第402衝 愛用の鑑連
天正九年、筑前の冬は、昨年、一昨年に比べると静かに過ぎていた。博多を焼いた佐嘉勢も鑑連との和睦は守っていたし、鑑連に対してた単独では勝ち目のない秋月勢も、焼かれた支配地の復興に忙しい様子であった。そのような情報は引き続き、ほぼ毎日のように鑑連の下に集まって来てはいた。
「申し上げます。佐嘉勢が糾合した兵が筑後を南下し、続々と肥後へ侵入しているとのこと」
「数は」
「佐嘉勢が動員できる全数では無いようですが、およそ一万人に迫る数、ということです」
鑑連が常時使用できる兵の倍以上である。前年にその物量を持って押し切られている鑑連としては、羨ましくも妬ましい数に違いなく、
「動きが速いな。大したものだ」
と称賛の声までが漏れていた。主人らしくない発言に不安になる内田と備中だが、反論の材料があるわけでもない。無言のままぼにゃりとするしかない。
肥後の衆は、守護家が衰弱して以降、ひたすら強者に靡く生き方を貫いてきた。その性質を利用して、国家大友は先々代以来、この乱れがちな大国を支配してきたが、ついに時代が変えられようとしているのだ。
「甲斐相模守からの連絡は?」
これは備中の担当である。曰く、
「引き続き。現在、阿蘇大宮司家は国家大友に属していますが、その家老である甲斐家は佐嘉勢に属する、という困難な立ち位置を選択することに相成った、と……」
「志賀が去った今、肥後には誰もおらんからな。文句は言えまい」
「噂では、佐嘉勢には尚武に優れた龍造寺四天王なる存在がいるとか」
「ふーん。知らん。それで」
「そ、その四将の名声の力により、肥後の衆はみなあっという間に服従するだろう、という予測です」
「やはり大したものだな」
さらに佐嘉勢の頭領の行動力を称える鑑連だが、
「博多を焼いた件について、佐嘉勢からの弁解は?」
「未だありません」
「これはもう回答を期待するべきではないな」
「調べさせていますが、明らかとなっている事実がありません。神屋も島井も、殿に対して後ろ暗いことがあるのか、何も語りません。よって、懲罰的な動機による放火だとは思いますが」
「これを幸いに、博多の税収は全てこちらで引き受ければいい。その後、増吟はどうしている?」
「精力的に復旧のための調整を行っています。焼討前よりも、博多の衆の尊敬を集めているようで、漢を示した効果があったようですな」
「佐嘉勢を憎む博多の衆は、今の増吟になら色々話すに違いない。よって現状手の打ちようがない筑後、肥後については、その情報を注視するに留めておく」
「はっ」
鑑連の執務室を出る二人。下った命令はあるものの、積極的なものではない。もちろん、鑑連が由布に整備させている隊の兵数も、佐嘉勢どころか秋月勢に対して勝利を確実視足りえる規模にはならない以上、行動が制限されてしまうのは致し方ないが、それにしても静かすぎるのである。
敵の動きを持って行動しなければならないのだとすれば、鑑連はすでに詰んでいるのだろうか、などとふと不吉な想像が頭を過る備中。が、鑑連の諸行を崇め妄信する傾向のある内田などは呑気なものである。秋月を殺す機会を見逃した落胆をすでに忘れ去ったかのようだ。曰く、
「四天王か」
「……」
「いいなあ。我ら戸次家家臣団も、そういうのがあってもよいのではないか」
「え?」
「そろそろな」
「な、何が」
「戸次四天王だよ。以後、反乱軍と対峙するのに、こういう肩書が必要だ。絶対に」
「と、殿に決めてもらえば?」
「そんな恐ろしいこと、できるか」
「まあ……」
「よしんば殿が上げてくれたとしよう。その中に自分の名前が無かったらどうする。情けなくて出仕できなくなる……」
「そ、それで、左衛門は誰が該当すると思うの?」
「聞きたいか」
「いや、別に」
「いや。聞いてくれ。まず由布様。あと隠居されたけれど戦績から安東様。あと私」
「……」
「なんだその顔は。言っておくが、武事を疎かにしているお前は入れないからな」
平然と自分を入れる事の出来る内田の精神力にあきれ返る備中、訊ねて曰く、
「最後の一人は?」
「うーん」
「小野様?」
「まあ正直他に適任者はいないとは思うが、小野は外様だからなあ」
「あ、そういうのも基準になるの」
「当然だろ」
「外様でもいいなら、薦野殿もいる。どちらが殿のお気に入りかを考えれば、どっこいじゃないか?」
「私はヤツを認めていないから却下だ」
「ええ……」
結局はお前の好みなのか、と備中が呆れていると背後より、
「お二方」
「あ」
「げ」
こういう時に現れるのが薦野である。顔に笑みを湛えているが、内田は一気に不機嫌になり横を向く。
「何の話です?私の名前が聞こえた気がしましたが」
「気のせいだ」
「由布様や安東様の名前も。もしや、当家の腕自慢ならべですか」
「……」
無視を決め込むあんまりな内田に代わって備中応対して曰く、
「ま、まあそんなとこです」
「そうですか。実は私も同じような比喩を一つ持っていましてね。これは必ず同意を得られると確信しているのですが」
「そ、そんなのがあるのですか」
内田はそっぽ向いたままだが、耳がこちらを向いている。
「ご興味ありますか?」
「は、はい」
「ならば特別に教えて差し上げます。それは、戸次家二王、というものです」
「二王……」
武威優れた感じの四天王ではないのか。では二王とはなにか、隣の内田も理解できていないようだが、ちょっと考えるとすぐに思い当たる備中。
「二王、二王。あ、能書家、ということですか」
「さすが備中殿。その通りです」
「……」
「……」
「もしや、私と左衛門が?」
「さて、誰でしょうね。ふふふ」
不敵な笑いを浮かべて薦野は去って行った。
「おい備中、どういうことだ?」
「い、いや、その」
戯れとは言え書聖父子と並んだのだ、どうと言うことはあるまいが、どう考えても、薦野が先の話を聞いていたというオチに落ち着く。この意趣返しの解説をして良い事など何もないに違いない。よって、適当に流すしかない備中、
「左衛門と私が文章力で殿に貢献している、という比喩だよ、多分」
「ペッ!ペッペッ!やっぱりあの野郎は気に入らん」
酷く憤慨しながら内田は去って行った。家来間、仲良しばかりではないが、鑑連は不協を認識しつつ、内田も薦野もどちらも重用している。そんな主人の意図は、大将であったことのない自身の理解の範疇を超えてはいたが、何とか理解できないか、と独り言ちる備中であった。




