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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
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第404話 壁耳の鑑連

 冬が過ぎ季節が移り始めると、騒動勃発の知らせが届き始めるようになる。本格的な春は近いなあ、としみじみ感じ入る備中。城内の騒がしい声に耳を澄ましてみる。


「豊前で騒動が勃発だ」

「春になって、セバスシォン公が豊前奪還に動き始めたか」

「それが、宇佐郡で謀反だってさ」


 備中にとって宇佐宮と言えば今は亡き田原常陸との思い出である。かつて田原常陸が心血を注いだ豊前、その大本たる宇佐が乱れているとは、嘆かわしい限りである。


「今は田原民部殿のお膝元じゃないか。仕事してるのか?」

「吉利支丹兵を率いるセバスシォン公に対する反発だろう、という声もある」

「それは謀反が?田原民部殿が?」


 どっちもだろう、と独り言ちる備中。案の定、


「どっちも」

「しかし、田原民部様にもはや力は無いからなあ。義鎮公の御三男を養子に取らされたし」

「その御三男も吉利支丹門徒なんだろ?ウチの殿がまた変な呼び方するんじゃないかな……」


 深く同感の備中である。


「宇佐の騒動の件、やはり秋月種実が手引きしたものらしいが、皆なんでもかんでも秋月のせいにしてないか?そこまで力があるのかな」

「秋月は安芸勢の代理人だ。できなくもないんだろう」

「今や反大友家は反吉利支丹でもあるからな。宇佐だけでなく、彦山の衆も不穏な動きをしているそうだ」


 鑑連は豊後から兵を引き出すために、田原家を生贄とした。その兵は豊前にまで来ている。鎮理が率いる岩屋城の高橋勢は事実上傘下に収まっているが、依然兵力不足の鑑連としては、何としてもその兵を手繰り寄せたいはずだ。以後その計略は豊前方面へ向いていくだろうが、


「筑後でも騒動だ。柳川勢が薩摩勢と結んだという!」

「げっ、薩摩勢がついに筑後にも……しかし、佐賀勢が黙っていないのでは?」

「柳川勢は筑後で最も有力だ。佐嘉の頭領もあの手この手で宥めているらしいが……あちこちに懸想するなんて、あの柳川勢も日向の大敗以後、弱くなったものだな」


 鑑連が手をこまねく間に、南の情勢も変わっていく。


「殿にとって幸いなのは、佐嘉勢が和睦を守っているということかな」

「博多を焼いたのに?それは和睦違反ではないって?」

「そう。だって戦っても勝ちきれなかったし、放置するしかない」


 知性が光る見解である、と頷く備中。


「じゃあ援軍が来るまで、このままかあ」

「来れば良いけどね」

「随分悲観的な物言いじゃないか」


 今話しているのは、備中よりは若いが、最若手とも言えない連中だ。迷いがあるのだろう。


「たまに思うんだ。俺の人生、なんなのかなって。本国から離れたこの筑前で救援の見込みのない日々を続けるしかない」

「もっと前向きに考えた方が良い。まず悲観論は捨てよう。楽観的に考えれば全て幸せだ。辛くても、笑顔で耐える。心配しても仕方ないことは忘れる。いつも機嫌よくいよう。どうだ?」

「全然だよ」


 これは少し拙いのではないか。戸次武士らの士気が低下している。とすれば、来る次の戦いに勝てないかもしれない。連中はさらに続けて曰く、


「上役に相談してみればいい。内田様は?」

「うーん」

「自分はこうこうしている主張が強すぎるからなあ。ハッキリ言って面倒くさい」


 これは金言だ、と膝を打つ備中。連中はさらに続けて曰く、


「なら小野様だな。面倒くさい絡みはないぞ」

「最近、あまりお城に居ないから相談できないぞ」

「それにいつも爽やかだから、相談するのも気が引けるなあ。自分が劣った存在のような気がしてくる」


 そういうものか、と対人関係では完全無欠のような小野甥への評価の一面を意外に思う備中。連中はさらに続けて曰く、


「じゃあ薦野……殿」

「あー」

「……」


 やはり薦野は嫌われているのだろうか?確かに褒められた性格をしているとはとても言えないが。連中はさらに続けて、


「なら、由布様?」

「……怖いなあ」

「情けないことを」


 確かに、無口な由布に相談をするというのは、躊躇したくなる面がある。連中はさらに、


「お前なら、安東様に相談すればいいじゃないか。しょっちゅう会う機会があるだろ」

「そんな弱音を吐いたら、説教されるだけだよ。話が長いんだ」

「確かにな」


 ということは安東の近親者が話をしているな、と当たりが付いた備中。連中曰く、


「説教と言えば、誾千代様の機嫌が最近すこぶる悪くって……少しの不始末をしこたま叱られたよ」

「ああ……それは気の毒だったね」

「殿の手前、黙って時が過ぎるのを耐えるしかないさ」


 これは備中にも覚えがある。誾千代の精神状態が不安定になっているのは、その権威に影響を与えざるを得ない婿取の日が近いからだろう。押入とでも思っているとすれば、時が解決するのを待つしかないが、


「そうだ、聞いているか。婿殿の評判について」

「ああ、とても良い若者だと」

「お父上である鎮理様の薫陶行き届いているのだろう」


と満足気に頷き合う連中。性格というより精神状態に難ありの誾千代を宥めるに最適の夫となる、との本音がひしひしと伝わってくる。これにも備中は同感だった。若い連中と波長が合う様で自分もまだまだこれからだ、と満足に浸っていると、すでに会話は終了しており、備中は障子の裏に独り取り残された。そして、そう言えば、と思い出す。


「相談する相手に私は入っていないのか……」


 家中での自分の立ち位置を考えれば無理もない。武芸からっきしで主人から叩かれまくりの文系武士では相談をしよう、とは間違っても思わないに違いない。今更落ち込む事も無いのだが、仕事を終えたところで、


「森下殿」


と声をかけてくる者がいる。聞けば悩みを聞いてもらいたいのだという。その意外さと嬉しさに、頬の紅潮を感じつつ、備中は話に耳を傾けてやる。そして曰く、


「森下様に相談してよかった。実は一番相談しやすい方だと、皆で話していたのです」


 多分、その話を聞いていた、とはおくびにも出さず、またいつでもどうぞ、と笑顔を振りまく森下備中。この話、鑑連の耳に届いたようで、ある時、


「貴様も齢を食ったということだな」


 確かにその通り。だが、備中の心に焼き付いた印象は自分よりも主人について。鑑連も還暦が過ぎたのは昨日のようだが、それよりも古希が近づいているのだ。時の展開の速さを見ると、今の鑑連にとってかけがえの無いものは時間なのかもしれない。誾千代の婿取、援軍の回収、敵の打倒、全て時間が決め手である。むしろ、時間以外のものは価値を持たない、そういう局面に鑑連は至っているのではないだろうか。


 色々ともう時間が無いのでは、という考えは備中にとって、己を居ても立ってもいられない気分にするだけであった。激動の外で、日々安穏に過ぎることがさらに焦燥を掻き立てるのであった。



 新緑が美しい立花山の春が過ぎ、夏の気配を感じる頃、筑後方面から急報が入った。佐嘉勢が、柳川の蒲池家を滅ぼしたのだという。事実なら大物の粛清として一大事であった。

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