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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
392/505

第391衝 齟齬の鑑連

 秋が近づく頃、薦野の調略により、宗像領吉川で騒動が起こった。同時に、小野甥が国埼より戻ってきた。


「備中殿」

「お疲れ様でございます。春以来ですね。殿は夕刻には戻るはずです」

「大宮司の妹御の所へ?」

「は、はい。鞍手郡で騒動になりましたので、それにつき大宮司殿への口添えのために」

「やれやれ」


 腰を下ろした小野甥。


「それで、国埼の戦いは」

「決着しました。それを確認して、まずは戻ってきたのです。あまりここを不在にすると、忘れられてしまいますからね」


 少し笑った後、彼にしては珍しくも固く真面目な顔になる。


「鞍掛城は落ちました。田原右馬頭殿は自害。主だった者は降伏しましたが、秋月種実を頼って落ち延びていった者もいます」

「つ、つまり秋月勢の増強ですか」

「そういった影響もあるでしょう。なお、この戦いの功一等は親家公となります。決まったことではありますが、これで親家公が田原本家を継承することに、異論は出ないしょう」

「田原本家……」


 思い出の中に残る田原常陸や、その配下の武士たちとの日々はもう存在しない。つまり、


「田原常陸様の頃の強さは……」

「期待できないでしょうね」


 鑑連の号令が田原家の消耗になるとは本人も驚きだろう。そこまでして鑑連が獲たがった援軍についてだが、小野甥は首を振る。


「国埼の戦いは半年にも及びました。参加した多くの武士らは、領地へ戻っていきました」

「なんと!」


 鑑連が聞いたら大噴火するのではあるまいか。


「ただ、田原家の領地を親家公が継承することで、二年前のあの日以来逼塞していた田原民部殿が復帰することになりそうです」


 天正六年以後、ここまで事件が多すぎたせいか、懐かしい名前である。


「義鎮公による根廻しはほぼ完了しています」

「しかし、今更最前線に戻るのですか。反対の声も多そうですね……」

「確かに。ですが、田原民部殿は、吉利支丹宗門を憎みつつも、義鎮公のために働き続けてきたのです。さらに忠実なだけでなく、周到な方でもあります。事の是非はともかく」


 確かに、日向での大敗がなければ、権威と権力を兼ね備えた国家大友の大幹部として、今頃反吉利支丹の闘士として、石宗あたりに祀り上げられていただろう人物だ。


「そもそも田原民部殿の存在価値は、義鎮公の権限を高めることにありました。日向での敗北の全責任を負わされ、田原本家を大友宗家が手中にした以上、謹慎の意味も消えたということです」

「なるほど」

「それに、今の豊前は完全な乱国です」

「不埒者どもが、今回の内乱や田北大和守様の死に便乗しているそうですからね……」

「しかも、安芸の船団まで出没したようです」

「え!」

「私も最近知りました。幸い、大事になる前に撃退することは出来たようですが、この噂を頼りにする連中が後を絶たない状況です」

「と、殿はご存知」

「ないでしょうね」


 小野甥らしくなく冷笑して見せる。


「誰かがこれを平定しなければなりませんが、親家公と田原民部殿、田原両家が合同でそれを行う、というのが今の既定路線。とても筑前へ兵を送る余裕はありません」


 せっかく本国豊後の残存兵力をまとめ上げたというのに、鑑連には残念な結果となった。あるいは自業自得なのかもしれないが。


 小野甥が持ち帰った情報から、明るい将来を思い描けるものは何一つなかった。


「こ、国家大友はどうなるのでしょうか」

「さて、どうなるのでしょうね」

「……」

「半年続いた内乱で強力な親戚筋は弱体化し、あまつさえ一人の名ばかり老中さえも討ち死にした。そして豊前の喪失です。豊前を喪うということは、肥後や筑後を喪失することよりも、豊後人にとっては恐ろしいことです」

「……た、確かに」

「こうなっては殿の戦場も豊前寄りにならざるを得ないでしょうが、もとより兵力が足りないのです。秋月と締まりのない、だらだらとした戦いがまた続きますよ」

「そ、そういえば」

「?」


 備中は、博多の町での出来事を小野甥に話した。小野甥は驚いた表情で、そして極めて惜しいと曰く、


「残念です」

「はい……」

「そうですか。私なら秋月種実の命を奪ったでしょうが……しかし、欠点だらけの我らが殿には天性の嗅覚があるのもまた事実です」

「我らそれを信じるしか」

「そう、それしかありませんね」


 鑑連に仕える困難を二人が噛みしめていると、広間から声が聞こえてくる。なにやら内田が若い武士相手に声を張り上げているようだ。備中、耳を澄ませてみる。


「これからは秋月勢との戦いが主なものとなる!夜須見山で一族を喪ったものも多いだろう!仇を討つ良い機会だ!」


 若い連中が意気軒昂と気合いで応じている。


「この士気の高さは尊ぶことにしましょう。まだ、全てが終わったわけではないのですから」


 小野甥の口調は爽やかだが、諦念が漂っているようにも感じる。国家大友最強の武将に仕え、大友宗家を間近で見てきたこの武将も、一つの極致に到達したのかもしれない。そういう時、武士であれば仕える家を変えるものだ。備中は、小野甥が他家へ移ることを想像すると、それが鑑連にとっての損害でしかないと、直感する。


 だが、国家大友を第一と考える小野甥である。安芸勢や佐嘉勢に与することはないだろう。となると……


「げっ!」

「備中殿?」


 その場合、小野甥の転籍先はただ一つではないか。


「お、小野様」

「はい」

「よ、吉弘様について、ど、どうお考えですか?」

「どう……そうですね。今の国家大友において、殿の次に重要な方だと考えています」

「な、なるほど」

「急にどうかしましたか?」

「い、いえ。別に」


 偉そうに床を揺るがす足音が聞こえてくる。鑑連が帰ってきた。内田らが気合入魂している広間を素通りし、備中と小野甥がいる部屋に直行してきた。まさしく天性の嗅覚である。


「小野」

「殿、国埼での戦について、ご報告いたします」


 挨拶もそこそこに、小野甥は豊後の内乱の結末とその余波について淡々と伝える。結果、鑑連の失望はすぐに怒りへと変じた。


「おのれクズどもめ!」

「と、殿」

「平和を貪るだけの売国奴どもめ!もはや言葉も無いわ!」

「それよりも、鞍手郡で騒動が起こっていると伺っています」


 小野甥をギロリと凝視する鑑連。


「必ず秋月勢が絡んでいます。博多で殺し損ねた秋月種実を、ぜひ戦場で討ち果たしましょう」

「殺し損ねたのではない。生かしておいたのだ」

「殿の名誉に関わることならば、暗殺せず正解でしょう。ただ戦場で秋月を始末するには、殿の名誉以上のものを犠牲にしなければなりません。そのお覚悟は?」

「ほう。今日の貴様は目が据わっているな。だがその覚悟ができない者は、ワシの家来としては失格だ。この城にそのようなクズが居るとは思えんがな。貴様はどうだ?」

「国家大友の為ならばいくらでも」

「ではこれより出陣だ」


 帰国早々の小野甥に一切の配慮を示さない鑑連だが、小野甥は受けて立つようだ。この二人のいつもの相剋により、いくらかの安堵を得る備中であった。

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