第420衝 破顔の鑑連
宗像郡を果敢に攻める統虎の隊の活動は、内田や小野の支援もあって、極めて順調に進む。宗像本領への入り口である許斐山城を包囲すると同時に、制圧は勝浦の浜(現福津市)まで及ぶ。
戦果の報告を受けて、鑑連は実に満足そうであり、備中も満足感たっぷりである。この扱いが極めて困難な主人に長く仕え、かつて見たことがないほど喜びを堪能しているように見えたからだ。出来の良い息子を得ると、人間こうなるのだろうか。
「と、殿……よ、よかったですね!」
と祝福したいが、そこまで気安くしてもよいものか悩んでいると、博多の町から一つの報告が入った。
「と、殿」
「どうした備中君」
ご機嫌である。果たして、この報せをどう捉えるか。
「甲斐の武田氏について、織田勢に攻め込まれて、か、か、壊滅した、とのことです」
「武田信玄の倅は」
「自害した、と。とんだ話題になっているようです」
遠い関東の出来事だが、その織田勢は今、安芸勢を攻めてもいる。信じ難い程、広大な領域に兵を送り込んでいることを考えると、以後、鑑連も無関係ではいられないかもしれない
「す、数ヵ国を支配し名声を誇った武田家が、あっという間に。し、信じられません」
「滅びる時はそんなものなのさ」
「……」
鑑連は自分自身だけは滅亡と関係が無い、とでも考えているのだろうか。警鐘を鳴らしたくなる備中だが、鑑連は続けて曰く、
「その倅は、父親の残したツケに潰されたのだろう」
「あ、あの高名な武田信玄公に、そのようなツケがあ、あったとは」
「詳しくは知らんがね。倅本人の不始末もあるだろうが、誰にしたって、どうにもならないこともあるもんだ」
妙に示唆的な鑑連である。国家大友の現状について、義鎮公の非を咎めているのか、それとも、統虎の将来について、自分はツケを残さない、という宣言だろうか。
「そ、その、甲斐を攻めた兵の内、少なくとも半数は畿内へ帰還するとのことですので、お、織田勢の安芸攻めは強化される模様……です」
「義鎮の数少ない功績だが、織田右府とは良好な関係を築いているらしいし、自慢にしている。精一杯、そちらで働いて貰おう」
「と、殿は……」
「ワシは、天下の大勢が決するまで、失われし領域を取り戻すまでだ」
それは国家大友として失った両筑両肥の領域を指しているのだろう。佐嘉勢が隆盛を極める今、世迷い言のようにも聞こえてしまう。鑑連が具体的な計画を持っているかどうかまでは、備中にはワカらないのである。
宗像郡への戦火は思わぬ所で飛んだ。岩屋城からの使者がやって来て曰く、
「申し上げます!岩門城から筑紫勢と原田勢が出撃しました!宗像勢と結んで博多の町に向かう様子です!」
「目の付け所は悪くないな、増時」
「はい」
「迎撃するのだ」
「承知しました」
薦野は宗像家との開戦を誘導した、という疑惑を備中は持っている。鑑連は確信しているようだが、以来、薦野は北と東へは出陣していない。が、薦野もさる者。表面上はいつも通りである。それどころか、
「殿。これは敵の共同によるものと考えられます。今後のためにも、南の戦線へ若殿にもご参加頂くのがよろしいかと存じます」
との厚顔無恥な振る舞いを備中が訝しんでいると鑑連は、
「いいだろう。倅には、すぐに転戦を命じよう」
「ありがたき幸せ」
倅の活躍が嬉しいのだろうし、器量を試して見たくもあるのだろう。すぐに行って来い、と命じられた備中、急ぎ出発して、許斐山の麓にある八並の陣へ到った。
「……という殿からの命にございまして」
「ワカった。小野」
「はい」
「この陣をしばらく小野に預ける。私は内田と合流して、敵を追う」
「承知しました。その他、ご指示があれば承ります」
「あなたに指示など不要だろう」
さわやか侍は静かに頭を下げた。どうも、鑑連といるときよりも、生き生きとして見えるのは備中の気のせいだろうか。
「備中殿」
「は、はい」
「ここまで若殿の采配は立派でした。さすが、吉弘御一門の清流にあるお方、というほか無く、先日までの味方と戦っているのに、みな士気が高いのです。これこそ人徳というのでしょう」
「は、はい」
役目柄、小野甥は岩屋城へ赴くことも多く、きっと統虎とはある程度面識があったのだろう。さわやか侍と悪鬼との攻防戦に見慣れた備中は、統虎を称える同僚の姿に、少しの淋しさを感じる。
敵を求めて南へ進む統虎隊に、内田の隊が合流する。
「若殿。ご命令通り宗像大社の目前まで、平らげて参りました」
「伯耆守様は宗像大社への扱いを気にしておられたのでそなたに任せたが、良い報告ができそうで何よりである」
「はっ!」
いい歳をして、頬を紅潮させる同僚を見て、これは聞くまでもなく、統虎を受け入れた様子であった。驕慢かつ偏屈な内田まで籠絡されたか、こうも短時間に、と吉弘一門の血の為せる義挙というには似つかわしくない早技である。
「備中」
「……」
「森下備中」
「……」
「おい、おい備中。若殿がお呼びだぞ!」
「はっ!は、はい!何でしょうか」
「お前、話を聞いていなかったな。申し訳ありません。この者、昔からこんな具合でして」
「こういう時の森下備中の意見は時に役立つことが多い、と伯耆守様から聞いている」
「申し訳ありません。お、恐れ入りましてございす」
まさか、ぼにゃりと無礼なことを考えていたとは言えない。
「森下備中、これより立花山城へ戻り、許斐山への後詰を伯耆守様へお伝えするのだ。今は押しているが、兵を分割した以上、不利となることもあるだろう」
「は、はい!ただちに」
「これは内田も小野も、共に同意見であるということも必ずな」
先行して本城へ戻ってきた備中が、指示通り鑑連へ報告すると、
「すでに由布が準備をしているからすぐに出陣する」
「おお!これぞ以心伝心ですね!」
下郎の賞賛の声を聞いて、鑑連は背を向けた。備中にはワカる。今、主人の顔はニヤニヤしているはずだ。これまで誰にも弱音を吐くことなく、傲然な姿勢を貫いてきた鑑連は、誰よりも孤独であったろうが、そこに倅の存在が光を照らしている。
こういう時、自分の品のない賞賛は不要だろう。老境にてついに主人が手にした幸福を、長年仕えてきた備中は黙って寿ぐのであった。




