第421衝 古希の鑑連
天正十年の春、鑑連は出陣すること無く、立花山城で戦果を待っている。その性格からも陣頭指揮を好む鑑連にしては滞座であるが、悪鬼鑑連もこの年、遂に古希に至った。幹部連の多くが戦場に出ている今、備中已む無く、単独で祝いの辞を述べる。
「と、殿、おめでとうございます」
「ん?ああ」
無感動な様子の主人に相変わらずか、と陽気を落ち着かせる備中。鑑連は自身の還暦の際も、方々からの祝いを適当に済ませている。
気のない備中の諂い顔が気になったのか、鑑連、腕を組み鼻息を吐いて曰い始める。
「まあ、原田勢など弱小も弱小。統虎が如何に若輩者としても、勝利は約束されたようなものだ」
「あ、い、いえ、そうではなく……いや、そうですね」
「とでも言うと思ったか?油断すればしくじるのだ。決まっているだろうが」
「で、ですよね」
「……」
「……」
「おい、何の話だ」
「い、いえ……」
「おい」
「あ、その。こ、こ、こ、き、こ……」
「ワシが古希の老いぼれらしく、戦場に出ないのが笑える、とでも?」
「そんな!と、殿……どうぞお許しを」
「クックックッ!」
鑑連の不気味な嘲笑は、天正六年以後、数を減らしているため、こうして耳にすると喜ばしい気分になる備中、圧力が健在で何よりだ。
「ところで、古希を古希と最初に述べたのは唐の杜甫らしいが、知っているか?」
「い、いいえ」
「人生七十古来希也、だそうだ」
「べ、勉強になります。杜甫は長生きだったので……」
「そこそこ長生きだったらしいが、自身で定義した古希まで生きたかどうかは知らん」
「し、調べてみま」
「まあ、それはともかく、ワシは李白や白居易より杜甫を好んでいる」
「で、でしょうね」
「人間長生きをすれば、気分も臨模とするものだ。備中、貴様も五十路を越えて、それくらいはワカるだろ」
これを、ぼんやりしていないで現実を直視せよ、というお叱りと受け取った備中、返して曰く、
「ま、まあ。し、しかしまだ、時には夢も見たいな、と思わないでもなく……」
ほう、という顔をした鑑連。
「聞いてやる。貴様の夢とは?」
「え!」
「あるんだろ?」
「さ、左様……」
正直、披露する程のものはない。が、阿諛の使徒として、一つ、思いついた。
「と、殿の名声がさらに高まること、です……はい」
鑑連は顎を撫でて嗤った。
「数多の武士を従えるワシらのような男が事実上現役のまま長生きをするということは、だ。安定した財産を後世に残せるということに他ならない」
「ゆ、故に次世代が夢を見ることも……」
「あるだろうよ」
統虎は大志を抱いているのだろうか。あるいは義統公やセバスシォン公はどうなのだろう。高位にある公子に生まれることが必ずしも幸福とは言えないこの乱世にあって、彼ら若者が何を望むのか、時に備中は考えることもある。
ところで、今日の鑑連はなかなか饒舌である。古希を讃えた価値があったと備中は確信して、さらに曰く、
「そ、そう言えば、長寿の名声を得た人の子孫は繁栄している気がしますね!」
「例えば誰かな」
「そう、例えば……」
ちょっと考えた備中。
「そう言えば、佐嘉の龍造寺家には、かつて傑物が居たとか」
発言後、佐嘉勢はまずかったか、と備中汗をかくが、鑑連は鼻を鳴らし、博識さを披露する。
「今の頭領の祖父だろ。確か、九十幾つまで長命を誇ったらしい」
「九十!そ、それは凄い」
あと二十年経てば、鑑連もそれに並ぶ。その時、自分は生きていれば古希であるが、苦労の多い主人に仕える備中にその自信は余り無い。
「確かに佐嘉勢は、今でこそ義鎮の間抜けのおかげで勢いを誇っているが、賢明なるワシがその驀進を邪魔してやった。博多の町を失ってもいる。それでも繁栄していると言えるか?」
「え、ええと……あ、安芸勢の前の頭領、毛利元就公がいます!」
「その子孫どもは織田勢に攻められ、押し捲られている。ここ筑前にワシがいなければ、宗像、秋月、原田、麻生などを引き連れて、織田右府を押し返せたかもしれないのに」
「……」
「まだいるかね?」
「い、いえ……」
備中の心を蹴散らした鑑連は心底嬉しそうである。古希の身となっても、本質は変わらないなあと下郎が独り言ちているとさらに曰く、
「もはや御家断絶目前の雲州勢の始祖である尼子経久も、大分長生きしたらしいぞ」
「は、はい」
「応仁の乱で活躍した越前の朝倉家も時の当主も随分と長生きしたらしいが」
遠い越前の朝倉家が織田勢によって派手に滅ぼされた事実は、九州でも有名である。
「応仁の頃なら、ひゃ、百年は栄えたとも言えますね」
「まあなあ」
「お、大友宗家の方々では、親治公が長生きだったかと」
「結果、義鎮がでたのだ」
「義鎮公も殿を得て……」
鑑連の顔から意地の悪い険が消えた。曰く、
「ワシの病弱な親父はまあ、病に取り憑かれていた割には長生きしたと言える。子を多く為しすぎたのかもしれん。その親父より長生きしているということで、ワシは親譲りでは全くない」
自身の力一本で運命を切り拓いて鑑連が、戸次家の先代に言及することは大変珍しい。主人の言葉の続きを待つ備中。鑑連は、その間に色々考えていた様子で、
「統虎もワシが築いた財産を用いれば、その子孫も百年二百年は行けるだろうさ」
しばらくして、統虎が帰ってきた。突出してきた原田勢を追い散らしただけでなく、返す刀で反撃し、かつて大友方にあって奪われている状態にある早良郡の城の数々を焼討ちにした。岩屋城の鎮理との連携も功を奏したとのことである。
鮮やかな勝利である。立花山城は沸き、熱気に満ちた。人を褒めること数少ない鑑連も、立派な戦果を上げて帰還した息子に対して、
「よくやった」
と労っている。軍事に疎い備中にも、鑑連が統虎の才能を認めたのだろうことがワカる。統虎は平伏し、
「戦いには勝利いたしましたが、原田勢の真の狙いは筑前の戦場へ、再び佐嘉勢を引き戻すことにあると考えます」
「すでに増吟を佐嘉に送った」
少し考えた様子の統虎、それだけで大丈夫だろうか、という思いと、鑑連なら他に手を打っているのだろう、という考えが入り混じっているように、備中には見えた。
ニヤリと嗤った鑑連曰く、
「知っての通り昨年、肥後で戦が起こった。佐嘉の代理人たる甲斐勢と、薩摩の代理人たる球磨勢の戦いだ。結果、甲斐勢が勝利したが、薩摩勢が甲斐勢の懐柔に取り掛かっている」
これは甲斐相模守から鑑連へ送られている情報に拠る、と備中は知っている。
「増吟にはその証を持たせている。佐嘉の頭領もワシに感謝するであろう、クックックッ!」
天正十年、鑑連は好調の波に乗っている。それをもたらしたのは、若き統虎に間違いない、と信じて疑わない自身の心に、備中は気がつき安堵するのであった。




