第422衝 凝望の鑑連
佐嘉勢が出てこない。それだけで、鑑連の負担は少なくなる。大友方、というよりも鑑連が責任を負う領域もじりじりと拡大していく。これは喜ばしいことで、立花山城の雰囲気は明るい。
ある時、備中が業務をこなしていると、武士の声が聞こえて来た。
「最近、佐嘉の頭領について悪い噂が多いな」
「博多の連中にあれだけ嫌われれば。ま、多少はね。話を伝えて来てるの、その連中だろ」
「残忍、残酷だけならともかく、呑ん兵衛、怠け者まで加わってる」
佐嘉の頭領は家督を息子に譲り、隠居の身という。それは鑑連と同じように形ばかりであることを知らぬ者はいない。
「真の隠居の心境に達したとか?」
「まさか。謀反の対処ばかりしてるし、倅の評判は可もなく不可もなく。安心して引き込める状態でもないだろ」
「なら本当に荒れてるのか。何故かな」
「上手く行かないことが多いんだろ」
「というと?」
「本当なら大挙して肥後に攻め入りたいのに、あちこちで頻発する謀反。その謀反勢は当然、我らが殿の動きを注視している。そして佐嘉勢は、本当の意味で殿に勝ったことがない」
「そうか!板挟みなのか。で、イライラしてると」
「なのに原田勢とか筑紫勢は、佐賀勢を利用しようと、勝手に殿と戦ったりしている」
「じゃあ、龍造寺山城守の悪い評判はしばらく続くかな」
「きっとな」
「大した分析じゃないか」
同感の備中。誰かな、と覗いてみると、解釈を垂れているのは内田の倅であった。ふと、老いを感じるのであった。
山の新緑を眺めている鑑連に近づく備中。
「と、殿」
緑を嗜む老人は相性が良いが、鑑連だと戦争の匂いがするのみである。古希となったのに、この印象は天性のものなのだろう。
眺めている方角としては古処山か。秋月種実の戦略について思いを致しているのかもしれない、と想像しながら恐る恐る報告する備中。
「お知らせが二つほど……」
「うん」
一つは、織田勢が四国へ攻め入る準備を開始した、というものである。織田勢の敵は、土佐勢である。
「織田勢の用意する兵力は?」
「少なくとも、す、数万とのこと……」
「大将は」
「織田右府の庶出の息子の一人ということです」
「参謀に吉利支丹門徒はついているか?」
「と、特別な報告はありません」
「なら、この勝負、織田勢が勝つな」
あっけらかんと言い放つのみの鑑連である。一条殿を追放した土佐勢は国家大友の敵であるから、望ましいことではあるのかもしれない。しかし、土佐、伊予にまで織田勢が進出してくれば、国家大友もついに織田勢を目前に見ることになる。鑑連には感じるものは無いのだろうか。
「もう一つは?」
「は、はい。その織田右府に呼ばれて、博多の衆が、上洛するとのこと」
「そんな話がありそう、とは年始に島井から聞いていた。表向きは、博多の町とその守護者である国家大友をどうぞよしなに、ということだろうが」
「表向き……」
「実際は、織田勢の九州到達後のネマワシだろうよ」
よかった。鑑連も織田勢の存在を変化の予兆として認識しているようだ、とホッとする備中。が、鑑連は不吉なことを述べる。
「その時、国家大友が筑前に足を置いておける保証など無いがな」
「えっ」
「島井の本音としては、憎き佐嘉勢を駆逐できないワシや義鎮よりも、織田右府に期待したいところだろう」
「で、ですが織田勢が容易に勝利できる保証もまた、無いのではありませんか。織田勢が相手になる以上、土佐勢は安芸勢と結ぶはずです。織田右府にとって、これは大きな障壁であるはずです」
「聞けば織田右府は戦場から遠ざかっているという。かつての頼朝公のようにな。それならば、我らがフランシスコ殿とのように、惨めな逃避行をにより名声を損なうこともない。日向攻めの大敗は国家大友にとって大打撃となったが、織田勢は二十万もの兵の主人だ。如何に安芸勢と言えども、兵力差が大きすぎる。手こずりはしても負けることはあるまい」
「で、では国家大友も織田勢に対して積極的な協力を与えれば、織田右府の心証良く、本領安堵を得られるのではありませんか」
「すでに、義鎮は織田右府に打倒安芸勢への協同を約束しているらしい」
「おお」
「そういう情報もある、ということだ。考えて見ろ。今の国家大友のどこに、それを為せる兵がある。大将は何処へ?」
自嘲するような鑑連だが、備中は即、断言した。
「殿をおいて他には」
「ワシはこの筑前から動けんだろうが」
何を言う、と否定の鑑連へ、心を込めて説く備中によると、
「この筑前で親安芸勢と対峙し続ける、それだけで、遠い畿内の織田勢にとっては、殿が頼もしく見えるに違いありません」
ということになる。だらしの無い国家大友には不可能な評価も、日の出の勢いの織田勢からは期待できる、と備中は力説したのだ。そしてそれは、鑑連が得て然るべき正当な評価であるはず。
が、鑑連はプイと横を向いてしまった。織田右府と言っても所詮が成り上がり、気に食わないのかもしれない。備中は心の本音を持って、鑑連の心へもう一歩の接近を試みる。
「義鎮公も殿をそう利用すると、私は考えます。何も無いままでは、織田右府は義鎮公の空手形に憤慨するのではありますまいか」
「む」
「織田右府が安芸勢と土佐勢を倒した時、こう言うはずです。門司の突破はならずとも、安芸勢の後方撹乱に貢献した戸次伯耆守とはこちらの者です、と」
「あのガキ」
怒りが込み上げて来た様子の鑑連に胸ときめく備中。やはり鑑連は怒っていてこそ、真価が発揮されるというものである。
ふと、自分が奸臣のような行いをしている気になる備中だが、この状況では致し方ないだろう。人相悪く、鑑連は山を睨み続けるのであった。




