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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
426/505

第425衝 技巧の鑑連

 鑑連は、畿内から命からがら戻ってきた博多商人を召し出した。辺境の一人に過ぎない身であったとしても、中央への関心は冷めやらない、ということだろう。


 その商人二人によると、織田右府に随行していたために死地を彷徨い、本当に紙一重の差で脱出したのだということだった。


「…という有様にてございます。本能寺にて織田殿が命落とされたのは、間違いのないことです。直接見てはおりませんが、安土城も焼け落ちたと聞いております」

「如何にも、如何にも」

「ふーん」


 当然鑑連の次の関心は、織田勢の後継者に誰がなるか、ということにある。よって、暗殺者を倒した羽柴筑前守に関する質問が増えていく。この二人が羽柴筑前守と面識があると聞くや、鑑連らしく明快な質問が飛ぶ。


「朝廷や将軍家との関係は」

「これまで天下に関する話題について」

「安芸勢に関する話題は戦だけか」


 商人二人の話を聞き、鑑連は満足を示した。そして最後に、


「島井。織田右府は貴様に楢柴を要求していた、という話を他の博多の衆から聞いたが、本当のことかね?」

「い、如何にも」

「なんと答えたのかね」

「……」


 ビタッと停止した空気を動かすのはもう一人の商人である。曰く、


「恐れながら、その場におりました私から申し上げます。島井殿は、同じくお求めでおられる宗麟様と応談により、良いご助言があればその通りにする、とお答えになられました」

「殊勝なことだ」


 深々と平伏する商人二人。だが、島井殿は動揺を隠せないようであり、備中の直感ではそれを見逃す主人ではないのである。


「だがね」

「はっ」

「い、如何っ」

「最近、秋月のガキが楢柴を所有している、という話が聞こえてきているのだ」

「えっ!」

「知っているかね」


 驚いた顔で島井殿を見る片方の商人。左を見て、右を見て、また左を見た。どうやらこの人物は知らなかったらしいが、顔面蒼白の島井殿に対して鑑連は追及を続ける。


「島井」

「い」

「顔色が優れんようだが」

「い、いいっ」

「それが事実なら、貴様は大したことをやってのけたということになる。ワシの主君が求め続け、ワシの同僚も常に依頼をしており、昨今、朝廷より右大臣の位を薦められていた織田殿からの望みもあった楢柴が、実は古処山の山賊風情に売り渡されていた、とあってはな」

「い、いいいっ」

「貴様、これは大問題だよ」

「い、いかかっ!」


 深く息を吐く鑑連の仕草は実に大仰で嘘くさく、どうやら島井殿をイジメて愉しんでいるようだ。島井殿を徹底的に白くした末に曰く、


「まあワシはそんな茶器一つどうでもよいのだ。いかに天下指折りの名品としてもな」


 本当ですか、と惨めな表情で顔を上げた島井殿。せっかく命を拾って帰ってきたのにこの始末か、と気の毒になる備中。


「そんなワシから貴様に伝えてやる。楢柴が博多にあろうと、古処山にあろうと、この筑前にあることには違いない。よってワシなら羽柴筑前守に取り戻させる」

「いっ?」

「今後、織田家の混乱をどう鎮めるかはこの羽柴にかかっている。また先の話をまとめると、織田右府の後継者たらんとする野心ありありだ。必ずこの九州を目指してやってくる。今回、安芸勢の首脳は、羽柴筑前守相手に、先代の毛利元就程の器量が無い事を示した。次、畿内の兵力が西を目指せば、あっさりとその軍門に降るに違いない」

「……」

「なるほど」


 惚けた顔の島井殿に対して、もう片方はしっかりと話を聞いている。


「取り返した楢柴を、羽柴に進呈する。代償として、堺から博多までの権益を認めさせる。そうすればこの筑前も随分と平和になるし、ワシらの後方が落ち着けば、佐嘉の田舎者どもを反省させることもできるだろう」


 佐嘉の田舎者と聞いた島井殿の目が光った。商人二人、顔を見合わせて頷く。博多の町を焼いた佐嘉勢への怨みは深いようである。


「それに致しましても」


 島井殿ではない方が、嘆息する。ドキリとする備中だが、嘆息は溜息とはことなるためか、鑑連は動かなかった。


「本能寺には数多くの名品が運ばれていたのです。噂では安土城は天下の名品が勢揃いしていたということ。それが全て焼けてしまい……」


 それが実に深く悲しい調子であったせいか、鑑連が慰めを入れた。


「諸行無常は人の世の理。諦めるしかあるまい」



 退出に際して、島井殿が仲間の商人に耳打ちをした。そして頷き、曰く、


「戸次様。実は本能寺が焼け落ちる直前、島井殿は千字文を救い出しましてございます」

「ほう」


 促された島井殿は、巻物を取り出して広げた。興味深く覗き込む備中へ、


「貴様は知らんだろうが、韻文の傑作だ。通り一遍色々書いてあるが、全て異なる漢字で書かれたものだ」


と鑑連。その通り、とばかりに島井殿が頷き重ねる。


「如何にも、如何にも」

「だが、そう珍しいものでもあるまい」

「いえ。これに限っては然にあらず。かの弘法大師直筆のものなのです」

「そ、それは凄い!」


 思わず声を発した備中を見て満足げに頷く商人二人。そして曰く、


「島井殿はこれを戸次様に進呈したい、と」

「ワシにか」

「如何にも」


 備中の知る限り、島井殿は鑑連を特に苦手としていたはずだが、この日、考え方を変えることができたのかもしれない。慶事である。少し考えた鑑連だが、


「それは貴様の勇気に対する褒賞だろう。博多に持ち帰れ。死んだ織田右府も、きっとそう言うだろうよ」

「い、いか……」

「ワシが許す。その傑作は貴様の所有物だ」


 ふるふると震えた島井殿は、深々と平伏した。


「ところで神屋、お前は何も救い出さなかったのかね?」

「いえ。私は牧谿の水墨画を手に、脱出いたしました」

「逸品ではないか。弘法大師に負けてない。しかし、ワシに報告しないのはどういう了見だ」

「はい。すでに大徳寺へ避難させましたので」

「ふん、なるほどな」


 牧谿とはなにか良くワカらない備中。会話の輪の外にいる自分を人知れず見つめるのみであった。

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