
事実、鑑連の考えた通り、義統公は宗像郡の征服地について、一切の横槍を入れなかった。そればかりか、
「殿!入田丹後守殿が本国豊後へ、き、き、帰還するそうです!」
「誰だそいつは」
「あ、あの、その」
入田嫌いの鑑連にけんもほろろに返された備中、続けて曰く、
「薩摩勢に備えて豊後南部の守りを固めるため、ということですが、こ、これはよ、義統公のご指示ということですが、そ、その」
「ほう」
鑑連が、入田殿を避けていることは国家大友では知らぬ者はいないが、鑑連の赴任地である筑前へわざわざ入田殿を復帰させ、立花山城の東隣の鞍手郡へこれもわざわざ配置したのは義鎮公である。その人事を変える、ということであったから、
「義統公のご配慮に違いないかと……」
「クックックッ、宗像郡制圧の褒美を、統虎よりも先に頂いた、というわけだな」
嬉しそうに笑う鑑連であった。宗像郡のすぐ南に位置する鞍手郡について、鑑連が全采配を振るえるのとそうでないのはやはり違う。義統公は、鑑連が強力となることを容認している。従来の国家大友ではあり得ない話であった。
そして鑑連が主君と良い関係にある、ということもまた、かつてない話であった。国家を率いる者の宿命なのだろうが、義鎮公は、家臣との困難な関係を遂に解消できなかった。義統公について、せめて鑑連との関係さえ繋がっていれば、と備中、思わずにはいられない。
ただ、兄の不幸を知り、大宮司妹がどのような気持ちでいるのか、備中の胸のつかえになる。鑑連は、鞍手若宮の地で宗像大宮司との戦端が開かれる前に会ったきり、大宮司の妹の屋敷へ入っていない。それに監視の兵を置くでも、立花山城に軟禁をするでもなく。この件に関して、鑑連の考えが全くワカらない備中だが、奥のことに口を挟むことはできない。大宮司妹の不幸を気の毒に思うのみであった。
都方面の情報として、前年の織田右府死後の情勢が伝わってきた。曰く、織田右府の遺臣の一角、羽柴筑前守が、競争相手の柴田氏を越前で破り、これを滅ぼした、というものであった。
「織田勢内部での後継争いが決着したのか」
「はい!羽柴筑前守の圧勝、ということで!」
「では、羽柴筑前守は安芸勢との戦いを再開させるな」
「博多の知らせでは、石山本願寺の跡地に城が建ち始めているということ!これはもう、西へ向かう準備と、博多の衆は色めきたっております」
国家大友の味方である畿内の勢力が、九州にやってくる。それだけで晴れやかな気持ちになる備中だが、鑑連はそれほど高揚せずに、
「織田右府が殺される前の状況へ、戻ったというわけだ。十ヶ月、案外早かったな」
「たった十ヶ月……」
確かに、織田右府殺害の知らせから、まだ一年すら経過していないのだ。
「畿内勢との同盟話も、その羽柴筑前守が、織田右府と義鎮の関係を継続することが前提だ。うーむ、時宜が悪い」
「え」
「義鎮が、倅に実権を取り上げられた今、義統と羽柴筑前の話し合いが上手く行かなければ、また義鎮を持ち上げる連中が出てくる」
ここに至ると、義鎮公の復権は、分裂した国家大友の統合を義統公の下に行うという鑑連の目論見の敵となる、国家大友の為にも、義鎮公には黙っていてもらいたい、ということだろうが、
「備中。羽柴筑前守に関する情報はどれだけ集まっている?」
「は、はっ。博多からのものがほとんどですが」
織田右府の寵臣。出自は低く明らかではないが、戦での勝利によってのし上がった叩き上げである。安芸勢相手に連戦連勝。織田右府の嫡孫を擁立した行いの評判が織田家中でも高く、信頼を得ている。外交手腕もある。堺の豪商を手足のように使っているが、といって憎まれているわけではない。子供はいない。茶器が大好き。
「うーむ、義鎮と話が合いそうだ」
「ぎょ、御意……あ」
「なんだ?」
「う、義鎮公の噂なのですが」
「ほう、貴様が義鎮の噂を」
「あ、あの、府内に行った時の噂なのですが、織田右府所有だった茶の湯の名品が、義鎮公の手元にあるという……」
「なんだと?」
「あ、あくまでも噂でして……し、しかも博多の豪商経由ではなく、吉利支丹の筋からだそうです」
「まあ、博多経由でないというだけで、今の義鎮の苦境そのものだな。で」
「はっ」
顔を見合わせる主従。
「おい」
「え、あ、は、はっ!」
「その話の続きだよ。まさか噂をワシに告げただけか?」
「い、いえ!その茶器の噂が本当ならば、義鎮公が義統公に供出されれば、外交の役に立つのでは、と」
「まあ、織田右府の後継者になりたい羽柴筑前守ならば、手元に置いておきたいだろうよ」
殿から義統公への御進言のお役に立てれば、という視線を送る備中。が、鑑連は心底茶器に関心がない様子。物足りない備中、勇気を振り絞り、ついに尋ねてみる。
「と、殿は何故茶器をお集めにならないのですか?」
「貴様」
鑑連の顔が厳しい。
「あ、いえ。な、なんでもありません」
平伏して退出しようとする備中へ、鑑連の圧が飛ぶ。
「ワシが何故ガラクタを集めないか、教えてやる。戦いの恩賞で最も尊ぶべきは大地だからだ。茶壷一つを手にして喜ぶ武士の顔には阿諛の気配が見える。そのような惰弱は許されざるものだ」
それは阿諛の必要がない殿だけのことなのでは、との感想が備中の顔に出る。しまった、と思ったが、あにはからんや、鑑連は笑って曰く、
「ワシをひねくれ者と思うか?」
「い、いいえ」
「茶は旨ければそれでいい。どれ、ワシが一つ貴様に茶を点ててやろうか」
「め、滅相も!」
「下郎にはもったいないな」
「と、殿」
「座れ」
「はい」
そして、否応無しに、鑑連が点てた茶を押し頂く備中。すると、渋さが口の中を刺すような感覚が広がり、喉がイガイガし始める。茶塊が舌の上で割れ、粉っぽさに襲われる。強い苦みを感じ、せき込みそうになるが、
「どうだ、旨いか」
鑑連が凝視している。押し頂き続けるしかない、と茶を堪能させられるが、不思議と主人が今何を考えているか、それが良くワカり、鑑連の主張もごもっともかも、と飲み込む備中であった。




